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週刊エコノミスト Online

私学の〝東西の雄〟トップ対談 「たくましい知性を」早稲田大・田中愛治総長×「良心教育の継続を」同志社大・植木朝子学長〈サンデー毎日〉

大隈重信
大隈重信

 2022年は早稲田大の創設者・大隈重信の没後100年に当たる。その大隈と親交が深かったのが同志社大の創設者の新島襄だ。節目の年に私学の「東西の雄」、早稲田大・田中愛治総長と同志社大・植木朝子学長が対談。目指す〝学び〟の姿などを語り尽くす。

没後100年・大隈重信 物心両面で新島襄を支えた

――大隈重信と新島襄は元々深い交流があり、同志社の創立に当たっては、大隈が物心両面で援助したということですね。

田中 NHKの大河ドラマ「八重の桜」でも、大隈が新島先生を財務的に助けるという場面がありました。経済的に困窮している同志社英学校を盛り立てるために寄付を集める奉加帳を回したと。

 実は、私の恩師である内田満教授が晩年に記した『政治学の一源流』という著書に登場する方々の多くが、同志社のご出身なのです。かつて早稲田では家永豊吉先生という同志社英学校出身の方が教壇に立った。このほかにも浮田和民先生、早稲田の野球部を創設した安部磯雄先生など、新島先生の薫陶を受けた方々が早稲田の教壇に立たれたのです。

植木 同志社にとっては、大隈先生が募金集会を開いてくださったことが、新島との交流のハイライトと言える出来事だと思っています。新島の大学設立運動に共鳴した井上馨氏と大隈先生のお二人が明治21(1888)年7月19日、経済界の重鎮を官邸に招いて寄付を募った結果、その場で3万1000円もの寄付の申し込みがありました。新島はそのことを「同志社大学設立の旨意」という文章などに記しています。

田中 大隈が「明治14年の政変」で下野した原因は民撰議院の設立を、すなわち国民が議員を選んで設立する国会の開設を、唱えたことにあるわけです。その時に大隈が考えたのは、日本の近代化のためには二つのことが必要だということでした。

 一つは政党政治、健全な野党が政権を担う与党に対立する軸を掲げて国会開設を目指すことが重要だと。もう一つは、国民が政治家を選ぶには国民の質を上げ、それを受け入れられるシステムをつくらなければならず、そのためには高等教育が必要だというものです。その際、大隈が師として仰いだのが、自分よりも教育者としての先達であり、専門家でもある福沢諭吉先生と新島先生でした。日本の近代化のために高等教育を進めるに当たり、福沢先生にいろいろと教えを乞うと同時に、新島先生の教え子である家永先生や浮田先生を東京専門学校に招いた。家永先生や浮田先生は留学経験があり、留学先の最先端の学問を早稲田に紹介してくださったわけですが、草創期の同志社の卒業生は英語で卒論を書き、発表するなど非常に能力が高かったとのことです。そうした方たちの力を借りようと思った大隈も非常に開明的だったと思います。

植木 新島が国禁を犯してまで米国に渡ったという点は、やはり非常に開明的だったと感じています。彼にとってキリスト教も大きな存在だったと思います。米国の先進的な政治学や自然科学といった学問を吸収した上で、キリスト教主義に基づいた「徳育」の部分を重視している点を顧みると、我々も創立者の想いを受け継いで、一人の人間としていかに教育に携わり、どのような人間を育てていくべきなのか、不断に考え続けなければならないと思っています。

新島襄
新島襄

大隈・新島の遺志を受け継ぎダイバーシティーを推進

――新島がさまざまな人々と交流のネットワークを築き、反対勢力からも受け入れられたというのは、新島の人間性によるところが大きいのではないでしょうか。

植木 新島は、徳育の基本をキリスト教に置いただけで、他の宗教を否定しているわけではありません。こうした寛容性、多様な考えや生き方を認め、受け入れていくという姿勢は、まさに現代のダイバーシティー(多様性)に通ずるものがあると思います。

田中 大隈もやはり開明的であると同時に、多様性を受け入れる素地はあったようです。かなり早くからアジアに門戸を開いたのは早稲田の特徴です。1905~10年までの間、清国留学生部をつくって、中国や韓国をはじめとするアジアの国々からおよそ3000名の留学生が早稲田で学んだということです。これが早稲田が東アジアで名声を得ることにつながった。早稲田を発展させた一つの原動力になったと思っています。

 また、当時、東京帝国大は英語で授業を行い、テキストも英語だったと言われていますが、早稲田は高田早苗を中心として、海外の先端の政治学や法学、経済学を日本語に訳し、日本語で高等教育を進めた。このように、母語で高等教育を行ったのはアジアでは日本が最初で、先鞭(せんべん)をつけたのが早稲田だった。これは『早稲田大学講義録』として全国に配布され、全国各地から早稲田で学びたい若者が上京した。これこそ現代の国際化につながる早稲田の多様性の第一歩で、今ではアフリカや中東、南米、東欧など世界各地の留学生が早稲田で学んでいます。

 早稲田は日本で最初に「GS(ジェンダー・アンド・セクシュアリティー)センター」を2017年に設立しました。男女共同参画はもちろん、性的少数者も自由に学べるような環境を整備しました。

同志社大学
同志社大学

――同志社大は入試で障害のある受験生も受験できる体制の整備に、いち早く取り組んできました。ダイバーシティーの推進にも取り組んでいますね。

植木 目が不自由な学生も受験できるよう、1949年に国内で初めて入学試験における点字受験対応を開始するなど、早くから体制整備に努めてきました。今年度からは「スチューデントダイバーシティ・アクセシビリティ支援室」という学生支援のための組織を立ち上げ、多様な性自認・性的指向を持つ学生のための相談窓口も設置しました。本学は元々、障がい学生支援に力を入れてきましたが、今後は男女共同参画に加え、性的少数者を含めた多様な背景を持つ学生や教職員の生きづらさを軽減し、それぞれが自分らしく輝けるような「ダイバーシティキャンパス」を推進していきます。

――早稲田大は2021年度入試(21年4月入学)から一般選抜で、大学入学共通テストの数学を必須として話題になりました。同志社大も早くから記述式の問題を取り入れ、思考力を重視した入試を行うなど、入り口の段階から社会にメッセージを発信してきました。

田中 本学が、政治経済学部の入試科目で数学Ⅰ・Aを必須としたのは、政治経済を学ぶ上で、数学的なものの考え方が必要とされるからです。18年度からは政治学科でも統計学入門を必修としましたが、04年にできた国際政治経済学科では、当初から統計学入門、経済数学入門、ゲーム理論入門を必修としていたのです。このように政治系学科でも授業で統計学など数学的な理解力を必要とするようになってきた。それが拡大していったとも言えますが、今や社会の潮流とも合致することになった。すなわち入試改革というよりも、目指す人材育成に必要だという観点から導入したわけです。

植木 記述式問題は小手先の受験テクニックでは通用しない。受験生が文章全体を理解しているかを確実に把握できますし、数学の証明問題なども全体を俯瞰(ふかん)して見られているかどうかを測ることができる。今後も記述式問題は大事にしていきたいと思っています。

早稲田大学
早稲田大学

97年から「国内留学」今なお引き継ぐ交流

――国内留学制度を設けるなど両大学の交流は今も続いています。

田中 同志社大との国内留学制度は1997年度からスタートしました。私は97年度に「教養演習」を担当し、統計学とパソコンを使った政治学の実証分析入門を教えていました。そこに飯田健君(現在は同志社大法学部教授)という同志社からの交換留学生も出席していました。彼は、私のゼミで選挙や投票行動などについて1年間学んだ後に、同志社に戻って法学部の西澤由隆先生という、投票行動や計量政治学が専門の先生のゼミに入りました。その後、同志社大のアメリカ研究科の大学院で修士まで終えてからテキサス大に留学して博士号を取り、早稲田の高等研究所の助教を経て、今は母校の教授になっています。彼だけでなく、同志社大に留学した女子学生が、早稲田に戻って私のゼミに入るなど交流は活発に続いています。同志社大との交換留学は単なる形式ではなく、共に学生を育てるシステムとなっているのです。

植木 同志社から早稲田に派遣した学生を見ると、政治や経済など社会科学を専攻する学生が多く、政治経済の中心である東京にある早稲田で学ぶことに魅力を感じ、田中先生のゼミなどで学びたいという気持ちが強いようです。早稲田から来てくれる学生は4割が文学部に集中していて、両大学の地の利を生かした学生交流という目的は果たせていると思います。

 双方の学生から「視野が広がった」「人間関係が深まった」、さらには文化や風土、人々の雰囲気や校風の違いを感じることで「母校についての深い理解を得られた」といった声が多く聞かれます。本学の学生は、新しい情報がいち早く入手できる早稲田で、グローバル企業のトップをはじめ著名な方の講演を聴く機会が非常に多く「勉強になる」と交換留学のメリットを述べています。早稲田から来た学生は、(京都で)歌舞伎や文楽など「伝統芸能の生きた資料に触れることができる」、祇園祭をはじめとする祭りに参加したり、町家建築などの「文化財を身近に見られる」といった、文化的・芸術的な学びの領域に対し、前向きな感想を述べてくれる人が多く見られるのが特徴と思います。

同志社大学・植木朝子学長
同志社大学・植木朝子学長

――現代は「解」のない時代とも言われます。そんな時代に、どのような人物や人材を育成しようと考えられていますか。

植木 混迷する時代の中でコロナ禍に見舞われ、社会の分断、不寛容、差別といった問題がより顕在化するようになり、改めて全ての根底にある倫理というものの重要性を認識させられた今こそ、本学が建学の精神として掲げている「良心教育」、良心を持って誠実に事に当たることで課題を解決し、社会に貢献できる人物を育てていくことの重要性は、よりいっそう高まっています。

 同時に、創立者の言葉にある「人一人は大切なり」ということも、SDGs(持続可能な開発目標)に「誰一人取り残さない」と言われている時代にあって、大学の根本姿勢として推進していく必要があると思います。さまざまな考えや境遇、背景を持った他者を尊重し、その違いを新しい創造につなげていくという力を持った人物を育てていきたいですね。

田中 大隈が創立30周年の時に、早稲田大の教旨として「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」の三つを宣言しました。自分の身や家、組織、国のことだけを考えず、世界人類のことを考える、世の中のためになる人材を育てるには、学問を活用しなければならない。そのためには、権力や金欲、名誉欲に左右されない学問を学んでほしいというわけです。このように、この三つの教旨は、社会や人類への貢献、利他の精神を重視しており、この考えは、新島先生の考えと非常に共通するものがあると思います。

 彼らが生きた時代は、正に答えのない問題に挑戦しなければならない時代だった。現在も同様で、地球規模では気候変動やコロナ禍によるパンデミック、国内でも少子高齢化や地方都市の衰退など、確たる答えが見つからない課題が山積しています。だからこそ、自分の頭で考え、解決策を考えるには、やはり学問が重要だと思います。過去の人類が未知の問題にどう挑戦したかを知ることは今、我々が直面している未知の問題を解決するためのヒントにもなる。学生たちには学問をないがしろにしないでほしいと言いたいですね。

早稲田大学・田中愛治総長
早稲田大学・田中愛治総長

「文理」「性別」を超え多様に輝ける社会に

――両大学とも、今後どのような展望を描いていますか。

植木 まず、大前提として建学の精神を守り、良心教育を継続していくことは、私学・同志社の存在意義として欠かせないことだと思っています。

 現代社会に即応していく力の育成という点では、産学官連携を推進し、社会との連携を強化していきたい。本学では、環境問題に寄与するために20年4月「『次の環境』研究センター」を(空調機器大手)ダイキン工業株式会社と共に設立しました。また、大学院に「次の環境」協創コースという教育プログラムを設けました。ダイキンの社員と大学院生が共に学ぶもので、理系分野だけでなく、文学を専門とする教員が環境について教えるなど、人文・社会分野の教員も関わって環境問題解決に社会人と院生が共に取り組んでいます。このように企業と連携しながら文系・理系の枠を超え、さまざまな視座から課題にアプローチし、思考をアップデートする力を培うことこそ、大学が社会から求められているものでしょう。

田中 私は総長就任以来、二つのことを唱えています。一つは「たくましい知性を鍛える」ということ。たくましい知性とは、答えのない問題に対して、自分なりの解決策を仮説として提示し、それが妥当かどうか、データなどの根拠を基に検証する。もし間違っていたら一から仮説を立て直すというたくましさです。もう一つは「しなやかな感性を育む」。これはダイバーシティーにつながるものです。異なる価値観や言語、宗教、文化、性的指向、異なる世代を理解するしなやかさがないと、人類全体が満足するような解決策は生まれないと思っています。企業との連携もやはりダイバーシティーを受け入れ、かつ文理の壁を超えていく必要があると思います。

同志社大学

 1875年に創立された同志社英学校が前身。1912年に同志社大学と改称。現在は14学部に約2万6000人が学ぶ。学長室は京都市上京区今出川通烏丸東入

早稲田大学

 1882年に創立された東京専門学校が前身。1902年に早稲田大学と改称。現在は13学部(通信教育課程を含む)に約3万8000人が学ぶ。総長室は東京都新宿区戸塚町

大隈重信(1838~1922年)

 父は佐賀藩士。志士として活躍して明治維新後、参議や大蔵卿を務めるが、1881年に辞任。翌82年に立憲改進党を組織し、早稲田大の前身となる東京専門学校を創立した。88年には外相となり、98年と1914~16年に首相も務めた

新島襄(1843~90年)

 父は上州(群馬県)安中藩士。64年に密航して渡米し、ヨーロッパでも学び、キリスト教の洗礼を受けて帰国。75年に同志社大の前身となる同志社英学校を設立した。同年に婚約した妻八重は2013年に放送されたNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公

対談は2月中旬にオンラインで行いました
対談は2月中旬にオンラインで行いました

たなか・あいじ

 1951年生まれ。75年早稲田大政治経済学部卒。米オハイオ州立大大学院政治学研究科博士課程修了、Ph.D.(政治学)取得。東洋英和女学院大助教授、青山学院大教授、早稲田大政治経済学術院教授などを経て現職

うえき・ともこ

 1967年生まれ。90年お茶の水女子大文教育学部卒。同大大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻単位取得退学、博士号(人文科学)取得。同志社大助教授、教授、文学部長、副学長などを経て2020年から現職

 なお、対談全文は「エコノミストオンライン」で3月22日から、複数回に分けて掲載します。

 3月8日発売の「サンデー毎日3月20日増大号」には、他にも「保阪正康・特別寄稿 元KGB工作員プーチンの無謀な侵略戦争 ウクライナ危機を歴史から解読する」「日本人・日本語の起源が判明した! 考古学者マーク・ハドソン」「大学合格者高校別ランキング 全国160大学 私立大総集編 MARCH、関関同立…」などの記事を掲載しています。

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