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ロシアが仕掛けた“ガス戦争” 日本はサハリン、北極圏LNGを手放せるか

「サハリンから液化天然ガス(LNG)が来なくなったら債務超過に陥るガス会社もある。欧米の石油メジャーに同調してロシアから撤退すべきではない」(ガス大手首脳)。

 ウクライナ侵攻に対する制裁として、英BP、英蘭シェル、米エクソンがロシアでの石油・ガス事業からの撤退を表明した。とりわけ衝撃的だったのがシェルのサハリンLNGからの撤退だ。

30年越しの日の丸LNG

 サハリンLNGは1990年代に日本の三井物産と三菱商事が参入し、2009年に操業を開始した30年越しの日の丸プロジェクト。わずか3日で日本に届くサハリンのLNGは、中東の2週間に比べ大きな優位性がある。

 サハリンのLNGは日本が調達するLNGの8.8%(21年)に過ぎないが、広島ガスは全体の約5割、東邦ガスは2割、九州電力、東北電力、東京ガスも1割をサハリンからのLNGに依存している。サハリンからの供給が途絶えれば、日々価格が変動するスポット市場でLNGを調達しなければならないが、価格が高騰しているだけでなく、ロシアのウクライナ侵攻でLNGの争奪戦が発生し、量が確保できない可能性もある。

 仮に日本がサハリンから撤退しても「代わりに中国が格安で権益を取得する」(ロシアのガス市場に詳しい専門家)、「ロシアに設備を接収されるだけ」(大手商社)との指摘もあり、「いま撤退すべきではない」というのが商社や石油ガス業界の偽らざる本音だ。

いまもロシア産ガスに依存する欧州

 しかし、実はもっと大きなエネルギー戦争をロシアが仕掛けていることに欧州は気付き始めている。

 欧州首脳は3月11日、パリのベルサイユ宮殿に集まり、27年をめどにロシア産の化石燃料からの脱却を図る「ベルサイユ宣言」を採択した。欧州は現在、ロシア産石油に約3割、天然ガスに至っては4割以上を依存している。

 とりわけ深刻なのが天然ガスだ。欧州全体では年間1800億~1900億立法㍍をロシアから輸入している。LNGに換算すると実に年1・3億~1・4億㌧。LNGの大型開発はゼロからスタートすれば有に10年はかかるが「いま確実に進んでいるロシア以外の計画が順調に進んでもロシアの穴埋めをすることは不可能」とLNGプロジェクトの開発に詳しいエンジニアリング業界の専門家は語る。

 ドイツは12年に完成したパイプライン、ノルドストリーム1などを通じて年860億立法㍍の天然ガスをロシアから購入している。ウクライナ侵攻を受けて、新設のノルドストリーム2は開通を認めなかったが、この他にもウクライナ経由で東欧3カ国(スロバキア、ルーマニア、ハンガリー)、ポーランド、フィンランド、トルコなどが合計6本のパイプラインを通じてロシアからガスを輸入している。

 これが止まればロシアは国家収入を支える市場を失うが、欧州も寒い冬を越せなくなる。だからいまも欧州は、国際送金・決済システムのSWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアの銀行最大手のズベルバンクとガスプロムバンクを排除していない。2行はSWIFTを通じてロシア産ガスの決済を行っているからだ。

 しかし、これはあくまで猶予措置だ。ロシアは生命線ともいえるガス販売先を失うリスクがありながら、なぜ欧州を敵に回す戦争に踏み切ったのか。カギは中国だ。

ロシアのガス販売先に浮上した中国の存在感

 ロシアと中国は「シベリアの力」という天然ガスパイプラインを19年12月に開通させており、24年には年380億立法㍍に達する予定だ。この2月には極東向けパイプラインの建設で合意。さらにモンゴル経由の「シベリアの力2」が完成すれは、ロシアからの中国のガス輸入は980億立法㍍に達し、ドイツがロシアから買っている総量860億立法㍍を超える。ロシアが欧州に戦争を仕掛けた背後には「中国の存在がある」(ロシアのエネルギー政策に詳しい専門家)。

 世界のエネルギー情勢を振り返ると、ロシアのウクライナ侵攻前には、欧州は脱炭素に一直線に向かっていた。脱炭素の主役は再生可能エネルギーだが、一気には普及しないため、移行期のエネルギーとして天然ガスが注目されていた。

 その天然ガスは、昨年の欧州で春先まで寒さが続き、暖房用のガス需要が急増。例年より風不足で風力発電の発電量も能力通りに稼働せず、天然ガスの火力発電用需要も急増した。これにより欧州のガス価格が高騰し、アジアの価格にまで波及した。そこで欧州委員会は今年2月、脱炭素に向けた移行期のエネルギーとして原子力と天然ガスの開発を認める方針転換を決めた。そのタイミングでロシアが戦争を仕掛けた。

 今回の戦争はいわば天然ガスを軸に仕掛けたロシアのエネルギー戦争だ。

ドイツの現実主義

 ロシア産ガスに5割を依存するドイツは、ウクライナ侵攻を受けてエネルギー政策を大きく転換させる決意を示した。脱原発政党である緑の党の閣僚が2月27日に「22年末の原発廃止や30年の石炭廃止を慎重に考える必要がある」と発言をしたのだ。

 その直後の3月4日、ロシアがウクライナのサポリージャ原発を攻撃した。つまりロシアの原発攻撃で、世界が想定していなかったミサイル攻撃の対象になることが明白となり、脱炭素に進める移行期のエネルギーの二つの選択肢のうちの一つを消し去った。

 このタイミングで欧州首脳が「27年のロシア産化石燃料からの脱却」という「ベルサイユ宣言」を採択したことは、歴史的に大きな意味がある。

 ベルサイユ宮殿は、1919年に第一次世界大戦の戦後処理を決める「パリ講和会議」が開かれた場所だ。そこで今回のベルサイユ宣言を本気で進めれば、世界のエネルギー経済からロシアを排除し、世界経済の力学を変える世界史の転換点となる。しかし、世界はロシアのガスの穴を産められないまま、LNGの大争奪戦という大混乱に陥る可能性もある。

 ドイツは、原発や石炭の廃止を再考する姿勢を世界に示した。「この現実的なエネルギー政策の転換と、国際的な立ち位置の世界への明示こそが欧州の成熟した政治力だ」。日本のエネルギー基本計画で経済産業省の有識者会議委員を務める橘川武郎・国際大副学長はこう指摘する。 日本も制裁に向け、「ロシアの資源開発から撤退すべきだ、と言う議論だけで終わらせてはならない」(橘川氏)。

 ロシア産LNGは日本のエネルギー安全保障の根幹を揺さぶるもう一つの側面があるからだ。

日本に必要な北極圏LNG

 ロシア産ガスの重要性は日本に近いサハリンだけではない。

 日本はロシアの北極圏からLNGを輸送するため「アークティック2」と呼ばれる年産2000万トンのLNGプロジェクトを開発中だ。海が凍る北極海から運ぶため、砕氷船からLNG船に積み替える基地港を極東のカムチャッカに建設する。

 この実現のために日本政府は20年6月、石油天然ガス・金属鉱物資源機構法(JOGMEC法)の一部を改正し、LNGの積み替え・受け入れ事業にもJOGMECが出資や債務保証ができる機能を持たせた。

 なぜ日本政府がロシア産LNGに肩入れしているのかと言えば、世界からLNGを輸入するには、豪州など一部を除き、LNG船がホルムズ海峡かパナマ運河を通過せざるを得ないからだ。しかしロシア産LNGはこの二つのチョークポイント(戦略的に重要な海上水路)を通航しない。

 サハリンLNGにとどまらず、この北極圏LNGを維持できるか否かが、日本のエネルギー安全保障上の大きな岐路となる。

世界的にロシアへの経済制裁の圧力が高まる中で、ドイツは一度はやめた石炭火力発電の完全な廃止時期を遅らせる検討を世界に提示した。欧州全体では即実施が不可能なロシアからの天然ガスの輸入は止めずに、ロシアに圧力をかけるなど、世界経済が混乱しないギリギリの現実的なエネルギー戦略を模索している。日本も欧米とは異なる独自のエネルギー戦略が必要だ。(編集部・金山隆一)

 ロシアのウクライナ侵攻が世界を一変させた。政治も経済もこれまでの常識が通用しない時代に突入。市場では資源価格が高騰し、株価も下落、上昇を繰り返すなど先を見通せない状態が続いている。世界はどこへ向かうのか。3月29日号「ウクライナ侵攻 世界戦時経済」を緊急特集した。

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