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菅氏は『山県有朋』を読んだか 「感動」弔辞に感じる安易さ 社会学的皇室ウォッチング!/49=成城大教授・森暢平

安倍元首相の国葬で追悼の辞を述べた菅前首相
安倍元首相の国葬で追悼の辞を述べた菅前首相

 安倍晋三元首相の国葬の追悼の辞(弔辞)で菅義偉前首相が紹介した歌が話題となった。元老・山県有朋が、暗殺された同郷の伊藤博文(ひろぶみ)を詠んだ歌である。しかし、政党が力をつけることに警戒感を持ち続けた非立憲の山県を持ち出して、感動を演出する安易さには違和感を覚えた。安倍元首相が読んでいたという岡義武『山県有朋――明治日本の象徴』を、読んでのあの弔辞だったのだろうか。

 菅氏によれば、衆院第一議員会館の安倍元首相の部屋の机に、読みかけの『山県有朋』があったという(同書の初出は1958年の岩波新書。部屋にあったのは今も売られている岩波文庫版であろう)。読了した箇所にはページの端が折られ、マーカーペンで線が引かれていた。それが、山県の歌であった。

「かたりあひて 尽しゝ人は 先たちぬ 今より後の 世をいかにせむ」。国の行く末を語り合い、国家に尽くした人が先立ってしまった。これから先の世の中をどのように導いていったらいいのだろうか――。山県と伊藤が同じ長州出身の「盟友」であり、哀悼の歌と説明された。

 伊藤がハルビンで、韓国の民族主義活動家に狙撃され亡くなったのは1909(明治42)年10月26日。享年68。伊藤は05年から韓国統監府の初代統監を務め、漢城(現ソウル)に駐在していたが、09年2月に帰国し、6月に枢密院議長に就任した。 同議長を譲った山県は、伊藤より年長で当時71歳。2人は幕末期の若き日に長州藩から京都に派遣されて以来の関係がある。明治維新の大業を成し遂げた同志であるのは間違いない。

 伊藤の死の2日後、『東京朝日新聞』(09年10月29日)に、山県が語ったコメントが残っている。神奈川県大磯町にあった伊藤邸に弔問したあとの車中談である。

「平生、壮健の男であるから(略)百まで生(いき)る男ぢや(と思っていた。略)。伊藤は自分とは十五、六歳の時から一緒に奔走して居るので、両人の関係は実に兄弟も唯(ただ)ならぬのであつた。(略)俺(わし)は伊藤より三歳年長であるが葬式をして貰(もら)う筈(はず)であつたに今死なれて仕舞(しま)つて、反対(あべこべ)になり……」

 山県の狼狽(ろうばい)ぶりが分かる。この文脈から素直に解釈すれば「かたりあひて……」の歌はたしかに盟友の死を悼んだ歌である。

山県有朋(1838―1922)
山県有朋(1838―1922)

 議会政治を妨害した山県

 しかし、山県にとって伊藤は盟友というよりライバル、場合によっては政敵であった。若き日の伊藤は、早くから大久保利通の後継者としての地位を築き、憲法制定などに実力を発揮した。それに対し、西南戦争などで軍のリーダーのひとりとして近代陸軍の創設と発展に貢献する山県であるが、陸軍卿辞任の経験があるなどキャリアは紆余(うよ)曲折を経た。そんな山県だが、第3代首相を務め何とか元老となる。

 挫折したときに助けられた経験もあり、伊藤に恩義を感じていた山県。だが、1900年前後から政党の政治的台頭への対応をめぐって、2人の間には溝が生じる。伊藤は、旧自由党を核に自らが党首となる立憲政友会をつくりあげた。一方、山県は「政党とりわけ大政党は、素人の政党員が専門の官僚が行う行政権を拘束し、国家に害悪をもたらす存在」(伊藤之雄(ゆきお)『山県有朋――愚直な権力者の生涯』)と頑(かたく)なに考えた。

 伊藤が亡くなる前年から当年にかけて、山県は岡沢精(くわし)大将(陸軍)、井上光大将(同)、野村靖元内相の3人の長州閥の子分を亡くしていた。山県系官僚をまとめる叙爵のために重要な宮内大臣であった親友、田中光顕は女性問題で09年6月に失脚した。山県系の番頭であったはずのときの首相・桂太郎は、山県を差し置いて政友会と妥協を図るなど、山県の統制から離れようとしていた。山県は疎外されたうえ、健康不安もあった。

 意地悪く見れば、「今より後の 世をいかにせむ」という後半は、絶大だった自分の権力が揺らぎ始めた現状、頼るべき配下がいなくなっていく不安の中で「これからの世の中はどうなってしまうんだろうか」という悲嘆にも読める。

 また歴史は利用された

 そもそも山県が目指した「世」とは、議会や政党や大衆を軽視した軍中心の国家のことであった。山県はその後健康に留意し、伊藤の死から13年も生きながらえた(22年に死去)。貴族院などに基盤を置く超然内閣の成立を支持し、立憲主義に基づく議会政治の進捗(しんちょく)を妨害した。本格的な政党内閣の出現は18年の原敬政権であるが、山県がいなかったらもっと早く政友会内閣が成っていたと私は思う。

 安倍元首相の国葬で問われた点は、なぜ、国会の承認がないままに、内閣だけで決めたのかであった。つまり、決定の非立憲性、非民主性であり、岸田文雄首相の議会軽視の姿勢である。菅氏は、そうした中であえて戦前、民主政治の妨害者であった山県を持ち出した。

 菅氏がどのくらい歴史を理解するのか、私は知らない。ただ、少なくとも、山県が何を目指していたか、盟友・安倍元首相が読んでいた岡氏の『山県有朋』くらいは読了して弔辞を書いたと信じる。そのうえで山県を持ち出していたとしたら、国葬反対の声に対する挑戦に聞こえる。議会を軽視した山県と同じように、これからも超然主義で野党や国民の声には耳を傾けないつもりだという宣言に聞こえてしまう。

 万が一、菅氏が、山県という政治家をよく知らずに(岡氏の著書もあまり読まずに)、自身と安倍元首相との関係を山県と伊藤のそれになぞらえようとしたのなら、歴史を利用した安易な感動の演出にしか思えない。教科書に名を残す山県・伊藤と同じように、自分たちの関係も崇高であったと誇っているようでもある。

 国葬の生中継のテレビで、ある大学教授は、菅氏の弔辞について、「日本の歴史の蓄積」から紡がれた日本語であり、殺伐とした言葉が飛び交う社会の中でホッとしたと評価した。私にはそうは思えなかった。

 そもそも安倍元首相は、冷静かつ実証的であるはずの歴史解釈に介入する企てを何度も試みている。慰安婦、佐渡金山……と例を挙げればきりがない。元首相はその最後に、また歴史が利用された。歴史を扱う者として暗澹(あんたん)たる気持ちになる。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日10月16・23日合併号」表紙
「サンデー毎日10月16・23日合併号」表紙

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