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「いつか必ずヒットする」日本で健康系ビールが開発された理由

1980年にキリンが発売した「キリンライトビール」は、日本の健康系ビール類の先駆けだった
1980年にキリンが発売した「キリンライトビール」は、日本の健康系ビール類の先駆けだった

怖い上司

「この人が、一番搾りをつくった『レジェンド』か……」

89年入社の山田精二は、初めて会った前田を前に、ガチガチに緊張していた。

どちらかと言えば体育会系で、日頃は緊張しない山田だったが、前田が発する「オーラ」のようなものに、いつの間にか圧倒されていたのだ。

広島県出身の山田は、地元の修道高校から早大政経学部へ進んだ。学生時代はバスケのサークルに所属。サークルとはいうものの、体育会並みに活動していたので、バスケ漬けの4年間を送る。

その後89年にキリンに入社。東京支社で八王子方面などの営業を担当していた。

山田が前田に会うことになったのは、東京支社の上司で、「伝説の営業マン」と呼ばれた真柳亮に誘われたからだった。前田がキリンシーグラムへ出向していた1996年のことだった。

場所は銀座、都合四人ほどの酒宴だった。

前田はほとんど発言せず、真柳や山田たちの話を静かに聞いていたという。

それから約3年後の、1999年3月下旬。

山田は東京支社での活躍が認められ、マーケティング部へ異動することになった。

マーケティング部の部長は、キリンシーグラムから戻ってきていた前田である。

山田がさっそく前田のもとへ挨拶に行くと、前田は山田のことを覚えており、高級和食店で一緒に昼食をとることになる。他、マーケティング部の先輩2人も一緒だった。

一行が向かったのは、中央区新川のキリンビール本社に近い、和食店の2階。畳敷きの部屋で、柔らかな陽光が差し込んでいる。

ただ、前田が山田にかけた言葉は、かなり厳しいものだった。

「東京支社で『できる奴』と言われて、エエ気になっとんのとちゃうか。けどな、マーケティングの仕事っちゅうのは、厳しいもんなんや。使いものにならんかったら、1年、いや、半年で代えるからな」

前田にこう言われ、山田は殊勝に「はい」と答えるしかなかった。

同席した先輩2人は、刺身定食を美味しそうに平らげていた。だが、山田が頼んだ鰆の西京焼きは、まだ半分以上残っている。

前田に圧倒され、山田はどうしても箸が進まなかった。

『前田さんは、怖い人だな……』

山田はつくづくそう思った。

一方の前田は、甘鯛の塩焼きをぺろりと平らげ、次のように続けた。

「その人間が残念ながら使いものにならんかった場合、さっさとマーケティングから外したほうがええんや。何も人格や能力が全部ダメちゅうことやない。新商品の開発や、ブランドのマネジメントには向いとらんちゅうだけや。

マーケティングは、向き、不向きが分かれる仕事や。向いてない人間に情けをかけて、ずっとマーケティング部に置いといても、本人にもええことは何一つない。会社にとってもマイナスや。

要するに、その人間に適性があるかどうか、上司が判断するのは、本人のためでもあるちゅうことや」

最後の有望株

山田は、異動する直前の99年1月14日に発売されたばかりの「ラガースペシャルライト」のブランドマネージャーとなる。

「ラガースペシャルライト」は、糖質を50%カットした健康系ビールである。アルコール度数は5.0%。

「ライト系、すなわち健康系のビールは、いつか必ずヒットする」

当時、前田は山田にこう話していたという。

「ライト系」と「健康系」は、ほぼ同じジャンルといっていい。

健康、特に太りすぎを気にする消費者は、ビールの「糖質」を気にするようになっていた。

糖質こそ、ビールのカロリーの元だったからだ。

一方、「ライト系」はやや曖昧な概念だが、アルコール度数が4.5%未満のいわゆる「ライトビール」を指している。

「ライトビール」は、醸造の過程で、糖質を残さないように工夫されている。

まず、原麦汁濃度を下げ、その後生成される「糖化液」も、糖質が少ない。

そこからさらに、もともと少ない糖質を、酵母が徹底的に食べつくす (発酵度を高くする)。

その結果、残糖が少ないビールが完成する。

カロリーでは、従来のビールの3分の2から半分、アルコール度数は2.8%~4.3%と、こちらも通常のビールより低い。

代表的な「ライトビール」の「バドワイザーライト」のアルコール度数は4.2%。

一方、「バドワイザー」のアルコール度数は5.0%である。

「コーヒーに例えるなら、ライトビールはいわばアメリカンです。

薄いコーヒーにするため、使うコーヒー粉の量から減らし、その少ない粉を、さらにフィルターでしっかりろ過して、薄いコーヒーにしているわけです。

ライトビールでは、使う原料を減らし、わざと薄くした糖化液を使います。

もともと糖質が少ないため、発酵度を上げても、アルコール度数が高くなりません」

と、あるビール会社の元技術者は説明してくれた。

アメリカでは1970年代前半から、「ミラー・ライト」などの「ライトビール」が登場していた。

その後80年代になると、「ライトビール」がアメリカのビールの主流になっていく。

健康意識の高まりを受けて、カロリーの低い「ライトビール」が支持されていったのだ。

余談だが、80年代以降、アメリカでは鶏肉の人気が高まっていく。

牛肉と比べ、鶏肉は脂肪分が少なく、カロリーが低い。そのため健康意識の高い人々の支持を集めたのである。

一方、99年の日本では、まだまだ「ライトビール」は普及していなかった。

「ライトビール」に先鞭をつけたのはキリンだった。

1980年に発売した「キリンライトビール」は、キリンにとって戦後初の新製品だった。

「当時の小西秀次社長はキリンライトビールしか飲まなかった」

と、あるキリン幹部が語っていたほど、キリン経営陣の思い入れも強い商品だった。

「キリンライトビール」は、従来品よりカロリー30%オフ、アルコール度数は3.5%とかなり低かった。

その後も、84年にサントリー「ペンギンズバー」(カロリー30%オフ、アルコール度数3.0%)、93年のサッポロ「カロリーハーフ」(カロリー50%オフ、アルコール度数3.0%)、96年のアサヒ「ファーストレディ」(カロリー20%オフ、アルコール度数4.5%)、99年のラガースペシャルライトなど、約20年間のあいだに約20種類もの「ライト系(健康系)」ビールが発売されていた。

だが、それまでのところ、「ライト系」は日本でアメリカ市場のようには受け入れられなかった。「ライト系」の割合は、99年でビール・発泡酒市場の1%にも達していなかったのである。

その最大の理由は、それまで投入された「ライト系」のほとんどが薄味で、アルコール度数が低いため、「飲み応え」に欠けるからだった。

高温多湿な日本では、ビールに「爽快感」が求められる。

同じ醸造酒のワインを、消費量においてビールが圧倒しているのは、これが大きな理由だった。

2000年ごろの日本でも、「健康意識」は高まりを見せていた。

だが、ビールに「健康」より「爽快感」や「癒やし」を求める人の方がまだ多かった、ということだろう。

もう一つの理由は、価格だった。

諸外国と比べて、日本はビールの酒税が高い。しかも、アルコール度数の低い「ライトビール」でも、酒税は安くならない。

そのため、「ライト系」と一般のビールは同じ小売価格で売られていた。

そうした理由もあって、「健康のことは気になるが、わざわざライトビールを飲むほどではない」といった消費者が多かったのだろう。

それでも前田は、「ライト系」はきっとヒットすると考えていた。

94年にいわゆる「地ビール」が解禁、現在のクラフトビール文化の土壌が生まれ、一部では個性的なビールも増えていた。

もっとも、そうした動きが顕著になるのは2015年以降だ。

99年当時、沖縄のオリオンビールを含めたビール大手5社は、澄んだ淡色でホップの苦みを利かせた「ピルスナー」タイプを量産していた。

こうした「ピルスナー」タイプは、発酵を終えた酵母を、最後に下に沈める、「下面発酵」と呼ばれる醸造方法がほとんどだった。

「下面発酵」で作られるビールは「ラガー」と呼ばれている。

ラガーとは「貯蔵」を意味するドイツ語だ。

一方、最終的に酵母を上に浮かべる「上面発酵」という方法もある。

この「上面発酵」で作られたビールは「エール」と呼ばれ、華やかな香りが特徴だ。

ちなみに、現在ではクラフトビールメーカーを中心に、「上面発酵」のビール・発泡酒は生産されている。フルーティな香りが特徴の「ペール・エール(PA)」、PAをはるばるインドに運ぶためにホップを大量に使った「インディア・ペールエール(IPA)」などは、日本でも人気。最近は、大手もつくっている。

ただ、あくまで当時の主流は「下面発酵」の「ピルスナー」タイプ。

その中で、これから売れそうな「最後の有望株」が「ライト系」「健康系」と前田はどうやら読んでいた。

しかも、「発泡酒」なら、値段を抑えた「健康系」商品が可能だ。

当時すでに各社はその可能性を探りはじめていた。

永井 隆(ながい・たかし)1958年生まれ。フリージャーナリスト。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動を行う一方、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。 主な著書に『移民解禁』(毎日新聞出版)、『アサヒビール30年目の逆襲』『サントリー対キリン』『EVウォーズ』(日本経済新聞出版社)、『究極にうまいクラフトビールをつくる』(新潮社)など。

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