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アメリカの「政教分離」は「政治と宗教の分離」ではない=中岡望

2016年の大統領選で、エバンジェリカルの熱狂的支持を受けたトランプ大統領 Bloomberg
2016年の大統領選で、エバンジェリカルの熱狂的支持を受けたトランプ大統領 Bloomberg

“誤訳”が生んだアメリカへの無理解。2回目は、宗教について論じたい。

正しくは「州と教会の分離」

 アメリカ憲法にうたわれている「政教分離」。これは誤訳ではないが、誤解を生みやすい言葉である。学生に「政教分離」の意味にについて質問すると、多くの学生は「政治と宗教の分離」と答える。だが、アメリカにおける政教分離とは、「separation between state and church」、すなわち「州と教会の分離」なのである。

前回はこちら>>「アメリカ合衆国」という“誤訳”がアメリカを理解できない最大の原因である

 アメリカの憲法修正第1条には「連邦議会は国教を定めてはならない、また、自由な宗教活動を禁止する法律を定めてはならない」と書かれている。憲法批准に反対する連邦主義者のグループは、憲法を批准する交換条件として、憲法修正条項に「国教の禁止」あるいは「宗教の自由」の規定を盛り込むように要求した。

 イギリスでは王政と英国国教会が清教徒を迫害した背景がある。植民地でも同様に州政府と教会が結託し、清教徒の流れを汲む異端派を弾圧した。そうした背景の中で、バプティストを中心とするプロテスタントは「国教」の設立を禁止する条項を盛り込むよう要求した。憲法推進派は、この要求を受けいれた。

修正条項第1条から第10条までを含む「権利章典」には信教の自由もうたわれている
修正条項第1条から第10条までを含む「権利章典」には信教の自由もうたわれている

 ちなみに憲法修正第1条には、「信教の自由」のほかに、「言論・出版の自由」「集会の自由」「政府に対する請願権」も盛り込まれている。ちなみに1791年に成立した修正条項第1条から第10条までを「権利章典」と呼び、アメリカ民主主義の基本と位置付けている。

 また、連邦議会が「信教の自由」を受け入れたのは、「宗教問題を連邦政府から外せば、連邦政治で宗教が問題にならないという判断があった」からであるとされる(マーク・A・ノール著『神と人種』岩波書店)。すなわち宗教問題の政治化を阻止する狙いがあった。

 だがノールは、「憲法修正条項の規定にもかかわらず、14州のうち5州がキリスト教会牧師を税で優遇し、それら5州に加え7州が公職につくための宗教テストを続けた。教会と州政府との分離を実行したのはヴァージニア州とロード・アイランド州のみであった」と記している。「アメリカ的な政教分離は完全な信仰の自由を保証しなかった」と結論付けている。

キリスト教国家アメリカの現実

 以上のように、アメリカは憲法の規定に従い、「国教」を定めてこなかったが、実質的には「キリスト教国家」である。2020年に行われた宗教に関する国勢調査では、人口の70%がキリスト教徒であった。どの宗教にも属さない国民は23%に過ぎない。

 キリスト教の思想は、社会生活だけでなく、政治にも大きな影響を与えている。キリスト教を無視して政治を行えないのがアメリカの現実である。その典型的な例は大統領就任式に見られる。

リンカーンの聖書とキング牧師の聖書の上に手を置き、最高裁判所長官ジョン・ロバーツ氏とともに大統領就任の宣誓をするオバマ大統領 Bloomberg
リンカーンの聖書とキング牧師の聖書の上に手を置き、最高裁判所長官ジョン・ロバーツ氏とともに大統領就任の宣誓をするオバマ大統領 Bloomberg

 歴代大統領は、就任式直前に教会で礼拝を行うのが慣習となっている。さらに宣誓式では、聖書に手を載せて、憲法第2章第1条第8項に規定されている宣誓、すなわち「私は合衆国大統領の職務を執行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持し、保護し、擁護することを誓う」という文章を読み上げる。聖書に手を置かずに宣誓した大統領はジョン・クインシー・アダムス大統領とセオドーア・ルーズベルト大統領の二人だけである。オバマ大統領は2冊の聖書に手を置き、宣誓している。1冊はリンカーン大統領が所有していた聖書であり、もう1冊はマーチン・ルーサー・キングが所有していた聖書である。

 憲法には規定されていないが、ワシントン大統領は、宣誓の後に「神よ、どうか私を助けてください(so help me, God)」という言葉を付け加えた。その後の歴代大統領はワシントン大統領の例に倣い、同じ言葉を述べている。セオドーア・ルーズベルト大統領だけが、唯一の例外である。

中絶権や同性婚が保守派キリスト教徒の反発で危機的状況に

 宗教と政治を深く結びつけているのが、キリスト教の最大勢力であるバプティスト、いわゆるエバンジェリカルと呼ばれる人々である。エバンジェリカルは極めて保守的で、聖書は神の言葉であり、聖書に従って生きるのが正しい生き方だと信じている。

 2022年6月24日に最高裁は、女性の中絶権を認めた1973年の「ロー対ウエイド判決」を覆し、中絶禁止を合法化する判決を下した。その背後にあるのが、「聖書は中絶を禁止している」と主張するエバンジェリカルの存在である。エバンジェリカルは共和党の最大の支持層を形成し、宗教的な要求の実現を図っている。共和党は、エバンジェリカルの要求を政治的に実現する“宗教政党”になっていると言っても過言ではない。

マーチフォーライフ(いのちの行進)で中絶反対を訴える人々 Bloomberg
マーチフォーライフ(いのちの行進)で中絶反対を訴える人々 Bloomberg

 アメリカでは、女性の中絶権の容認や同性婚の合法化、性的少数派の権利の拡大などが社会的に受け入れられ、伝統的な宗教的価値観を主張するエバンジェリカルは劣勢に立たされてきた。そうした中、エバンジェリカルは共和党と手を組むことで、巻き返しを企ててきた。

 彼らが最近、最も強く主張しているのは「宗教的自由(religious liberty)」である。彼らの主張する宗教的自由とは、自らの宗教的信念に反することを“拒否する自由”である。宗教的自由を巡る係争の一つに、コロラド州で起こされた訴訟がある。同性婚のカップルが、ケーキ店に結婚ケーキを注文した。だが店のオーナーは、宗教的に同性婚に反対であという理由から、その注文を断った。これに対して同州の市民権団体が、オーナーを違法であると訴えた。この裁判は、最高裁まで争われた。2018年6月に最高裁は、原告の訴えはケーキ店オーナーに対する敵意に基づいたものであると訴えを却下し、オーナーの勝訴が確定した。ただし、最高裁は宗教的自由にまで踏み込んだ判決は下していない。

 以降、現在に至るまで、エバンジェルカルは自らの宗教的信念に反する行為を忌避する権利があると、様々な裁判で争っている。エバンジェリカルは、中絶禁止に加え、合憲の判断が下されている同性婚に関しても、最高裁判決を覆そうとしている。さらには、性的少数者の権利の抑制、公立学校における聖書研究会の合法化などを狙っている。

つづきはこちら>>「アメリカ独立戦争」を正しく理解するなら「アメリカ革命」と訳すべきである

中岡 望(なかおか のぞむ)

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。ハーバード大学ケネディ政治大学院客員研究員、ワシントン大学(セントルイス)客員教授、東洋英和女学院大教授、同副学長などを歴任。著書は『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など

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