経済・企業

《ドル没落》米国が対露制裁の先に見るのは中国包囲網の完成か=滝澤伯文

ウクライナの親露派政権を打倒した「マイダン革命」の舞台となったキーウ(キエフ)中心部(2014年2月)Bloomberg
ウクライナの親露派政権を打倒した「マイダン革命」の舞台となったキーウ(キエフ)中心部(2014年2月)Bloomberg

ウクライナ危機の深層

 米国の権勢に衰えが見え始めた中で起きたウクライナ危機。それは覇権を支えるドル体制の限界とも無関係ではない。

「ドル覇権の死守」が至上命令 戦線拡大いとわない米英最強硬派=滝澤伯文

 今年2月24日、ロシア軍がウクライナ領内に侵攻して間もない3月第1週に、欧州大手金融機関クレディ・スイスの金利アナリスト、ゾルタン・ポーザー氏によるリポートが市場関係者の注目を集めた。ポーザー氏はニューヨーク連邦準備銀行に勤務した経験があり、米国の中央銀行制度である「Fed(連邦準備制度)」を長年見続けている“Fedウオッチャー”だ。(ドル没落 特集はこちら)

 同リポートは、「我々は、いま東側のコモディティー(市況商品)に裏打ちされた、新しい世界金融秩序をもたらす“第3次ブレトンウッズ体制”の誕生を目撃している」と指摘している。

 さらにポーザー氏はリポートで次のように強調している。「現在の危機(と戦争)が終わった後、ドルは弱くなり、複数のコモディティーに裏打ちされた『中国人民元』が強くなるだろう」──。

米国の傲慢への反感

 しかし、実際には、ドルの総合的な価値を示すドル・インデックス(ドル指数)は5月上旬に20年ぶりの高値を付けている。米連邦準備制度理事会(FRB)が利上げを進める中でウクライナで軍事紛争が勃発し、「有事のドル」が買い進まれている格好だ。その一方で、米国が主導して欧州や日本などが追随した対ロシアの経済制裁を受けてロシア・ルーブルはいったん暴落(約4割)した。

 ところが、3月下旬にプーチン露大統領が、天然ガスや原油を「非友好国」が購入する場合はルーブルで支払うよう求める考えを明らかにすると、ルーブルは急反転した。ルーブルは足元、侵攻開始直前の1ドル=81・67ルーブルから66・19ルーブル(5月30日)へと23%上昇している(図1)。ユーロや円など他通貨に対しても上昇している。

 エネルギーや穀物など必需資源が豊富なロシアの通貨が急回復したことは、ドルやユーロなど、金や原油などの実体価値を持つ資産の裏付けがない「フィアット・マネー(不換紙幣)」のもろさが露呈したといえるだろう。

 実は、そうした予兆はすでに表れていた。2020年10月、ブレットンウッズ体制の「本家」ともいえる国際通貨基金(IMF)のゲオルギエバ専務理事(ブルガリア出身)が「新しいブレトンウッズ体制」の構築の必要性を主張した。ドル単独の通貨覇権に代わり、IMFが管理する準備資産である特別引き出し権(SDR)の役割を拡大させる意向をにおわせた。

 すると、21年9月に世界銀行は、毎年公表する報告書の「ビジネス環境の現状」(18年版)で中国の順位を不正に引き上げたと調査結果を公表。当時世銀幹部だったゲオルギエバ氏の関与にも言及した。同氏は関与を否定したものの、IMF専務理事の職を解かれそうになった。そこでマクロン仏大統領とバイデン米大統領が昨年10月末に話し合い、米国はゲオルギエバ氏に対する攻撃をやめた。世銀は米国が、IMFは欧州が主導権を握る組織だ。

 首脳会談では、表向きは米英豪の安全保障「AUKUS(オーカス)」の影響で、フランスが受注した豪州向け潜水艦建造契約の破棄に関連して、米側が不手際を認めたと報じられていた。実際はIMFトップの処遇もテーマだった。11年5月、IMF専務理事のストラスカーン氏(仏出身)がセクハラ問題で辞任を余儀なくされた頃から、「基軸通貨ドルという特権のためなら、戦争を含めて米国は何をするか分からない」との思惑が、欧州を含めて米国の外側で広がっていたのである。

中露には荷が重い

 ドルの地位が揺らいでいるとはいえ、とって代わる通貨が出てくるかどうかは別の話だ。通貨で覇権を取るには、それを支える仕組みが不可欠だからだ。ドルの場合は「石油」である。03年に米国がイラクに戦争を仕掛けたのは、フセイン大統領が00年秋に原油輸出の決済をユーロ建てにすると宣言したことが原因とされる。米国の通貨覇権は、ドルが石油(ペトロ)の決済通貨であることによって支えられており、この「ペトロダラー体制」に挑戦する通貨の出現を米国は許すはずがなかった。

 石油による通貨覇権の枠組みを考案したのが、ニクソン政権を支えたキッシンジャー元国務長官だ。ニクソン・ショックで不換紙幣となったドルを、「原油」と「穀物」に関連付けた。1974年10月、キッシンジャー氏はサウジアラビアに向かい、サウジ王家に対して体制保証の見返りとして、米国がサウジから輸入する原油の支払代金をドルで受け取るよう要請。サウジ王室はこれを受け入れて、ペトロダラー体制が始まった。

 同様に、米国は中南米諸国の軍事政権を支援する代わりに、穀物の貿易もドルで決済するよう迫った。エネルギーと穀物という必需物資をドルにひも付けることで、金から離れたドルが本当の意味での覇権通貨になったのだ。

 このようなドルに対して、ルーブルはどうか。今回、プーチン大統領は、資源を武器に通貨防衛に入ったことは、「ガス・ルーブル」の創設が狙いだろう。ただ、エネルギーや穀物などを除き国際競争力がある産業が見当たらないロシアの通貨がドルに代わる基軸通貨になるとは考えにくい。

 また、中国人民元が、ドルの役割を果たせるかというと、中国にその考えはないだろう。通貨覇権を維持するには相応のコスト──米国が果たしてきた「世界の警察官」の役割──が掛かるからだ。中国共産党の中枢の考え方に最も詳しい有識者の一人で、シンガポールの元外交官のキショール・マブバニ氏がそう指摘している。

ドルをばらまいた代償

 マブバニ氏はまた、FRBが10年11月に2回目の量的緩和(QE)を始めた際に、中国当局は「ドル資産(米国債)は(実質的に)負債に変わってしまう」と認識したという。QEで市場に供給されるドルが増えるほど、ドルの価値は損なわれる。米債という形でドルを大量に保有する中国が危機感を抱かないはずはない。それが、「一帯一路」経済圏構想の策定の契機になったことは間違いない。

 従来、FRBのバランスシートの規模は国内総生産(GDP)に対して6%程度に抑えられてきたが、リーマン・ショックを契機に急増し、20年のコロナ禍でたがが外れたように膨張(図2)。20年6月、FRBのパウエル議長は母校プリンストン大学の講演で、「10兆ドルが目安になる」と述べている。現在の9兆ドルは上限に近い。

 市場関係者の間で、FRBは今後3年間で6兆ドルに減らすQT(資産圧縮)を実施するとみられている。他方で米連邦議会は400億ドル(約5兆1000億円)に上るウクライナ支援法案を可決(5月19日)。ロシア・ウクライナ戦争がさらに長期化した場合に、財源確保の問題が浮上するだろう。

 米政府が調達資金を賄うために、日本など同盟国に負担を求めてくる可能性もある。筆者は長年、日本の金融機関に米国金利の助言を行う仕事を続けてきた。過去において、日本側に「米国債を買うように」と圧力がかかったと聞いたことはない。しかし、軍事と経済で覇権を維持するコストを単独で負担できなくなれば、同盟国にも応分の協力を求めざるを得ない。その場合、米国の威信にきしみが生じるだろう。

世界の「軸」はアジアへ

ヌーランド米国務次官。ウクライナの親露派政権打倒を支援したとされる(2022年3月、ワシントン)
ヌーランド米国務次官。ウクライナの親露派政権打倒を支援したとされる(2022年3月、ワシントン)

 開戦から3カ月が経過した戦争で、米国がウクライナへの支援を継続する裏には、「経済覇権」維持の狙いがあるのは明らかだ。米国は、ロシアが最も警戒するNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大を進め、ウクライナで親露派政権を倒した「マイダン革命」(14年2月)をヌーランド米国務次官補らが支援してきた。バイデン政権がヌーランド氏を国務次官に起用したことは、プーチン氏には「宣戦布告」に映っただろう。

 プーチン体制崩壊を狙う米国の視線の先には、中国の封じ込めがある。ロシアが親米に転じれば中国包囲網の巨大なピースが埋まるからだ。経済・軍事における米国の覇権を死守し、基軸通貨ドルを維持したい「最強硬派」と、米国は相対的な優位を維持しながら、中国との共存もやむなしと考える「多極主義者」とが、バイデン政権内とその周辺に存在している。

 米国の最強硬派は、自国が掲げる「自由」「人権」「民主主義」による価値観を世界に広める考えを信奉する学者、イデオロジストが中核だ。ヌーランド氏の夫でネオコン(新保守主義者)の代表的な論客であるロバート・ケーガン氏(ブルッキングス研究所上席フェロー)、ロシア研究の権威のスティーブン・コトキン・プリンストン大学教授などが挙げられる。

 そして、米国内の最強硬派と連携しているのが、英国の中枢を仕切る「黒幕」たちだ。ジョンソン英首相自身というより、そうした政治家の背後には、アングロサクソンが300年かけて築いてきた優位性を堅持すべきと考える政財界の実力者たちが存在している。

 一方、米国の政権中枢部は、中国とも協調すべきとする多極主義者たちのほうが多数派であり、仏独など大陸欧州も同様だ。国内総生産(GDP)で中国に抜かれても、米欧の優位性はまだしばらくは続くという考え方だ。

 とはいえ、資本主義経済の優劣は人口が決め手になる。すなわち、経済では中国が勝者となり、白人優位が終わり、清王朝の最盛期だった18世紀前半以来世界の軸が300年ぶりに欧米からアジアにシフトする。究極的には、これを容認するかしないかが最強硬派と多極主義者の違いだ。両者の暗闘の帰趨(きすう)はウクライナでの戦況さえ左右しかねない。

 最強硬派は、戦争が長期化してロシアの通常兵器の弾薬が底を突き、プーチン大統領が核兵器の使用に踏み切れば、米国が主導するNATOは核による報復が可能になるので「西側の勝利」と捉えている。プーチン氏は追いつめられている。西側が待ち構えている中に、核の使用も排除しない決意でウクライナに侵攻したのだ。コロナの感染拡大と果たしてどちらが怖い話か。日本人は事態の深刻さを認識すべきだ。

(滝澤伯文・米在住ストラテジスト)

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