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画期的な「女官」制度改革 秋篠宮の英断を評価する 社会学的皇室ウォッチング!/35=成城大教授・森暢平〈サンデー毎日〉

皇室の変革も進んでいる。(写真は代表撮影)
皇室の変革も進んでいる。(写真は代表撮影)

 元毎日新聞記者、江森敬治さんが書いた『秋篠宮』(小学館)を、前回に続いて取り上げたい。この本では、代替わりに伴い皇嗣となった秋篠宮さまが、女官や侍女(じじょ)という役職を廃したことが紹介される。ジェンダー平等を目指す21世紀の日本において、これは英断である。

 3年前のこの件をメディアがポジティブに取り上げることは、ほとんどなかったと思う。調べてみると、『東京新聞』(2019年5月5日)など数紙が一言触れるだけである。同紙は「自身の考えを比較的自由に口にする秋篠宮さまのスタイルは、皇嗣になることが決まっても変わらない。側近の『侍従』(男性職員)と『女官』(女性職員)という伝統的な呼称を男女の区別なく『宮務官』とした」と紹介した。

 秋篠宮家には、侍従にあたる宮務官と、女官にあたる侍女がいた。訪問先との調整・他部署との連絡など外向きの業務は宮務官が、紀子さまの衣服、眞子さん・佳子さま・悠仁さまに関すること、あるいは食事、衣服関連など家庭のなかの業務は侍女が担当していた。

 皇嗣になるにあたり、東宮職の前例を考えれば、前者が侍従に、後者が女官になるのが順当だった。

 歴史を振り返って、女官とは何だったのか。それを見るために、試みに、1884(明治17)年10月の『改正官員録』を見てみる。

 まず女官トップとして典侍(てんじ)3人が名を連ねている。室町清子・万里小路(までのこうじ)幸子・高倉寿子。室町と高倉は天皇・皇后付、万里小路は英照皇太后付であった。当時、いずれも40代。彼女たちは、宮廷の女性たちを仕切る総責任者で、御役(おやく)女官と呼ばれた。

 その下に、柳原愛子(なるこ)・千種任子(ことこ)・小倉文子・平松好子の4人の権典侍(ごんのてんじ)がいた。英照皇太后付だった平松は別にして、柳原・千種・小倉の3人は、明治天皇の側室(つまりは、お妾(めかけ)さん)であることがはっきりしている。ときに26歳、29歳、22歳。彼女たち側室は、当時の宮廷では、御側(おそば)女官と呼ばれた。

 さらにその下に、掌侍(しょうじ)と権掌侍(ごんのしょうじ)の女官計10人が書かれている。このうち17歳だった園祥子(さちこ)は、のち明治天皇に見染められ、86年2月、19歳のとき内親王を産み、88年に権典侍に昇格した。

 典侍・権典侍、掌侍・権掌侍が、天皇・皇后に直接お目見えできる高等女官である。食事の配膳、服の用意、部屋の片づけなど、天皇・皇后の側にあって家事労働全般を担っている。高等女官は、江戸時代以前に堂上(とうしょう)家(昇殿を許された家)と呼ばれた上位公家のなかで、羽林(うりん)家・名家・半家と呼ばれる家格の家の娘でなければならなかった。つまり、側室となるのも、高等女官になるのも、身分制の縛りのなかで、由緒ある家の出身であることが必要であった。

 その下には命婦(みょうぶ)、女嬬(にょじゅ)、出仕という下級の女官たちがいた。『改正官員録』を見ると、62人。彼女たちは、神職や士族の娘であった。この名簿にはないが、針女(しんみょう)など下級の女官がさらにいて、宮廷はさながら「女の園」であった。

 昭和天皇の宮廷改革

 女官の、家事全般や天皇家の出生までを担うシステムが変わったのは明治後期である。皇太子だった大正天皇が結婚したとき(1900年)と言ってもいい。

 大正天皇にも側室がいたかのように書く書物があるが、当時の臆測を再生産する誤情報である。大正天皇は明らかに側室を置いていない。一夫一婦の近代的な家族を目指すことは、すでに時代の趨勢(すうせい)であった。西洋王室との互換性・共通性を意識するためにも、御側女官のような「遅れた習俗」は廃止される運命だった。

 昭和天皇の女官改革も有名である。20代であった昭和天皇は結婚すると同時に、高等女官が宮中に住み込む制度を止(や)めた。四六時中、宮中のなかにいれば、世間に疎くなるなどの理由である。女官が、男性皇族の服装や入浴の世話をする慣行も廃止した。昭和天皇の身の回りの世話をする必要があれば、内舎人(うどねり)という男性職員に任せた。

 旧公家出身の娘しか高等女官にならなかった前例も廃し、軍人を夫に持ちながら未亡人となった女性を積極的に女官とした。旧来、女官は、未婚のまま宮中に入り、生涯独身で奉仕することが原則であった。昭和天皇は典侍、掌侍といった女官の身分も廃止した。若いセンスを生かした昭和天皇による宮廷改革であった。

 LGBTQの問題も

 さて、現在である。実は、皇室には、かつての高等女官(典侍、掌侍)の流れをくむ「女官」のほかに、家政補助人というべき「女嬬」の職制が残っている。

 宮内庁の人にこんな話を聞いたことがある。飲み物をこぼしたとき、テーブルを拭く布巾(ふきん)を持つのが女官、床を拭く雑巾(ぞうきん)を持つのが女嬬。だから、宿直の人を減らすこともなかなかできない――。皇室はいまだに、因襲の軛(くびき)のなかにある。

 だが、代替わりの際、皇嗣職は、侍従、女官、侍女といった性別で固定された官名を止めた。男性も女性も宮務官で統一した。

 侍従職と上皇職には、侍従、女官という男女の区別がまだある。侍従に女性が就いた前例はない。考えてみれば、女性が侍従長になれないのはおかしな話だ。

 江森さんの著作によれば、今後は、秋篠宮家の側近トップである皇嗣職大夫(こうししょくだいぶ)や、ナンバー2である宮務官長に女性が就くことも「十分にありえます」と秋篠宮さまは話している。

「秋篠宮は、男性だからこの仕事、女性だからこの仕事と、最初から決めつけることはしない。(略)男性、女性に関係なく有能な人物を評価する」。江森さんはこのように書いている。

 LGBTQ(性的少数者)の問題についても、秋篠宮さまは「多様なジェンダーが認識されている現在、私の周辺環境においても性的少数者のことを常に意識していく必要があると思っています」と述べているという。

 国民の意識は常に変化する。社会も変わる。身分制はすでに崩壊した。 皇室は変化に併せ、その在り方を変革してきた。昭和天皇の例を挙げたが、いつの時代もそうであった。

 この件で、秋篠宮さまの決断を評価する評論はあまりない。だから、『秋篠宮』の出版を機に、敢(あ)えてここで触れてみた。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日6月5・12日合併号」表紙
「サンデー毎日6月5・12日合併号」表紙

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