天皇としてギリギリの苦言 情報社会の陛下の苦悩 社会学的皇室ウォッチング!/24=成城大教授・森暢平〈サンデー毎日〉
天皇陛下は誕生日の記者会見で、昨年の眞子さんと小室圭さんの結婚をめぐる報道に関し、異なる考えの人に配慮・尊重する社会の構築が必要だと述べた。天皇という立場からすれば、かなり踏み込んだ苦言だった。
記者会見は62歳の誕生日を2日後に控えた2月21日夕刻、皇居・宮殿の石橋(しゃっきょう)の間(ま)で行われた。天皇陛下はまず、「人々が自分の意見や考えを自由に表現できる権利は、憲法が保障する基本的人権として、誰もが尊重すべきものですし、人々が自由で多様な意見を述べる社会をつくっていくことは大切なことと思います」と前提を述べた。
言うまでもないが、戦前、皇室への「不敬ノ行為」は処罰の対象であった。この不敬罪は戦後廃止された。だが、皇室が言論への抗議に抑制的であるのは、議論への介入が、戦前の言論統制を想起させることへの配慮があるためだ。
そのうえで、天皇陛下は次のように続ける。
「一般論になりますが、他者に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要があると思います。他者の置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております」
天皇陛下は「一般論」と断っている。ただ、記者は「眞子さんの体調に影響を与えたとされる週刊誌報道やインターネット上の書き込み」について尋ねているので、眞子さんを念頭に置いた答えであることは明らかだ。
宮内庁は昨年10月、眞子さんが複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されたと明らかにした。診断にあたった精神科医、秋山剛氏は「誹謗(ひぼう)中傷と感じられる出来事が長期的に反復され、逃れることができないという体験をされた」と説明している。
皇族は誹謗を受けたとしても現実に反論ができない。天皇陛下が述べた「他者の置かれた状況」とは、一義的には、眞子さんが置かれた状況のように、私には聞こえた。心ない一部報道に対してのギリギリの苦言であろう。
明らかな皇室ヘイト
思い起こすのは、最近まで繰り返されていた雅子さまへの誹謗である。
例えば、『週刊新潮』(2012年1月5・12日号)には、「雅子さまに御(ぎょ)された『東宮』のラスプーチン」という記事が載った。そこには、匿名の東宮職OBによる次の発言が引用されている。
「ご懐妊の兆しが見える数年前、東宮ご夫妻が揃(そろ)ってある地方都市を視察されたことがありました。土地の産業や地域の過疎化などについて、県や市の幹部らと意見交換し、食事をともにされたのですが、後日、妃殿下は『ああいう集まりには、もう二度と出席したいとは思いません』と仰せになったのです」
記事は、意見交換会が当時の雅子さまの暮らしとは関係がなく、関心がないとの趣旨で発言したと解説する。発言に耳を疑ったとされるそのOBは「皇族のお立場というものについて、根本的にご理解が異なっているのではないか、という違和感を強く覚えた」と雅子さまを批判した。
今、秋篠宮家をさんざんに非難する『週刊新潮』は当時、雅子さまを悪(あ)しざまに描いていた。雅子さまの体調が今も万全でないのは、当時の報道がトラウマとなり、それを乗り越えられないためだ。雅子さまは、身に覚えのない数々の誹謗記事に傷つき、今にいたっている。
一部週刊誌は雅子さま叩(たた)きに興じていた過去を忘れたように今、新たな標的である秋篠宮家を批判する。
要するに、常にスケープゴートを探しているのである。不満や憎悪を特定の対象に集中し、世間の人身御供(ひとみごくう)にする。
明らかな皇室ヘイトが横行する世の中が果たして健全なのか。天皇陛下は立場上、直接的な反論はしなかった。しかし、誕生日の発言の背後には、ターゲットを変えて皇室を誹謗し、読者の歓心を引く一部週刊誌への疑問があるだろう。書かれる者の立場を考えての報道なのかという疑念である。
操作可能なネット世論
より深刻なのは、ネットの世界である。
ブログやSNSが出始めた2000年代初頭、多くの識者は、情報の不均衡という秩序は、誰もが発信者となれるネットによって、民主的になると論じていた。発信者の創発性によって知的なサイバー空間が出現すると議論されたのである。
今、ヤフーのコメント欄やツイッターの現状を見て、そうした楽観論を述べる者はいなくなった。
皇室記事に対するヤフーのコメント欄を見ると、炎上しているように見えて、実はほとんど同じような意見が続くことがある。いくつものアカウントを持つ悪意ある者が炎上を演出することも可能なのである。
この件に関連し、毎日新聞客員編集委員の小川一氏が興味深い指摘をしている。小川氏は、ヤフーのコメント欄が外国機関の情報工作の標的になるとの報道(『毎日新聞』2022年1月1日)を受け、「他国の諜報(ちょうほう)機関が、日本を混乱させるために皇族への中傷を画策するという想像力は持つべきだろう」と述べている(「メディア展望」2月号)。
外国機関でなくても、世論を攪乱(かくらん)しようという悪意で、ネット世界は操作可能な対象である。
悠仁さま進学をめぐっても、ネット上では、アンチ発言から男系支持者によるそのカウンターまで、さまざまな言論が飛び交う。何が本当のことか、人びとは皇室情報の海で溺れかかっている。
そう考えると、天皇陛下が言う「異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会」というのは、ユートピア的な楽観論すぎるかもしれない。
それでも21世紀の皇室は、混乱する情報社会で、レゾンデートル(存在意義)を見付けていかねばならない。その中心にいる天皇陛下の苦悩や思いは、会見が50分近くの長時間に及んだことからも分かる。だが残念なことに、皇室の情報発信がいかに「正しく」行われようとも、それが「正しく」受容される時代ではなくなってしまった。
令和の皇室はそうした苦悩の時代の中にある。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮社)、『近代皇室の社会史―側室・育児・恋愛』(吉川弘文館)など