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社会党と内閣法制局の力で佐藤栄作「国葬」は阻まれた 社会学的皇室ウォッチング!/42=成城大教授・森暢平

亡くなる8カ月前、ノーベル平和賞受賞の知らせを受け笑顔を見せる佐藤栄作元首相(1974年10月8日)
亡くなる8カ月前、ノーベル平和賞受賞の知らせを受け笑顔を見せる佐藤栄作元首相(1974年10月8日)

 前回触れた吉田茂逝去の次に「国葬」が問題となるのは、佐藤栄作元首相が亡くなった際であった。吉田と異なり国葬とはならず、「国民葬」の名で葬儀が営まれた。吉田より首相在任年数が長い佐藤のときはなぜ、国葬とならなかったのだろうか。

 話は1967(昭和42)年10月31日の吉田国葬に遡(さかのぼ)る。野党第1党であった日本社会党(現・社会民主党)は表向き反対しなかった。勝間田(かつまた)清一委員長も参列して献花している。

 ところが、社会党は葬儀副委員長の問題でかみついた。当時の佐藤首相(葬儀委員長)が国会に諮ることなく、衆参の副議長を葬儀副委員長に指名したからである。社会党は10月23日、国会対策委員会を開き、①吉田国葬を前例とせず今後の取り扱いは議院運営委員会で検討する②衆参副議長が葬儀副委員長となるのは適当でない―との態度を決めた。

 実際、社会党の異議申し立てによって衆参両院から葬儀副委員長は出なかった。だが、両院の議長と最高裁長官が追悼の辞を述べ、国葬としての体面は整えることができた。

 社会党は国葬に使われた予備費1810万円について68年5月9日の衆院決算委員会で「新憲法下においては、天皇崩御の場合以外は国葬は行われないものと解すべきであって、吉田元総理が皇太后(貞明皇后)のなくなられたときに際し(51年)、国葬を行わなかったのは、この理由に基づく(略)。法のたてまえとして、本件の支出には反対せざるを得ません」(華山親義議員)と、党として国葬反対を明確にした。

佐藤首相は退陣の記者会見で「偏向した新聞は大きらいだ」と述べ、記者が退出した会場でテレビカメラに向かって辞意の真意を話した(1972年6月17日)
佐藤首相は退陣の記者会見で「偏向した新聞は大きらいだ」と述べ、記者が退出した会場でテレビカメラに向かって辞意の真意を話した(1972年6月17日)

 社会党が結果として吉田国葬に反対したことは、佐藤が亡くなる段に効いてくる。佐藤の逝去は1975(昭和50)年6月3日未明。政府・自民党首脳は同日午前8時から協議を開始した。出席者は三木武夫首相、井出一太郎官房長官、中曽根康弘自民党幹事長ら政府・自民党の9人。

 この会議には、吉國一郎内閣法制局長官も陪席した。吉國は「国葬の場合には立法、行政、司法三権に及」ぶ(『日本経済新聞』75年6月3日夕刊)と、国葬とするには三権の合意が重要だと説いた。6月3日朝の段階で、社会党だけでなく、共産党、公明党がすでに異論を唱えていた。議論は、野党の反対を抑えて国葬を断行するかどうかに集中した。

 党内では前首相の田中角栄派が、佐藤の流れを汲(く)むという自負から国葬を主張。閣議でも、田中派の仮谷忠男建設相をはじめ3人が国葬断行を主張した。一方、自民党元首相では鳩山一郎(59年逝去)、池田勇人(65年逝去)、石橋湛山(たんざん)(73年逝去)のときは自民党葬であり国費で支弁されていない。

 妥協案を示したのは中曽根だ。内閣と自民党が合同で葬儀を主催する「国民葬」を提案したのである。

 国民葬とは、戦前、準元老的な立場であったものの政界主流から遠かった大隈重信が1922(大正11)年に亡くなった際の葬儀の呼び方である。当時の高橋是清内閣は国葬を一顧だにせず、大隈家の葬儀になった。だが、国民的人気が高い大隈の葬儀には数十万人が参列し、国民葬と呼ぶにふさわしい儀式となった。

 中曽根は、「国民」をも葬儀委員とする葬儀を構想した。立法府の全面賛成が得られない以上、国葬は難しい。だが、内閣・自民党の合同葬として国費を投入して「準国葬」の体裁を整えるとともに、国民的人気を演出するウルトラCである。

 実際、葬儀委員となった「国民有志」には作家の山岡荘八、評論家の秋山ちえ子、演出家の浅利慶太、歌手の越路吹雪、巨人軍の王貞治ら78人がいた。日本テレビ社長の小林与三次(よそじ)、日本経済新聞社長の圓城寺次郎らメディア関係者も含まれていた。

 自民党の現・元首相は、80年に亡くなる大平正芳以降、内閣・自民党合同葬が慣例となる。その源流は佐藤「国民葬」にある。吉田とのバランスから「国民葬」となったが、事実上は内閣と党の合同葬であった。その形が定着するのは、挙国一致で政治家を送る形が取れないことが吉田の例で明白になっていたからだ。

 国民葬が決まった直後、中曽根は記者会見で、吉田国葬のときに前例としないと野党と約束したことは否定したが、当時、社会党からそうした趣旨の発言があったことは認めた。そのうえで「国葬になると立法、行政、司法のすべてを一丸とした形となる。これらのことも考えて(国民葬と)決めた」と述べている。

 官房長官の井出も、閣内の国葬派に対し、戦前の桂太郎首相も通算8年近く務めたが国葬でなかったと反論した。しかし、一時、佐藤家が国民葬を辞退する動きを見せるなどすんなりと決定したわけではない。

 国葬としなかったのには日中関係の影響もあった。72年の日中国交正常化後、台湾とは国交がなかった。国葬となれば、佐藤と親しかった台湾要人の参列資格が問題となり、中国との平和友好条約交渉に影響が出かねない。国民葬とすればこの問題を避けられるとの判断もあった。実際、台湾から張宝樹国民党秘書長らが参列した。

 立憲の参列拒否?

 さて、現在の安倍晋三元首相の国葬には立憲民主党が反対している。そもそも衆参の野党第1党が反対する国葬でいいのかという問題がある。泉健太代表のほか、海江田万里衆院副議長、臨時国会で選出されるであろう長浜博行参院副議長(予定)の参列問題もある。

 それ以上に気になるのは内閣法制局の見解だ。今回、内閣府設置法を理由に、天皇の即位の礼と同じ政府単独の国の儀式ならば閣議決定を根拠に国葬は可能だと内閣法制局は判断したという。ただ、即位の礼は憲法上の天皇の国事行為である。明確な法的根拠のない国葬と同列に論じるのには違和感がある。

 加えて言えば、即位の礼に野党第1党たる立憲民主党はきちんと参加している。仮に、9月27日の安倍国葬に同党が参列を拒否すれば、その正統性は大いに揺らぐ。

 そもそも、今の内閣法制局が1975年の吉國長官による「三権の合意」見解を知らないはずがない。過去の見解をなぜ変えたのだろうか。政府には、国会で十分に説明する義務がある。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日8月14日号」表紙
「サンデー毎日8月14日号」表紙

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