皇室のあり方を決めるのは政治と人々の熟議である 緊急連載・社会学的皇室ウォッチング!/16=成城大教授・森暢平〈サンデー毎日〉
安定的な皇位継承を議論する政府の有識者会議(座長=清家篤(せいけあつし)・元慶應義塾塾長)は2021年12月22日、最終報告書を取りまとめた。母方の血筋で皇室とつながる女系天皇の問題には踏み込まず、皇族数を増やす当面の方策だけを提言した。その一つが、旧宮家の男系男子の皇籍復帰という唐突な提案である。報告書は「静ひつな環境の中で落ち着いた検討」を求めるなど野党を牽制する姿勢を隠さない。だが、皇室のあり方を決めるのは基本的には国会であり、そのもとには人々の熟議があるはずだ。
男系ありきの「報告書」
報告書は、女性皇族が婚姻後も皇室に残る案も掲げたが、やはりポイントは、旧宮家の皇籍復帰であろう。1947年10月に皇籍を離脱した旧宮家(11家)にある男系男子を、皇室の養子にする案である。
有識者会議は2021年4~6月まで、歴史、法律、皇室、宗教などに詳しい専門家や若い世代のヒアリングを行った(計21人)。その結果、男系継承の原則は悠仁さままでは「変えるべきでないとの意見がほとんどを占め、現時点において直ちに変更すべきとの意見は一つのみ」と断定した。
共同通信が21年3~4月に実施した調査(郵送方式)では、女性天皇容認が85%、女系天皇を容認する声が79%と多数を占めた。逆に、旧宮家皇族の復帰については「反対」が67%で、賛成の32%を大幅に上回った(有効回答数1839)。輿論(よろん)は、一般的な意味で女系容認なのである。
それが、悠仁さまへの継承を妨げる声だとは限らないが、ネットでは「愛子さまを天皇に」との声も少なくない。報告書は、こうした女系継承容認への声を切り棄(す)てた。
対象者を、内閣府の事務方が「恣意(しい)的」に選んだヒアリングの結果をもって、男系継承の原則だけを強引に強調している。
旧宮家復帰について報告書には「長年一般国民として過ごしてきた方々であり、また、現在の皇室との男系の血縁が遠いことから、国民の理解と支持を得るのは難しいという意見もあります」と一応、懸念には触れる。だが一方で「養子となった後、現在の皇室の方々と共にさまざまな活動を担い、役割を果たして」いくことで、理解と共感が徐々に形成されると期待する。
だが、皇族に復帰する、しないを決める際、人びとの反感が逆に盛り上がってしまったらどうするのか。旧宮家にある人物に、皇族となる覚悟があるのかどうか。現実に予想される事態への具体的検討はしていない。
報告書は、旧宮家から復帰して皇族となった人について「皇位継承資格を持たないこととすることが考えられます」とも書いている。反対が予想されるので、皇族数の確保という当面の措置であると逃げ道を作った形だ。だが、将来の皇位継承の危機のとき、復帰した彼らが継承候補者となるのは疑いがない。批判逃れの苦しい主張である。
今回の報告書で、男系継承、旧宮家復帰などが前面に出るのは、「伝統的家族観」を声高に叫ぶ人たちが、あらゆる局面で目立っていることと無縁ではない。
20年12月に策定された「第5次男女共同参画基本計画」では、第4次に入っていた「選択的夫婦別氏(別姓)制度の導入」の文言が削られた。「戸籍制度と一体となった夫婦同氏(同姓)制度の歴史を踏まえ」という記述も新たに加わった。保守派を抱える自民党が押し切る形で「伝統的家族観」が盛り込まれたのである。
「伝統的家族観」とは、言い換えれば、家父長制的家族観である。家長である男性が力を独占し、男系によって財産の継受と親族関係が組織化される。女性や弱者を抑圧する権力構造である。
約70年以上前に皇籍離脱した旧宮家を復帰させる案は、男系継承という伝統、家父長制を再構築するための「ウルトラC」に見える。夫婦別姓、同性婚、晩婚、非婚……と人びとの生が多様化し、より選択的になっている社会の現状とも懸け離れる。家族よりも、個人とその自己決定が重要になるべき21世紀の日本の課題とも対立的である。
明治以降、皇室という家族は、社会の鏡であった。「近代家族」の模範が天皇・皇族である。約60年前の正田美智子さん(現・上皇后さま)が、社会における恋愛結婚を先導したことだけを見ても、それは分かる。雅子さまは男女雇用機会均等法が主導したキャリア女性であり、皇室入り後の苦悩こそが、人びとの共感を得た。
男系継承にこだわる保守派こそ、皇室と社会を隔絶させ、逆に皇室を危機に陥らせている。皇室は、人びとと共にあるべきなのだ。
国民投票も選択肢
保守派の高揚感は著しい。麗澤大の八木秀次教授は「ようやく正しい歴史に基づいた議論がなされ、正しい結論が得られた。国会にもこの結論を尊重しながら、対立を持ち込むことなく、静かな環境で丁寧に議論する姿勢が求められる」と述べている(『産経新聞』2021年12月23日)。
「皇室を巡る課題が、政争の対象になったり、国論を二分したりするようなことはあってはならない」とした報告書の結論が、保守派の望む方向であることが分かる。
清家座長が慶應義塾出身だからなのかは知らないが、報告書には、福沢諭吉の「帝室論」が持ち出され、その冒頭の言葉、「帝室は政治社外のものなり」が引用された。「政治」が皇位継承を問題化することを強く牽制したのだ。
しかし、福沢は、自らが率いる『時事新報』上に「帝室論」を発表している。まさに、皇室に関する議論を新聞上で展開しているのだ。政党が皇室議論をするなとの趣旨で「帝室論」を書いてはいない。
皇室議論が密室の枢密院で行われた明治時代と現代は異なる。皇室については、国会が議論して決断するのが、民主主義社会における天皇制のルールである。
社会における家族のあり方とリンクさせ、政治家たちが議論を戦わせるべきだ。熱い討論の根底には輿論があるはずだ。
決められないなら、国民投票をしてもいい。「静ひつな環境」「落ち着いた検討」といった言葉で、議論封じを図ろうとする有識者会議には、誠実さが感じられない。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮社)、『近代皇室の社会史―側室・育児・恋愛』(吉川弘文館)など