週刊エコノミスト Online 洋上風力 価格破壊
《オンライン先行特集》三菱商事の安値受注に業界騒然 思惑外れた新産業育成の“国策”
秋田県沖2海域と千葉県沖の3海域で計画されている着床式洋上風力発電の開発、運営事業者を選ぶ日本初の入札で、三菱商事が3件すべてを落札し、産業界に衝撃が走っている。約1兆円の発注規模が半分以下に縮む水準の安値落札だったからだ。>>>「洋上風力 価格破壊」特集はこちら
設備や工事の受注を目論んでいた企業だけでなく、大型の再生可能エネルギー開発で地域経済の活性化を期待していた自治体からも落胆の声が上がっている。関連する500企業が加盟する日本風力発電協会は2月22日「価格さえ安ければ落札できる誤ったメッセージを与える」「基盤が整っていない関連産業の育成に支障を来す」と懸念を表明。今回の入札評価の情報開示や次回以降の入札評価方法の改善を国に求め始めた。
三菱商事はこれらの声に対し、米アマゾン・ドット・コムなど協力企業との地域貢献策を公表し、欧州での洋上風力の経験や、5000億円で買収したオランダの再エネ大手の知見を活用できる点を強調する。
ただし、ここへ来てロシアによるウクライナ侵攻で石油や鉄鋼製品など資源や資材価格が急騰し、低コスト実現に暗雲が漂い始めた。
2040年には最大で原発45基相当の基幹電源とし、洋上風力をモノづくりニッポンの新たな産業に育てようという構想が揺れている。
EVで失われる雇用の受け皿
「日本に残された最後の産業。これだけ大きい裾野がある産業は洋上風力しかない」。北九州市沖で19年に実証運転を開始した洋上風力の構造物を手掛けた日立造船の藤田孝部長はこう語る。
洋上風力は1万~2万点の部品で構成されるが大半がまだ輸入品。これが新しい産業となれば「EV(電気自動車)で失われるガソリン車の雇用喪失の受け皿になる」と、菅義偉前首相は官房長官時代から期待し、20年7月に経済産業省と国土交通省、産業界を中心に洋上風力官民協議会を設立。30~35年の発電コスト8~9円(キロワット時)と、部品の国内調達比率6割を目標に40年までに最大出力45ギガ㍗(4500万㌔㍗)を整備する、という国家ビジョンを打ち立てた。
29円でもざわついた業界
しかし、10年かけて低コストを実現し、産業基盤を整備しようという構想は入札第一弾で想定以上の価格低下が進み「速すぎる」と産業界から困惑の声があっている。
国内初の商業ベースの洋上風力は、16年4月、秋田港と能代港の港湾に合計14万㌔㍗を建設する総額1000億円の計画としてスタート。丸紅が中心となり、大林組、東北自然エネルギー(東北電力子会社)、コスモエコパワー、関西電力、中部電力、秋田銀行、地元企業など13社が事業者に選定され、いま建設中だ。
この時の発電価格は固定価格買取制度(FIT)の下で36円(㌔㍗時)で始まった。
三菱商事が落札した秋田県能代市・三種町・男鹿市沖(出力48万㌔㍗)、同県由利本荘市沖(82万㌔㍗)、千葉県銚子市沖(39万㌔㍗)の3海域は合計で約170万㌔㍗。一気に10倍以上に大型化したが、上限価格は同29円に引き下げられ入札が行われた。
この価格でも「業界はざわついた」(電力会社)が、昨年の12月24日に三菱商事グループが上限価格の4割(11.99円)から6割(16.49円)で落札、他の7社グループを退け(表参照)、応札した企業や関連業界、地元の漁協にまで衝撃が走った。
国民負担は減るが…
しかし国民にとって安い発電コストは悪い話ではない。風力や太陽光などの再生可能エネルギー電源は、固定価格で電力会社が買い取り、普及を促進している。通常の電源より高い発電コストは、再エネ賦課金として国民が払う電気料金に上乗せされる。三菱商事の価格は、国民負担を軽減するメリットがあるのだが、産業界や地元自治体がざわついたのは「価格だけの戦いとなれば関連産業も地域経済も共倒れになる」(電力会社)という懸念があるからだ。
風車すら作れない日本
日本にはいま風車を製造する工場がない。19年に日立製作所が製造から撤退したからだ。風車だけではなく、ナセルと呼ばれる風車の中心部分にある発電機などで構成される基幹部分は、東芝がこれから横浜で組み立て工場を作るし、風車を支えるタワー(支柱)は中国からの輸入だ。モノパイルと呼ばれる基礎杭はJFEエンジニアリングが400億円を投じてこれから建設する。
大型構造物を据え付けるクレーンを搭載したSEP船という作業船は清水建設などゼネコンが数百億円規模で建造中だ。大型投資を決断した企業は、これから償却負担を迎える。
洋上風力の開発で先行する欧州には70年代から本格化した北海油田の開発で培われた海洋土木の技術の蓄積や産業基盤が育っているが、日本はほぼゼロからのスタート。このため10年以上前から新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)や経産省、環境省の実証事業として福島、千葉、福岡、長崎などで、ゼネコン、電力、ガス、重電、造船、商社などが開発を進めてきた。その商業ベースの大型第一弾が今回の3海域の入札だった。
価格重視に地元の不安
開発や入札方式が確立されていない日本では、入札で敗退した再エネ専業会社のレノバや日本風力開発と、ゼネコンの大林組の3社が民間企業の洋上風力開発を可能にする再エネ海域法の成立前から秋田県入りし、手弁当で環境影響調査やボーリング調査を実施し、実現を後押ししてきた。
秋田県の地元や隣接する山形、青森の自治体や漁協は、この活動をつぶさに見てきたから、三菱商事が上限価格の半額から3分の1の弱という水準で落札したことに不安を感じた。「汗をかいた人が評価されなかった」「あの価格で地元に還元する財源はあるのか」という不安だ。
実際に千葉県では、発電事業の収益から供出され、漁業振興などに使われる出捐金が稼働から20年にわたって計118億円支給されるが、秋田県の2海域は、売電収入の0.5%を20年にわたって供出するルールを地元の法定協議会で決めていたため、出力規模も海域も千葉の3倍以上あるのに、出捐金の見込み額が千葉の半額以下になるという事態が発生することになった。隣接する県で洋上風力の誘致を進めている自治体や漁協からも懸念の声が出ている。
こうした声を意識して三菱商事は2月24日、アマゾンや再エネ開発を手掛けるNTTアノードエナジー、キリンホールディングスを協力企業として、地域のサプライチェーン(部品などの供給網)構築や人材育成の取り組み、売電収入が入る前段階からの漁業への支援や地元の大学への講座開設などの地域共生策を発表した。
批判の矛先は公募したエネ庁に
ただ関連する産業界からは、三菱商事よりも、入札を公募し評価を行った資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部の情報開示姿勢や入札の制度設計に対する不満が強い。
日本風力発電協会は、2月22日に発表した「今後の公募に向けた提言」の中で、業界の疑問や懸念を集約し、「入札評価がどのように行われたのか不明」という点を真っ先に挙げた。
三菱商事は今回の入札で価格が最安値だっただけでなく、事業実現性の定性評価も高かったが、どこが高く評価されたのか、情報開示がほとんどないのだ。他社も同じで、自分の札のどこが評価されたかが分からない。「運転開始時期は早い方が高く評価されると理解していたが、評価対象になっていないのか」といった声もある。三菱商事より4年早い操業開始を提示した企業もあったからだ。
「価格点の評価が圧倒的な比重で、地元との共生を軽視する結果になりかねない」「価格さえ安ければ落札できるという誤ったメッセージを与える」「最初からのこの価格レベルになると基盤が整っていない関連産業の人事育成や、サプライチェーン構築に支障を来す」といった声もあった。協会では、これらの意見を集約し、6月10日に締め切られる秋田県八峰町・能代市沖を対象とした第2回の公募入札から制度改善を政府に求めた。
今回の第1回の評価のポイントや選考の経緯を可能な限り詳しく公表し、定性点も価格点と同じ配点方式、すなわち最高評価の事業者に120満点を与える仕組みにすべきだ(今回の定性点の最高点は98点)、といった改善案や、地元の利害関係者が地域共生の観点で評価し、応札企業を3~4社に絞り込んでから価格入札を行う方式の提案だ。
こうした提言は再エネやPFI(民間資金によるインフラ開発)の法律に詳しいベーカー&マッケンジーの江口直明弁護士も主張しているが、エネ庁は「すでに第2回は公募が始まっているため、第3回以降に検討する」と回答している。
欧州でも経験した価格破壊
議論が沸騰するなか、今回の入札で失注した企業で唯一取材に応じたJERAの矢島聡執行役員は「欧州も洋上風力の草創期には大変な混乱が生じた。入札制度は議論し尽くして何度でも改善していけばいい」と語る。
欧州の洋上風力の開発経験がある丸紅の海外電力プロジェクト第3部の舘上博部長は「欧州でも00年代初頭は固定価格買取制度(FIT)だったが、16、17年の入札で20~25円の水準が一気に10円の世界に突入した歴史がある。ただ欧州は15年かけてサプライチェーンを構築してきた歴史がある」と語る。
欧州の洋上風力に詳しい京都大学の山家公雄特任教授も、16、17年にオランダやデンマークで急激な価格低減が進んだ背景には、「政府が長年にわたり研究し、環境評価の事前実施や送電線の整備、事業リスクを一定程度引き受けたうえで価格入札するセントラル方式を導入していたからだ」と解説する。
22日に政府への提言を行った風力発電協会も、国が風況や海域の調査、環境アセスメントに必要な情報を取得し、送電線の接続や容量の確保を進めたうえで入札を行うセントラル方式の適用をできるだけ早期に実現するよう要望している。
開発リスクの一部を国側が引き受け、入札条件を公平にして企業が価格勝負に専念する方式への入札制度改善だ。今回の三菱商事の価格破壊は、こうした議論を加速させる効果はあるだろう。
英国では価格競争を防ぐ二段階入札
今回、価格破壊が問題となっているのは着床式洋上風力だが、この後には世界でもまだ実証段階の浮体式大型洋上風力という巨大商談が控えている。実はこの浮体式の商談で、価格競争を避けるユニークな取り組みが英国で始まっている。
丸紅は今回、第1回の入札には参加しなかったが、13年には福島沖、18年には北九州市沖で始まった浮体式洋上風力の開発主体となって実証試験を行った経験を持つ。この実績を生かし、今年1月には英スコットランドの海域約860平方㌔㍍で260万㌔㍗という世界最大規模の浮体式洋上風力発電の独占的な開発権を落札している。
丸紅がこの海域で事業化のめどを立てられれば、英国の他の海域で計画されている別の浮体式洋上風力発電のプロジェクトと競争となり、改めて売電価格を決める入札に挑戦する。この入札に勝てば事業が進むが、仮に落札できなくても開発権をはく奪されることはなく、次回以降の入札に何度でも挑戦できる。
この方式だと、これまでの実績や事業の実現性など定性面の評価の比重が高まるため、過度な価格競争を避けることができる。
先行する欧州の洋上風力産業の入札制度から多くを学ぶべきと発言してきた京都大の山家教授始め、多くの関係者が「この二段階方式こそ日本が学ぶべきだ」と指摘する。
漁協が出資する仕組みを
産業界は価格破壊の問題で持ち切りだが、エネルギー行政に詳しい国際大学副学長の橘川武郎教授は、「洋上風力の基幹電源化を加速させるゲームチェンジャーとして三菱商事は役割を果たした」と評価する。「特定地域の地元対策より、定量的に規模の経済性を追求した提案は三菱商事以外になかった。セントラル方式の導入は確かに一理あるが“10年かけてサプライチェーンを構築し値段を下げる”という発想自体が古い。大事なのはスピード。11.99円でも世界ではまだ高い」と指摘する。
さらに「洋上風力の事業主体に漁協自身が出資するなど地元に利益を還元する仕組みを磨き上げればいい。みなそこまでやっていない」と大胆な開発手法を提案する。
インタビューに応じた三菱商事エナジーソリューションズの岩崎芳博社長も、三菱商事が買収した欧州の再エネ会社、エネコを使い、他社にないノウハウを活用できる点や、欧州市場に多くの開発計画を持っているエネコの購買力や交渉力を利用できるメリットを説明する。
最大の敵は資源インフレ
むしろ今、三菱商事にとって最大の敵はロシアのウクライナ侵攻を引き金とする資源インフレだろう。石油・ガスだけでなくロシアは鉄鋼製品、アルミ、ニッケルなどでも世界有数の産出国だ。実はウクライナ危機が起きる前から、「1ギガ㍗の風力タービンには、387㌧のアルミ、2866㌧の鋼、15万4352㌧の銅が必要」(ブルームバーグNEF)で、世界風力エネルギー協会は「コスト圧力が風力に影響を及ぼし始めている」と懸念していた。世界最大の風力タービン生産国であるデンマークのベスタスは、原材料価格の上昇などから21年の需要見通しを引き下げ、「コモディティ商品のインフレが起きている」と警鐘を鳴らしていた。20年9月の話だ。
つまりグリーンインフレともいえる状況の中でウクライナ危機による資源・コモディティの「脱ロシア・インフレ」がいま始まったのだ。史上例を見ないインフレが発生しても提示した価格で三菱商事はやり切れるのか。これが最大のリスクではないか。
(金山隆一・編集部)