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国葬令の前例から見る「ルール化」の難しさ 社会学的皇室ウォッチング!/51=成城大教授・森暢平

立憲民主党の逢坂誠二氏の質問に答える岸田首相(10月18日、衆院予算委員会で)
立憲民主党の逢坂誠二氏の質問に答える岸田首相(10月18日、衆院予算委員会で)

 安倍晋三元首相の国葬について、政府は検証作業を開始し実施手続きの「ルール化」を検討する。しかし、戦前の国葬令の制定過程から考えると、決定に国会をどう関与させるのか、決めることは困難であるように思える。

 閣議決定だけで安倍国葬を実施した岸田文雄首相はルール化に前向きである。10月17日の衆議院予算委員会で首相は「国会との関係など一定のさまざまな過程(プロセス)を経るべきかどうか等の観点からも、一定のルールを考えていくことが重要」と踏み込んだ。支持率下落で、政権のイメージ回復の意図もあるだろう。

 内閣府国葬儀事務局はこれから憲法学、行政法、政治学、外交研究の分野の有識者などからヒアリングを実施し、意見と論点を整理する。聴取対象者は20~30人。これとは別に国会にも、今回の決定過程やルールづくりを議論する協議会が設置される。

 一般に、国葬のルール化というと、誰を国葬にするのかの基準づくりが大切だと考えられている。しかし、1951(昭和26)年、貞明皇后逝去後に参議院法制局が検討した「国葬法試案」にあるように「国にとって特に顕著な功労のあった者」と規定するしかないように思われる。「首相を〇年以上務めた」などと基準を決めたとすると、首相退任後に訴追されるなどの状況に対応できなくなるためだ。

 それ以上に、ルールづくりの最大の難関は国会関与の問題にある。その点、戦前の国葬令の制定過程を振り返ってみたい。

 議会が先か、勅書が先か

 戦前の国葬令は皇室喪儀(そうぎ)令と併せ1906(明治39)年に成案を得て明治天皇に上奏されたが、天皇の正式な許可がなかなか下りなかった。そのうち天皇逝去という事態を迎える。このため、明治天皇および后である昭憲皇太后の大喪は明治期の案に準拠して実施された。

 しかし、大正期に行われた元老大山巌、李太王(高宗(コジュン))の国葬では、歌舞音曲の停止が実施されなかった。大正デモクラシーの風潮のなか、明治期の案を再考する必要が生じた。そして、1920(大正9)年から翌年、帝室制度審議会で議論されたが、なお最終案とはならなかった。

 国葬令の再審査が行われたのは1926年の帝室制度審議会である。議論のポイントのひとつが、「国家に偉勲ある者薨去(こうきょ)又は死去したるときは特旨に依り国葬を賜ふことあるべし」とした第3条であった。天皇・皇太子ら特定の皇族だけでなく、元老や軍人ら功績あった臣下の者に対し、天皇が国葬を賜うことができるという条文である。

 これに対し、若槻礼次郎内閣の法制局長官、山川端夫(ただお)から、臨時の勅定(天皇の決定)があればいいので、あえて条文化する必要はないとの反対意見が出された。枢密院副議長の平沼騏一郎(のちの首相)は、「3条のような規定がなくても国葬は当然だというが、一般思想がだんだん変化するに伴って成文がなければ、必ずしも国葬が当然とはならない」と反論した(6月4日、審議会特別委員会)。

 この対立は、国葬は内閣の決定でできるのか、あるいは法制化の必要があるのかという現代的議論にも通じる。結局、平沼の意見が通り、第3条は存置された。

 続いて問題となったのは、「国葬に関する費用は国庫の支弁とす」とした第6条であった。山川はここでは、費用の国庫支弁は当然であり、議会を拘束する意味も出てしまうと指摘した(8月27日、審議会総会)。臣下の国葬は天皇の特旨によって実施されるが、費用は国庫支出であり議会の協賛が必要であった。明治憲法体制下の国葬は、天皇の決定と、議会審議という矛盾のなかにあったのである。そのなかで国費支弁を国葬令に明記すると、予算審議という議会権限を縛ることになるとの指摘であった。

 これに対し、審議会総裁の伊東巳代治(みよじ)は、国費支弁という点こそ国葬の要点であると主張した。第6条が国葬の定義に当たるという反論である。激論の末、第6条は削除された。

 だが、国葬と議会との関係は、国葬令審議が枢密院に移っても続く。10月13日の枢密院本会議で、枢密顧問官の江木千之(かずゆき)は、国葬の決定の際、勅書が先か、議会による予算の協賛が先かと質問した。天皇の決定が先にあるのか、あるいは、議会が予算を決めるのが先かという本質的な質問であった。政府を代表して山川は「あらかじめ予算を付けてから、勅書が出される」と、議会の協賛が先であると述べた。江木は「それならば、議会開会中は予算成立後に勅書が発せられると見てよいか」と念を押した。

 天皇に主権があることは認めながら天皇、内閣、議会、裁判所を、国家の機関と考える天皇機関説が主流だった時代だからこその議論であっただろう。国葬令は、この日の枢密院で決定された。

 ただし、1934年の元帥東郷平八郎らのその後の国葬において、議会が主導的な役割を果たしたわけではない。重要なのは、天皇に主権があった戦前においても、国葬の決定に議会がどう絡むのか、議論があったことである。

 国葬が難しい時代

 国民主権に変わった日本国憲法下でルール化を議論するとき、決定は内閣が先なのか、国会が先なのかという問題はなおさら議論になるだろう。

 それ以前に、日本国憲法のもとで、特定の政治家に国葬という栄典の授与が相応(ふさわ)しいのかという議論も生じる。10月17日の衆議院予算委員会で、立憲民主党の逢坂誠二代表代行は、国葬を行うことを自明の前提としないで、現行憲法下で国葬を実施できるかの「そもそも論」からの検討が重要だと強調した。国民民主党も、国葬を天皇と上皇に限る法案提出の検討を始めた。野党が首相経験者の国葬実施に否定的な考えをにじませているなか、ルール化は難しい状況にある。

 価値観の多様化と個人化の21世紀、国民全体をひとつの方向に向かわせる国葬のようなイベントは、そもそも実施が難しい。私たちはすでにそうした時代にいる。戦後、国葬のルール化・法制化の努力は貞明皇后逝去以来続けられていたが、結局制定されずに今日に至った。これが今にわかに可能になるとはとても思えない。

 ※東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター現資料部所蔵の「岡本愛祐関係文書」を、参考にした。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日11月6日号」表紙
「サンデー毎日11月6日号」表紙

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