「真実」と「非真実」の境界 雅子さま報道から考える 社会学的皇室ウォッチング!/31=成城大教授・森暢平〈サンデー毎日〉
『文藝春秋』5月号の記事に、宮内庁が反論した。元朝日新聞記者、斎藤智子さんの「愛子さま二十歳のお覚悟」に対してである。この原稿では、雅子さまが体調を崩すきっかけとなった出来事として2003年の宮中晩餐(ばんさん)会での「ご紹介飛ばし」が言及された。これに対し、宮内庁の西村泰彦長官が「到底起こり得ない」と遺憾の意を表明したのである。
斎藤さんは、体調を崩すトリガー(契機)となったのは、03年10月15日のメキシコのフォックス大統領を歓迎する晩餐会で、皇族一同が大統領を迎えるときであったと指摘した。「当時の天皇(現・上皇)陛下がひとりずつご家族を大統領夫妻に紹介していく場面で、雅子さまおひとりが紹介されなかった」と記述するのである。隣にいた紀子さまについては、父親の川嶋辰彦教授の肩書や業績まで紹介されたこととは対照的であり、雅子さまは、はた目にも青ざめて見えたと斎藤さんは続けた。
西村長官は4月14日の記者会見で、「上皇陛下への礼を失する誠に遺憾なことだ」と述べた。これに対し『文藝春秋』編集部は、「斎藤氏はしかるべき複数の取材源から信頼性の非常に高い情報を得て執筆しました。記事には自信を持っています」と反論した。 雅子さまをめぐっては04年5月、当時皇太子だった天皇陛下が「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言した。その前年12月、帯状疱疹(ほうしん)と診断された雅子さまは宮内庁病院に5日間入院した。04年7月には適応障害であることが公表され、療養生活に入った。
斎藤さんの原稿は明言はしないものの、雅子さまの人格を否定したのが上皇陛下であるかのようにも受け取れてしまう微妙なニュアンスがある。
ただし、雑誌の記事に対し、宮内庁が反論したという単純な話ではない。なぜなら、同じ趣旨を書いた『週刊文春』14年11月13日号の記事に関し、複雑な経緯があるからだ。
同号にはジャーナリスト友納尚子さんの「雅子さま〝復活の笑顔〟」が掲載され、今回の『文藝春秋』と同じ趣旨が書かれた。友納さんは、「雅子妃が妃殿下としての自己の存在について、決定的に自信を喪失した出来事」と位置付けている。
現場にいなかった宮さま
友納さんの論考に対し、当時も宮内庁が反発した。2014年11月13日、『週刊文春』編集長と友納さんに訂正を要求し、見解をホームページに掲載した。見解のなかで、宮内庁は、「皇太子妃殿下を飛ばして」という事態は「到底起こり得ない」と主張する。
通常のプロトコルとして、宮殿に到着した国賓は天皇ご夫妻とともに、松風の間に入る。この部屋で、皇族は身位順に列立して待っており、天皇陛下は皇太子から順番にひとりずつ紹介していく。
宮内庁は当初、雅子さまの「次に控えておられた」秋篠宮さまに確認したとした。「自分(秋篠宮さま)は、行事などの際に、何か手順通りに進められなかった場合は、直ちに気が付く方だ(略)。皇太子妃殿下(雅子さま)を飛ばして自分が紹介されたということは決してないと思う」と、宮さまの言葉を使って反論したのだ。
ところが、この反論には問題があった。秋篠宮さまは名古屋市での「種保存会議」出席のため、晩餐会は欠席していたのである。
宮内庁は約1年後の2015年12月1日、「秋篠宮殿下がメキシコ大統領の宮中晩餐におけるお話をされたような印象を与えたことは当庁の不手際」だったと言い分を修正した。
秋篠宮さまのコメントは、天皇が国賓に皇族を紹介する、これまでの場面を総合して振り返ったとき、「奇異に感じられたこと」はなかったという趣旨であったと訂正したのだ。ただ、当時の天皇(現・上皇)陛下が雅子さまを「飛ばした」ことはないという主張は維持した。
白黒付かない曖昧さ
一般論で言うが、こうした経緯がある出来事を、ジャーナリストの斎藤さんが今回、敢(あ)えてもう一度書くということは、真実性について自信があるからであろう。
私には、このエピソードの真実性について判断をくだす材料はない。どちらかと言えば、真実性をめぐるポリティクスに関心がある。
今回の反論は8年前の言葉を繰り返したもので、新しい要素はない。当時もそうなのだが、「飛ばされた」と感じたはずであろう雅子さまや当時の皇太子さま(現・天皇陛下)に、宮内庁は直接確認していない。この点が若干気になった。
いずれにしても、皇室に関する報道を検証するのは簡単なことではない。
昨年11月の誕生日会見で、秋篠宮さまは、事実に反する記事に対して、「きちんとした基準を設けて(略)それを超えたときには例えば反論をする」とし、そのための基準が必要だと述べた。
あれから5カ月。基準づくりがどうなったのかは不明である。おそらく、今後も公表されないのだと思う。宮内庁サイドから見れば、基準を公表してしまえば、基準以下なら「書き放題」となる懸念があるためだ。
皇室の近代史を考えても、さまざまな噂(うわさ)や流言飛語があった。明らかに真実でない情報が今も強く信じられていることもあるし、事実であることが実証できる噂もある。世間に流通するすべての皇室情報に、白黒が付けられるわけでもないのだ。
情報とは、そもそも、そうした曖昧さを含んでいる。
今回の『文藝春秋』に宮内庁は反論した。だが、筆者は強い自信を持っている。それをどう受け止めるかは、人びとの側に掛かっている。
情報は人びとの欲望を反映しながら、当事者たちが意図しない形で流通してしまう。宮内庁が反論したとしても、「正しい」情報が定着するわけでもない。しかし、何もしなければ、反論しないことがひとつのメッセージとなってしまう。宮内庁の苦悩もそこにある。
4月15日には、小室圭さんが、ニューヨーク州司法試験に再び合格できなかったことが報じられた。ネット上にはさまざまな言説が溢(あふ)れている。ビザが切れて日本に帰国する、第三国に出国する、少なくとも勤務している法律事務所を解雇されると報じる雑誌まである。
「真実」と「非真実」の境界は、つくづく難しいと思う。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など