週刊エコノミスト Online 日韓関係
文在寅前大統領の支持層が作り出した「親日フレーム」という危険な言葉遊び 澤田克己
韓国では数年前から「親日フレーム」という言葉をよく聞くようになった。日本側から「反日的」と見られた文在寅(ムン・ジェイン)政権を支持した進歩派が、政敵である保守派を攻撃するために使う言説を指す。進歩派の最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表が最近、日米韓の対潜水艦共同訓練を政権攻撃の具として使っているのが最新の例だ。無責任な言葉遊びに過ぎないが、韓国では大きな破壊力を持つと考えられている困った代物である。
根強い植民地支配のトラウマ
日本による植民地支配に協力した“裏切り者”のことを韓国では「親日派」と呼ぶ。韓国紙・朝鮮日報のデータベースを検索すると、1920年の創刊当時の記事でも使われている。当時からの歴史的用法と言えるのだろうが、他の国で使われる場合の一般的な意味とはまるで違うので注意が必要だ。
韓国メディアによると、李氏は10月7日に開かれた党の会議で、海上自衛隊と米韓両国海軍による共同訓練を「極端な親日行為」「親日国防」などと非難した。与党や保守系メディアから批判されると、今度はYouTubeのライブ配信で「日本軍が韓半島(朝鮮半島)に進駐し、旭日旗が再び韓半島に掲げられるということが実際に生じかねない」と主張した。
北朝鮮の核・ミサイル開発の脅威に備える必要が論じられる中、現実離れした状況認識だ。そもそも日本では「自衛隊の韓国進駐」などと言われても、想像すらできない国民がほとんどだろう。だが植民地支配を受けたトラウマの残る韓国では、「日本の軍事力」という言葉を聞くと、警戒感が先に立つのである。
進歩派に言わせると、日本支配に協力した親日派は独立後も権勢を維持し、軍事政権下での政経癒着を通じて富を蓄積した。その基盤を世襲して、政財界に強力なネットワークを維持しているのが現在の保守派だ――という理屈になる。
植民地時代に高等教育を受けたエリートが独立後の国造りで活躍するのは他の旧植民地にも共通するが、それは社会的地位と富の世襲につながりやすく、庶民の目には「不公平」に映る。独立から80年近く経って構図はかなり変わっているのだが、それでも「親日派」という攻撃の破壊力は依然として大きい。最近会った尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権与党「国民の力」の重鎮も、このイメージに基づくレッテル張りで攻撃されると「政治的につらい」とこぼしていた。
保守派の反撃でますます混乱
「親日派」への攻撃は、保守派を敵視した文政権下で激化した。コミュニケーション研究などで使われる概念を引用したとみられる「親日フレーム」という言葉は、安倍政権による対韓輸出規制のあった2019年から多用されるようになった。一見すると日本も関連しているように思えるが、実際には政争の具でしかない。
混乱に輪をかけるのが、暴論に走った保守派の反撃である。今回も与党の実質的なトップである鄭鎭碩(チョン・ジンソク)非常対策委員長が、李氏を非難するフェイスブックの書き込みで、日韓併合の経緯に関連して「朝鮮は中から腐って崩れ、それで滅びた」などとつづった。歴史観は個人の自由だが、政治家が対外的に表明する際には一定の節度が求められる。案の定、鄭氏には批判が殺到した。
進歩派への攻撃に使われる「従北フレーム」
進歩派への攻撃には、北朝鮮の言いなりだという「従北フレーム」も使われる。朝鮮戦争の戦火を経験し、その後も北朝鮮と軍事的に対峙してきた韓国社会では、相手に強いダメージを与えることのできる言葉だ。北朝鮮との対話に積極的な進歩派の文氏も「従北」だと攻撃されたことがある。側近によると、文氏は2012年の大統領選に敗れた後に「従北批判はきつかった」と漏らしていた。
こちらも「親日フレーム」と同じく、実態をきちんと検証したり、丁寧に論拠を示したりしないまま、乱用しているケースが目立つ。与党重鎮の金文洙(キム・ムンス)元京畿道知事は最近、文氏を「金日成主義者だ」などとこきおろした。
こうなると泥仕合でしかない。現実的なリベラルとして保守、進歩の両勢力と距離を置く評論家の陳重権(チン・ジュングォン)氏は、レギュラー出演しているラジオ番組で、「李代表の発言は時代錯誤で、対立的な民族主義をあおるものだった。普通に対応すれば(与党の)得点になるのに、こんな対応だから『それ見たことか』ということになる」と嘆いていた。
「対北」軍事協力の賛否巡り世論二分
朝鮮日報によると、海上自衛隊と米韓海軍との共同訓練には、▽捜索救助▽ミサイル探知・追跡▽対潜水艦――の3分野がある。人道活動である捜索救助は2011年に始まり、問題視されることなく続いている。ミサイル訓練は2016年に始まった。南北、米朝の首脳会談があった2018年以降も続いているが、公表されていなかったという。
対潜訓練は文政権発足直前の2017年4月に初めて実施され、今回は5年ぶり2回目だった。ただ文政権も、北朝鮮が核実験とミサイル発射を繰り返した時期には、日米と追加実施で合意している。その後の情勢変化で実現しなかったが、政権につけばその時々で、必要に応じた対応をせざるをえないということであり、「親日フレーム」が政争の具に過ぎないことを示すものと言える。
韓国ギャラップが10月14日に発表した世論調査では、「北朝鮮の脅威に対応するための日本との軍事協力をどう考えるか」という問いへの回答が与野党の支持層でくっきり割れた。保守与党の支持者は「必要だ」が80%、進歩派野党「共に民主党」支持者は逆に「不必要だ」が66%だったのだ。全体の平均では「必要だ」が49%、「不必要だ」が44%と拮抗していた。
同社では類似の質問を過去にしたことがないため、経年変化を見ることはできなかったそうだ。ただ、「日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)などの安保協力の必要性」について聞いた別の世論調査では、「必要だ」が一貫してわずかに過半数を上回っていた。
峨山政策研究院という韓国のシンクタンクの調査では、同じ質問で、「必要だ」が2019年調査で52・1%、2016年調査で52・3%、2013年調査で50・7%だった。2019年の調査は、輸出規制への対抗策として文政権がGSOMIAの終了を宣言した翌月に行われた。日本製品の不買運動が吹き荒れていた時期であることを考えると、安保協力への態度は意外と変動が少ないと言えるのかもしれない。
ロシアによるウクライナ侵攻で国際秩序が変容する中、日米韓の安保協力の強化は避けて通れない。それだけに「親日フレーム」を政争の具に使う韓国政界の動きは今後も気になるところである。
澤田克己(さわだ・かつみ)
毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数