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アントニオ猪木に捧げるレクイエム 不沈艦スタン・ハンセンが激白 熱く激しかった〝あの日々〟=脚本家・真野勝成
馬場、猪木、鶴田、ブロディ、ベイダー…
かつて日本プロレス界で大暴れしたスタン・ハンセン氏。アントニオ猪木、ジャイアント馬場ら好敵手や盟友たちとの思い出、必殺技の誕生秘話、そして青春を共に過ごしたファンへのメッセージを、プロレスファンとして知られる脚本家の真野勝成氏に語った。
――まず、あなたの代名詞とも言える「ウィー」という雄叫(おたけ)びについて教えてください。
「実はあれはウィーとは言っていないんだ(笑)。私は英語でyouthと叫んでいた。ジャイアント馬場やザ・ファンクスなど、上の世代、年齢的には少ししか違わないけどプロレスの世界では自分より上のランクにいる相手に対して、『俺はお前らより若いんだ』という気持ちを表現していた。それが日本人にはウィーと聞こえたらしい。今となってはもうウィーでいいよ(笑)。雄叫びとともに突き上げる指はテキサス・ロングホーンといって、牛の角をかたどっている。カウボーイならみんな知っているサインだよ」
――あなたの必殺技ウエスタン・ラリアートはその後、多くの選手が模倣して、プロレスの世界で最もポピュラーな技になりました。
漫画『プロレススーパースター列伝』の中では、ジャンボ鶴田が力道山の空手チョップを例にアドバイスしたとされていましたが、実際にはどうやって思いついたのですか?「私はアメリカン・フットボールの選手だったんだが、その当時はクローズラインという、相手の首に腕を引っかけて止める技術をよく使っていた。危険すぎて今では反則になっている技だが、これをプロレスに応用しようと考えたんだ。ラリアートとは牛の首にかける投げ縄のこと。瞬間的にギュッと首を絞める技だから、そう命名した」
――新日本プロレスでトップレスラーとして活躍していたあなたが1981年12月13日、全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦で、ザ・ファンクスと戦うブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組のセコンドとして登場した時の衝撃は、今でも忘れられません。ライバル団体間での移籍を決意した経緯を教えてください。
「単純にビジネスとしての決断だった。私の初来日は全日本プロレスだったが、その後、新日本プロレスにおけるアントニオ猪木との戦いによって日本でスターになったのは間違いない。だから猪木と新日本には感謝しているし、悪い感情は一切ない。ただ当時の日本では、新日本と全日本による熾烈(しれつ)なレスリング・ウオーが行われていたんだ。全日本から新日本に引き抜かれた外国人選手たちのギャラが高額であることは知っていた。もちろん私にも好条件が提示されたが、彼らの金額を下回るものだった。そんなとき、全日本プロレスから声がかかったんだ。条件面だけでなく、まだ戦ったことのない馬場、若手時代の同期であるジャンボ鶴田、同じく当時からの先輩ザ・ファンクス、そして盟友ブルーザー・ブロディと、私にとって魅力的な選手が揃(そろ)っていたことも大きかった」
――残念ながら先ごろ、猪木さんが亡くなりましたね。
「新日本から離れた後、飛行機の中で猪木と偶然会ったことがあったのを思い出した。あの時も彼は『移籍のことはビジネスだから気にしていないよ』と言ってくれた。私にチャンスをくれた猪木には今でも感謝している。亡くなったという知らせを聞いた時は、何かとても大きなものを失ってしまったような気持ちだった」
――移籍してから約20年間、全日本プロレスでは数々の死闘がありましたが、ライバルたちとのエピソードを振り返ってください。
「ジャイアント馬場はすでに世界のトップレスラーだったから、彼に挑むというのが私のテーマでもあった。あんな大きな選手とは戦ったことがなかったし、彼のチョップは強烈だった。彼の手刀はとても硬いんだよ。そしてテクニシャンでもあった。試合をする度に新しい技を繰り出されて、驚いた記憶がある。リングでは何度となく戦ったが、実はプライベートでの親交はほとんどなかった。ただお互いに深い信頼で結ばれていて、握手をしただけで契約書を交わすこともなく、20年間なんのトラブルもなかった。こういう関係はプロレスの世界では稀(まれ)だと思う」
幻の「対ブロディ」シングル戦
――同世代といえるジャンボ鶴田や天龍源一郎についてはどうですか?
「ジャンボとは新人時代にアマリロのファンクス道場で同期だった仲だ。とはいえ彼はミュンヘン五輪のレスリング日本代表というトップアスリートで、私よりも先を歩いていた。身体能力が非常に高く、日本人離れしたファイターだったよ。馬場はジャンボをスターにしようとしていたし、日本的な年功序列の中でトップになっていった選手だと思う。天龍は私にとって最もファイトスタイルが噛(か)み合う相手だった。相撲出身でタフな男だから、お互いに遠慮なくやり合えたんだ」
――同じく相撲出身の輪島大士(ひろし)についてはどんな印象をお持ちですか?
「輪島が横綱だったことは知っているが、2~3回絡んだだけで、それほど印象に残っていない。ただ私は昔から相撲が好きだったんだ。日本滞在時、日本語がわからなくても理解できるテレビ番組が相撲中継しかなかったからね(笑)。千代の富士が特に好きで、彼が若手から横綱に上りつめていく過程は見ていたよ」
――あなたより若い世代の日本人選手はどうですか?例えば三沢光晴はシングル戦でなかなかあなたに勝てなかった印象があります。
「三沢や川田(利明)、田上(たうえ)(明)、小橋(建太)らが若手の頃、徹底的に彼らを痛めつけた。彼らにとって簡単に勝てない相手として存在し続けた。まあ私に勝つことは、誰にとっても簡単ではないが(笑)。しかし若い彼らが成長し、互角に戦えるようになり、やがて私を倒す。この長い時間をかけたドラマに観客は感動したんだ。馬場もとても喜んでいた。こっちは彼らと激しくやり合ったおかげで、引退後に人工関節を入れる羽目になったけどね(笑)」
――ブルーザー・ブロディはあなたの移籍に、どういう反応を示しましたか?
「友人であるブロディはすでに全日本で活躍していたから、彼が私の移籍をどう思うかは気にしていた。移籍のことを報告すると、とても喜んでくれて、タッグチームを結成することになった。私とブロディはドリームタッグと言われていたんだよ。私たちは史上最強のタッグと評価されていて、それは他のタッグチーム、たとえばファンクスも異論はないと思う」
――後にブロディがプエルトリコで刺殺された時のことを覚えていますか?
「あの時、私は日本にいたんだ。当時のタッグパートナーだったテリー・ゴディに訃報が入り、私に教えてくれた。すぐにブロディの家族に電話をかけたが、すぐには繋(つな)がらなかった……とても残念だよ。事件の10日くらい前に電話で話したのが最後だった。彼が生きていたら、シングル戦で戦うプランがあったんだ。だがそれは夢のカードのまま終わってしまった。もし試合が実現していたらどうなったか? それはファンに想像してもらって議論してもらうのが一番いいだろう」
いつだって人生は「今」なんだ
――タッグ・チームではロード・ウォリアーズも人気がありました。ハンセン&ブロディとの対決は夢のカードと言われていましたが。
「そのカードも実現しなかったね。私は米国でハーリー・レイスと組んでウォリアーズと戦っている。彼らは才能があり、若くしてトップに上りつめたチームだ。そういう若いスターに対して上の世代はいい顔をしないものだが、私は先輩として彼らにいろいろアドバイスしたものだよ。彼らも感謝していると思う。ちなみに私は若い頃、アンドレ・ザ・ジャイアントに、日本でのキャリアについてアドバイスをもらっていたんだ」――あなたが全日本代表として新日本代表のビッグバン・ベイダーと戦った試合もエキサイティングでした。
「ベイダーは私の後輩でね。彼の試合前の(甲冑(かっちゅう)から煙が噴き出す)パフォーマンスについては、『こんなことしたらハンセンさんに怒られますよ』と彼が言っていたのを、猪木が『いいからやれ』と命令したらしい(笑)。ただ実際にはベイダーがリングに上がった瞬間に私が殴りかかったので、パフォーマンスが披露されることはなかったがね」
――あの試合ではあまりの激しさに、ベイダーの眼球が飛び出る、大変な事態になりました。
「私は近眼だからね。何か起こっているなとは思ったけど、よく見えなかったんだ。ベイダーは大きくて素晴らしい運動能力を持った選手だったよ。彼も亡くなってしまったね」
――あなたの現役時代はプロレスラーが特別な資質を持っていたと思います。あなたを見れば一目で強いということがわかり、強さの証しを見せる必要はありませんでした。今は総合格闘技の存在もあって、プロレスラーの資質も変わってきていると思いませんか?
「20年前に引退して以来、それほどプロレスを見ていないんだ。私が思うのは、私より前の時代にも強いレスラーはいたし、私の時代にもいた。だから今の時代にも素晴らしいレスラーがいるだろうということだ」
――『サンデー毎日』の読者にも、かつてあなたを応援した人は多いでしょう。最後に、中高年世代となった彼らへのメッセージを。
「自分を信じることだ。人生でやれることは、たくさんある。若い時期でも、年をとってからでも多くのことを実現できる。今の自分がエキサイトできることを探すのが一番いいだろう。それを追求して実行すること。人生は、『今』なんだ」
まの・かつなり
1975年、東京都生まれ。TBS連ドラ・シナリオ大賞入選、フジテレビヤングシナリオ大賞佳作を経て脚本家として活動。ドラマ「相棒」シリーズや映画「デスノート Light up the NEW world」で執筆