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55年前の社会党の失敗 立民は同じ轍を踏むな 社会学的皇室ウォッチング!/47=成城大教授・森暢平

左端が日本社会党の勝間田清一委員長(東京・九段会館で=1967年8月20日)
左端が日本社会党の勝間田清一委員長(東京・九段会館で=1967年8月20日)

 立憲民主党の泉健太代表は9月8日、衆院議院運営委員会の閉会中審査で、国葬反対を明言した。だが、出席には含みを残した。同党は所属議員の出席についてどう対応するのか。吉田茂元首相の国葬の時も、当時の野党第1党である日本社会党は曖昧な態度をとり、結果的に国葬を行う際のルールを明確にできなかった。立憲民主党は今後のためにも方針を明確にすべきだ。

 吉田の死は1967(昭和42)年10月20日正午前。社会党の勝間田清一委員長は、早い時間に「吉田茂先生は日本の敗戦と混乱のなかで、秩序と平和と新しい日本の建設の大道を切り開いた偉大な政治家であった。(中略)吉田先生の功績を考えずして、戦後日本の歴史を考えることはできないと思う」とした談話を発表する。吉田礼賛のコメントであった。さらにこの日、社会党の複数の幹部は、園田直(すなお)衆院副議長(自民党)の訪問を受ける。国葬実施の打診だ。園田は「今夜中に社会党を説得しろ」との佐藤栄作首相の命を受けていた。その場で、社会党の国会対策委員会筋は、国葬に反対しない趣旨を自民党側に伝えてしまう。社会党の「内諾」情報は翌10月21日朝刊に報じられた。

 社会党は当時、日米安保体制打破の活動方針を掲げていた。その安保体制を構築した張本人が吉田である。国会での追及に対し「見解の相違」などと木で鼻をくくった答弁が多く、議会軽視の姿勢が強かった。過去の対決の経緯から考えれば、国葬とすべき人物かどうかを議論すべきだという意見が党内からあがるのは必至だ。

 それなのに、勝間田執行部はなぜ、自民党に融和的な態度をとったのか。勝間田は2カ月前の8月、委員長に就任したばかりだった。それ以前、江田三郎派(右派)は社会党を階級政党から脱皮させる構造改革路線を打ち出し、佐々木更三派(左派)と対立していた。中間派を率いる勝間田は、党内の派閥抗争を鎮静化する役割を担った。

 勝間田は戦前、内閣調査局、企画院に勤務した元官僚である。理論家として鳴らす一方、紳士的かつ温厚で、現実の政局には強くない。党内融和重視のため、自民党との対決を避ける穏健路線をとったのだろう。10月21日、一部幹部が集まり「社会党は国葬について意思表示はしない」という方針を決める。その理由は「新憲法下で、完全な意味における国葬をするとすれば、当然国会の意思を聞くべきである。政府は(今回)、行政措置だけで(国葬を)行おうとしており、完全な国葬とは言えない」からであった。

 分かりづらい。本来、国葬について国会の意見が聞かれるべきであるが、今回は政府が行政権の範囲で行う「事実上の内閣葬」であり、「どうぞ、ご勝手に」という理屈になっている。党内左派に対しては「国会の意見を聞けと主張した」と言い訳ができる。一方、現実政治への対応を目指す党内右派に対しては「教条的な反対はしなかった」というポーズも見せられる。煮え切らない態度であった。

 大荒れの議員総会

 10月23日には党国会対策委員会が開かれ、今回を前例とせず、今後の国葬の取り扱いは議院運営委員会(議運)で協議していくという方針をまとめる。これまた分かりづらい。「吉田国葬には反対しない。だが前例とせず、今後の国葬は議運で話し合いたい」と主張している。なぜ、今回も議運で協議をしないのか、事実上の黙認ではないかとの批判に答えづらい論理だ。

 案の定、同じ日に開かれた党両院議員総会は執行部批判で大荒れになった。「沖縄返還闘争も、吉田元首相が結んだ単独講和、安保条約のシリぬぐいではないか。吉田氏の業績を肯定したのでは70年闘争は組めない」「執行部は(吉田を)偉大な人物と思っているのか。自民党葬にすればよい」などの異論が噴出した(『北海道新聞』10月28日夕刊)。

 結局、10月25日の党中央執行委員会で「憲法上国葬はない。しかし、葬儀には死者に対する礼儀として出席する」という方針が決まった。献花のため各党委員長の出席が依頼されていたため、参列方針を決した。

 社会党出席は全体の1割

 そして、10月31日の国葬当日。党の両院議員は212人だが、出席した議員は二十数人にすぎなかった。出席率は約1割。勝間田委員長、江田副委員長は参院選補選の地方遊説のため、山本幸一書記長も所用と称し欠席した。献花は、河野密(みつ)副委員長が代理で行った。委員長自身の欠席は、やはり曖昧であった。

 その8年後、佐藤栄作葬儀の際、中曽根康弘自民党幹事長は、吉田国葬のとき「前例とせず今後は議運で話し合う」との発言が社会党からあったことは認めたが、それは「約束」のレベルではなかったと話した。

 もし67年当時、勝間田委員長率いる社会党がしっかり対応し、国葬のルールを明文化していたら、現在の混乱は起きなかっただろう。

 そして、立憲民主党である。泉代表は9月2日の記者会見で、国の公式行事は「一つ一つが重たい」と指摘し、「国政に議席を持つ政党は、本来であれば基本的には出席をする前提に立っている。本当に悩ましい」と胸の内を明らかにした。欠席した場合の批判を恐れる面もあるだろう。

 閉会中審査で泉代表は「総理と内閣だけで決められるのか。三権の長に諮ったのか。各党に相談したか」と尋ねたが、岸田首相の答えは明確でなかった。誰を国葬にするかの基準についても、首相は従来の説明を繰り返した。

 国葬は内閣葬とは違う。国を挙げて反対者が少ない形で実施することが望ましい。時の内閣の判断で行えるのであれば、国葬が党派性を帯びてしまう。何よりも、吉田国葬の時でさえあった野党への事前相談が今回はなく、一方的に決したという政治的な瑕疵(かし)がある。

 衆参両院の全議員には9月9日までに国葬の案内が届いた。もし、「死者に対する礼を失する」と考えるのなら、立憲民主党は欠席を決めたうえで、誰か一人が代表で献花すればよいのではないか。55年前の社会党とは異なる分かりやすさで、国葬「強行」に対し、明確な態度を示してほしい。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日9月25日・10月2日合併号」表紙
「サンデー毎日9月25日・10月2日合併号」表紙

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