始まりは1964年東京五輪 コロナにも屈しない 夜の社交場、スナック再生記=ライター・星久美子〈サンデー毎日〉
コロナ禍で2020年4月から延べ1年近く、営業自粛と酒類提供禁止を余儀なくされた飲食店は、徐々に活気を取り戻しつつあるものの、客足はまだまだ鈍いままだ。全国に約7万軒あるとも言われるスナックも例外ではない。宣言解除前後のスナックを追った。
日本各地の歓楽街をはじめ、地方の小さな町にも必ず1軒は見かける「スナック」。飲み屋街にネオンが立ち並び、ママと常連がお酒を飲みながらカラオケを歌う――スナックといえば「昭和」の産物のようなイメージが一般的かもしれない。店内の様子が外からはうかがいにくく、一見客は入りづらいという人も少なくはないだろう。
実はこの業態が、1964(昭和39)年の東京オリンピックをきっかけに生まれたことをご存じだろうか。「夜の街」を研究する東京都立大・谷口功一教授は、国際的イベントを前にした夜の街の風俗浄化が契機となったと話す。
昭和30年代の日本は「深夜喫茶」と呼ばれる飲食店が不良のたまり場になり、店内での覚醒剤・シンナーの乱用やジュークボックスの騒音が社会問題になっていた。そこで先述の通り五輪開催の年、風営法改正によって取り締まりが強化され、酒のみを提供する飲食店は午前0時以降の深夜営業が禁止される。
当時、カウンター主体の酒場「スタンドバー」では、営業時間を延ばすための苦肉の策としてスナック(軽食)を提供するようになり、独自の営業スタイル「スナックバー」が生まれたという。席に着くとまず提供される乾き物やママ手作りのお通しは、〝規制の抜け道〟の名残なのだ。
「行政の取り締まりをかいくぐるために、これみよがしにカウンターに誰も食べないサンドイッチにラップをかぶせたものを置いていた店もあったそうです」(谷口教授)
夜の街にはキャバクラ、ガールズバー、クラブなどさまざまな営業形態があるが、スナックに関して厳密な定義はない。主な特徴としては①「ママ」や「マスター」と呼ばれる店主がいる②カウンター越しの接客が基本で、酒やつまみを提供する③ボトルキープが可能で値段はだいたい3000円前後から。席料(セット料金)にはお通しや氷、ミネラルウオーターなどが含まれることが多い④大半の店でカラオケが歌える――などが挙げられる。
時間制限や指名制のない敷居の低さとママの人情味あふれる接客、アットホームな雰囲気がモーレツに働くサラリーマンに親しまれ、〝アフター5の社交場〟になった。その後、高度経済成長の後押しもあって全国に拡大し、70年代に入るとカラオケの普及により「スナック=飲んで歌える店」のイメージが定着していった。バブル期の90年代初めには全国に20万軒超のスナックがあったとされる。しかし、その後は景気低迷や店主の高齢化にともなって減少傾向が続き、谷口氏ら大学教授でつくる「スナック研究会」の研究によると、2019年には7万軒程度にまで減った。そして、20年の2度目の東京五輪で沸き立つはずだった夜の街をコロナ禍が襲った。
地方は雇用の受け皿として機能
21年9月、閑散とした夕方の東京・銀座に向かった。銀座6丁目のスナック「Abhi(アビー)」では、直(なお)ママが薄暗い店で一人、窓を開けて風を通していた。「宣言が明けてまたお酒を出せるようになっても、以前のような賑(にぎ)わいが戻るか不安です」
飲食店勤務を経て15年にオープンした店は、路地裏のビルの2階。人通りは決して多くないが、都会の〝隠れ家〟のような居心地の良さが口コミで広がり、7年目を迎えた。十数人ほどで満席になる店内には、趣味のインド旅行で集めた装飾品が棚に、自ら撮影した写真が額縁に飾られ並んでいる。19年8月には近隣に2号店をオープンし、一時期は数人のスタッフが在籍していたが、20年4月の緊急事態宣言発出以降はクローズしたままだ。
「協力金は2店舗分申請してますけど、家賃も安くはないですしね。お客さんもテレワークが当たり前になってきて、都心に来る頻度も減ってるみたいです」 この1年半は試行錯誤の連続だった。休業中には店内をDIYする様子をユーチューブで配信し、今夏には「何かを吸収できれば」と一般社団法人・日本水商売協会(東京都文京区)主催のミスコン「ナイトクイーングランプリ」にエントリーした。歩みを止めない理由を尋ねると「何かしてないと気が済まない性格なんです」と笑うが、電話に出るのも緊張するくらい極度の人見知りだという。
「店に立つと不思議と大丈夫なんですよね、社会とつながってる感じがして。ここは私にとっての居場所なんです」と彼女は言った。
他業態に比べて開業費用が抑えられ、女性1人でも運営しやすいことから、店舗数を拡大してきたスナック。谷口教授は女性の雇用創出にも大きな役割を果たしてきたと話す。
「特に地方では、シングルマザーの雇用の受け皿、社会のセーフティーネットとしても機能してきました。コロナ禍以降、私たちも正確な数は把握できないほど相当数のスナックが閉業したと推測しますが、夜の街に限らず労働環境の変化は、不安定な就労環境下の女性にしわ寄せが来ています」
特に飲食・サービス業に従事する女性は多く、非正規雇用が占める割合も高い。コロナ禍で夜の仕事を辞め、安定した昼間の仕事に就く人も増えていると聞く。東京商工リサーチの調査では、この年末年始に忘年会・新年会を開催しない企業は70%を超えている。「かき入れ時」が消え、時短協力金が終了したこれからが飲食店にとって本当の正念場かもしれない。
ところ変わって、東京・高円寺のスナック「リリー」――。JR高円寺駅南口から徒歩3分、現在は古着屋や飲食店が並ぶ界隈(かいわい)に店を開いたのは1964年、東京五輪の年である。北海道出身の澄子ママはわずか9歳でデビューした元踊り子だ。10代から全国の米軍キャンプやキャバレーを回り、26歳で開業。以来、華やかなりし昭和から平成、令和の時代を駆け抜けてきた。「ブランデーや高級ウイスキーが飛ぶように売れた」というバブル期には、ゲームセンターやバーなど6店舗を経営していたという。83歳を迎えた現在も毎日店に立つ現役ママだ。
「今までずっと働き詰めだったから、休業したばかりの頃は神様がくれたお休みだと思ってのんびりしてたの。でもどんどん期限が延びて先が見えなくて」 数え切れないほどの人間模様をカウンター越しに見てきた彼女にとって、店は生活そのものになっていた。夫を早くに亡くし、一人息子は20年前に38歳の若さで急逝した。休業中は愛犬の世話や趣味のパチンコに打ち込む日々が続いた。昨年6月には転倒により左大腿(だいたい)骨を骨折。2カ月間の入院中、ベッドの上で感染症拡大防止協力金の申請書類を書いた。40年以上付き合いのある常連客とはしばらく顔を合わせていない。
「電話してもつながらなくて、後日『○○さん亡くなったらしいよ』って話を聞くこともありますよ。実は今日も1件あったの。これだけ長くやっていると仕方ないことだけど寂しいね」とため息をつく。
9月30日で緊急事態宣言が解除され、10月25日からは飲食店の時短要請と酒類提供の制限が解除された。秋の冷え込んだ夜に「リリー」を訪ねた。「寒い中ありがとうね。おなか減ってない?」と供されたお通しはママ特製のおでんだった。卵焼きに枝豆、刺身こんにゃくといった手作りのやさしい味がほっとする。20時を過ぎる頃に、近所の常連がぽつぽつと来店し、「おう、久しぶり」と再会の一杯を酌み交わしていた。「これ次のお願いね」と新しいボトルのオーダーが入る。40年、50年と通う大常連たちも、以前の立ち居振る舞いを確かめるようにしながら、少しずつ日常を取り戻しているようだ。
ママが訪ねたら〝第一発見者〟に
3年後、「リリー」は開業60周年を迎える。お店は今後どうしていくのだろうか。澄子ママに尋ねると、「やっぱりお客様とお話しするのが長生きの秘訣(ひけつ)。この先どうなるかはわからないけど、元気にお祝いしたいわね」と言った。やはりママはたくましい。
アビーも10月25日から通常営業を再開した。ビル入り口のスタンド看板に今年初めての明かりを灯(とも)した。「なんだか感慨深かったですね。ようやくだなって」と語る直ママの表情も明るい。2号店にも予約の問い合わせが入るようになり、スタッフのシフトを組んで週1ペースで再開予定だ。
「皆さんしばらくカラオケしてなかったからか、発散する感覚が久しぶりだと感動していました(笑)。コロナ禍でみんな少しだけ人付き合いが不器用になったのかも。でも、本音で語り合えるのがスナックの面白いところ。私もお客様も今はまだリハビリ期間。楽しみながら徐々に調子を取り戻していかなくちゃね」
スナックは単なる「歌って酔える酒場」にとどまらない。地元密着型の営業スタイルは地域のコミュニティー、コミュニケーションのハブ(中心地)としても機能してきた。「スナックの常連客は近隣に暮らす人も多いです。高齢化社会が進むにつれ、彼らのバイタル確認としての役割も担ってきました。独居高齢者の常連が顔を見せなくなって、ママが家を訪ねたら〝第一発見者〟になったという話も聞きます」(谷口教授)
コロナ禍で外出の機会が減り、地域のコミュニケーションが途切れてしまった今、高齢者の孤立が加速しているという。地方独立行政法人・東京都健康長寿医療センターの研究によると、人との接触や交流が著しく少ない「社会的孤立者」はコロナ禍前後で21・2%から27・9%に増加。特に男性・高齢であるほど社会的孤立に陥りやすく、孤独感に深刻な影響を及ぼすという調査結果も出ている。
「地域とのつながりが失われると、社会的・身体的・精神的にも健康な状態を保てずフレイル(加齢により心身が衰える状態)が進行し、脆弱(ぜいじゃく)性も高まります。スナックのような地域コミュニティーが失われると、今後さまざまなところに影響が及ぶのでは」と谷口教授は危惧する。
変化をかいくぐり新たな業態も
他方でポジティブな要素もある。2010年代後半から、若者の間でスナックが静かなブームになっており、雑誌やネットメディアでの特集も増えた。SNSやオンラインではできない対面コミュニケーションが改めて見直されている兆しという見方もある。 30代の筆者もスナック愛好者の一人で、かつてイベントと称してママの真似事(まねごと)をしたこともある。初めての店は扉を開ける勇気が要るが、意を決して飛び込むと「いらっしゃい」と弾む声に迎えられる。世代や属性問わず訪れる人をあまねく受け容れる〝懐の深さ〟がスナックにはあるように思う。ママが注(つ)いでくれたビールを飲みながら世間話をしたり、先客の歌声を聞いたり、時には人生の先輩からありがたい金言をいただくこともある。何気ない会話とともに緊張がほぐれ、ほっと一息つける「サードプレイス」のような場所だ。
かつて時代の変化をかいくぐるようにしてスナックが誕生したように、近い将来、新しい世代にも受け入れられる新業態が誕生するかもしれない。コロナ禍以降、換気のために入り口の扉を開けて営業する店が増えた。ドアの隙間(すきま)にちらっと目をやると、常連同士が談笑していたり、お客を待つママがテレビを見ていたりと、それぞれの人間模様がうかがえる。一見入りにくかったイメージのスナックが少しだけ開かれたのは、コロナ禍がもたらした思いがけない〝パラダイムシフト〟かもしれない。今夜も扉の向こうで彼女たちはそれぞれの店に立つ。
ほし・くみこ
1982年、栃木県生まれ。上智大卒業後、広告会社、飲食企業などを経てフリーランスのPR兼ライターに。主に飲食界隈をテーマに「Hanako」などで執筆