新連載・挑む者たち/1 こびとプロレスで一儲けしよう 椿ReINGzオーナー・大木信夫=ノンフィクションライター・石戸諭〈サンデー毎日〉
「閉塞感」が時代のキーワードになってもう何年になるだろう。「何か新しいことに挑戦したくてもできない」。そんな声も聞こえる。キャリアを捨てて新天地を求める者、重病からの再起を目指す者。閉塞した何かに穴をあけようと「挑む者たち」を隔週で連載する。
「彼らは俺に無いものを持っている」
「そこにお金の匂いがするから、ですかね。俺もドリフの番組で大笑いしていたし、彼らは俺に無いものを持っている」
そう言って、アクリルパーテーション越しの男はにやりと笑った。露悪的な言葉とは裏腹に、端々に彼らに対する敬意と期待が込められていた。大木信夫、職業はつばきホールディングス会長ともうひとつ――。彼は2021年ももう終わろうという時期に、存続の危機にあったこびとプロレス復活を掲げて立ち上げた新団体「椿ReINGz」(ツバキリングズ)のオーナーになってしまった。現役レスラーはブッタマン、プリティ太田とたった2人しかいない新団体である。東京都大田区の自社スタジオを改装し、こびとプロレス専用の道場を開設するに至った。足りない資金はクラウドファンディングで彼らとともに集め、477万8000円の調達に成功した。もっともリングを買い、備え付けのシャワーを整備しただけでお金は無くなってしまったのだが。
つばきHDは大木が2012年に起業した内装会社「椿や」を母体にしたグループである。海外のトップブランドショップのディスプレイや、大手百貨店の内装などを手掛けてきたとはいえ、実態は腕の立つ中小企業にすぎない。しかも彼らは2020年の新型コロナ禍が直撃し、数億円単位のプロジェクトがすべて無くなってしまうという経験もしている。「先行きは不透明」と守りに入る企業が多い中で、彼らは一つの勝負に打って出た。こびとプロレスで一儲(ひともう)けしよう、と。
大木は1972年、東京・浅草に生まれた。父親は高度経済成長期の建設業、母親は証券業の共働きで家を空けることが多かった。家に残った妹と一緒に観るテレビはもっとも身近な娯楽だった。そこに映っていたのが当時、人気のピークだったこびとプロレスである。ただし、それは多くの子供と同じように何かを意識して観ていたものではなかった。テレビに映り、コミカルに動き回る彼らの動きがおもしろく、笑っていた以上でも以下でもない。
高校を卒業した大木は京都で2年間専門学校に通い、自動車整備士として社会に出た。もとより手先は器用で、車は好きだった。自分にあった仕事だと思い、大手自動車メーカー系列の工場への就職を決めた。ところが、配属された鶯谷の工場の仕事が軽微な故障の修理ばかりで、およそ働きがいとは無縁だったという理由でさっさとやめてしまった。 生活をしていくために現場仕事を転々としたが、彼の器用さは建設現場をはじめどこでも重宝された。
「君、すごいね。うちで働きなよ」と誘われるのが常だった。唯一、誰も評価しなかったのが引き受けた現場の一つ、ディスプレイ業界の仕事だった。発注先のブランドの担当者も、作り上げる職人たちも図面通り、寸分違(たが)わぬように完成させても「そんなのは当たり前」といった表情で確認しただけで、次の仕事へと移っていった。当然、彼の仕事も一切評価の対象にならない。
何も評価されなかったという事実が、彼の原動力になった。仕事を覚えるなかで、奥深さとその理由を知ることになる。ディスプレイ、と一言でいってもガラスやプラスチックだけでも相当な数の素材があり、それに加えて材質にあった加工や、塗装の仕方、予算を考えれば何百、何千と組み合わせがある。しかし、ベストは一つしかない。きれいにできるのは最低限の条件でしかなく、常に最適解を示してこそ認められる。ものづくりの奥深さを知れば知るほど、のめり込むことができた。
唯一、決定的に見誤っていたのは大木以上に手先が器用で技術のある職人がごまんといることだった。ある内装会社に就職した彼は職人としてではなく、職人集団を束ね、受注先の要望を叶(かな)えるディレクションの仕事に活路を見いだすことになる。現場仕事の多くは彼を介して決まっていった。
そんな彼にやってきた一つの転機は2011年の東日本大震災である。会社で請け負ってきた仕事が一晩にして飛んだ。満足に給料が支払えなくなった会社にいることはできなかった。
救いになったのは、前の会社で培った取引先と職人の人脈だ。震災後、「アクリル板に穴をあけてほしい」という仕事を請け負った。大木はここで力の加減を誤り、何枚かアクリル板を割ってしまう。彼に仕事を頼んだ企業はこの程度のミスは許容できるという姿勢を見せたが、仕事に納得できなかった彼は、前の会社で仕事を依頼していた腕の立つ職人に自分の仕事を任せた。そこで職人は一枚もアクリル板を無駄にすることなくきれいな穴をあけるミスのない仕事で、発注先を満足させた。大木の収益はほとんどなかったが、一つの仕事が別の仕事を呼んだ。「大木は腕の立つ職人を知っている」という評判が広がり、仕事の依頼がやってきた。ディレクションの経験が生きて、かつての取引先が彼を名指しして指名するようになったとき、彼は起業を決意する。
周囲に掲げた目標は二つ。第一に「海外の一流ブランド、日本の一流百貨店と仕事をする」こと、第二に「働いていることを誇りに思える会社」である。前者はディスプレイ業界では相応の信用がなければまず引き受けることができない仕事だ。誰が考えても少なくとも当面の間、下手したら一生をかけても達成できそうもない威勢のいい目標だったが、彼が広げた大風呂敷をおもしろがった人々が最初に合流した。かつて同じ内装会社に勤め、彼と時期を前後してやめた者、かつての取引先から転じた者……。社員を食わせていくために、経営者として養ったのは人を見る目だ。
発注先との信頼築き10年で自社ビル所有
百貨店にしても、ブランドにしても工事は客のいない夜間で、担当者は寝ずに工程を見守る。内装工事のなかで商品や店舗に傷がつけば、大きな問題になるからだ。大木は引っ越し業社に学び、作業する場所の養生を徹底した。角という角を緩衝材で保護し、店内に服やバッグがあればどんな小さな工事でも、たとえ現場から距離があったとしてもシートを被(かぶ)せることが指針になった。発注先との信頼関係を壊さない人を採用すること。それが彼の大きな仕事である。
単に納品するだけでなく、ブランドの担当者を製作現場まで招き、その時点で完成している現物を見せて、修正点を出してもらうように工程を切り替えた。店まで一度運んでから修正するよりも時間も早く、たとえば「この部分の色を黒から赤に変えてほしい」という注文にもその場で対応できるからだ。
獲得した信頼は売り上げと比例した。「職人を知っている」という評判は、「大木の会社に任せれば、丁寧で柔軟に対応する」に変わり、集まった仲間はそれぞれの得意分野をいかして、内装だけでなくテレビ番組の大道具製作なども手がけるようになって、会社の幅を広げていった。当初掲げていた目標は早々に達成し、小さいとはいえ、10年も経(た)たずして生まれ育った浅草エリアに自社ビルを所有するまでに成長した。
新型コロナ禍で事業はいくつも無くなったが、着実な成長はプラスに働く。借りられるだけの融資を受け、社内留保を切り崩して従業員の給与と雇用を維持することができたからだ。大きな仕事は減ったが、飲食店向けにワインボトルを通せるようにしたアクリル板加工を提案したり、海外ブランドにいつでも自分たちは仕事を再開できるとアピールし、関係をつなぎ留めたりすることで活路を見いだそうとした。そして2020年の第1波を乗り切ったとき、彼は再びこびとプロレスに出会うことになる。
最初の依頼は旧知の取引先の社長からの依頼だった。俳優の東ちづるが代表を務める一般社団法人「Get in touch」が配信する番組用にパーテーションを作ってほしいと頼まれた。二つ返事で引き受けた彼は、東たちの活動内容を調べて、それにあわせて大道具の製作も可能だと言った。大きな利益が期待できる仕事ではないが、彼らが目指している「多様性」は、海外ブランドとの仕事をするなかでも重要な考えでもあった。ならばということで、2021年3月に公演が予定されていたGet~の舞台「月夜のからくりハウス」に向けて大道具の納入が決まった。その演目のひとつにこびとプロレスがあった。
東ちづるの番組縁で再会した「プロレス」
彼は稽古(けいこ)から立ち会い、子供時代に熱心に観ていたあの光景を思い出す。衝撃は思い出以上だった。実際にライブで観るこびとレスラーたちの動きは思い出よりもコミカルで、もっと力強く、なにより新しかった。かつて大木が笑いながら観ていたこびとプロレスは「障害者を笑いものにしている」という声に押され、テレビから消え、レスラーの高齢化や後継者不足が重なり、興行そのものも無くなっていたから目にする機会もなかったことに気がつく。
――そうか、彼らには仕事の場が無くなってしまったのか。彼は思い立ったら行動する人間だった。周囲からみればあまりにも唐突だったが、決めたと言って動き始めた。「うちが団体を作って、興行もやりますよ」
そんな言葉を口に出す自分にも驚いたが、ビジネスパーソンとしての直感も働いていた。異論があるという人々にはこう説得した。
「お前はこびとプロレスできないだろ。あいつらはできる。これは新しいエンターテインメントなんだよ。お金にしていこうよ」
レスラーたちにはこう言った。
「興行を成功させたら、その分だけ支払いは増える。だからみんなで頑張っていこう。ひろちゃん(プリティ太田のあだ名)、俺におごってくれよ」
同業者の集まりでも「新事業はこびとプロレスだ」と話したが、10人いれば8人は否定的なことを言い、2人は何も言わずに眺めているような状況が続いている。「慈善事業ですか?」「うちなら社員にその金を回すよ」……。それを聞くたびに彼は、わかってないなと思う。
〝新事業〟なのだ。エンタメの世界で生きたいけど仕事が無い人に場を作り、グループの力を集めて、華々しい舞台を作り上げる。プロレスリングを華やかに彩れば、メディアの注目もついてくるだろう。それはイコールでつばきHDの仕事の露出にもつながり、誰もが損をしない事業へと成長するかもしれない。内装からプロレスまで手がけることが会社の「誇り」になり、社会からの評価につながる。それがわかれば、と彼は言う。
「お金の匂いがすればね、企業は動きます。1回の寄付じゃなくて、持続可能なビジネスだってわかれば、うち以外の企業だって手をあげるでしょう。そしたらどうするか? 俺たちには良いエンターテイナーがいるよって仲介しますよ。この世界にはまだまだ才能が眠っているから」
自社ビルに設けたオフィスの一角で、大木はそう言って、またにやりと笑った。照れ隠しである。言葉だけで終わらせない〝多様性〟を実現するために投資に踏み切ったビジネスパーソンの眼差(まなざ)しで言い切ったのだから。
(文中敬称略)
次回は1月23日号に掲載します
いしど・さとる
1984年、東京都生まれ。2020年「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。21年『「自粛警察」の正体』(文藝春秋)で、PEPジャーナリズム大賞を受賞。新著に『東京ルポルタージュ』(毎日新聞出版)