週刊エコノミスト Online サンデー毎日
デパートは「招聘作戦」展開 「女性の時代」先駆者の光陰 1986(昭和61)年・ダイアナフィーバー
特別連載・サンデー毎日が見た100年のスキャンダル/38
エリザベス英女王の死去に伴い、長男のチャールズ国王が王位に就いた。70歳を過ぎて白髪となった横顔を眺める時、かつて共に王室を揺さぶるスキャンダルの震源地とされ、36歳で非業の死を遂げた元皇太子妃、ダイアナさんの面影を思い出さずにはいられない。
〈老舗の高島屋、三越と、新興の伊勢丹、西武がまず候補に浮上してきた〉
本誌こと『サンデー毎日』1986(昭和61)年3月30日号がそう報じる。「候補」とは何か。〈プリンセス・ダイアナが訪れるデパートはどこか―東京の大手デパートの間で、し烈なダイアナ招聘(しょうへい)作戦が繰り広げられている〉(同号)
同年5月、当時のチャールズ英皇太子とダイアナ皇太子妃が初来日するのを前に「ダイアナフィーバー」が沸騰するさまを本誌は伝える。外国要人は決まってデパートを訪ねる習わしがあったものか、後の百貨店業界の再編とも相まって時代の移ろいを感じさせる。
チャールズ皇太子とダイアナ妃は81年7月に結婚。婚約を報じる本誌同年3月22日号は「初恋で?チャールズ皇太子を射止めたダイアナ嬢の青春」と題し、皇太子の求婚に「そうなると信じていました」と即答したという19歳の人となりを紹介した。その初々しさとファッションは日本でもたちまち大人気となった。
初来日を受けて本誌86年5月25日号は著名人の「ロイヤル・ウオッチング」を掲載。漫画家の赤塚不二夫さんが〈テレビだって、雑誌だって、みーんなでダイアナ、ダイアナでしょ。そうじゃないんだって。主役はチャールズさんだから〉とあきれたあたり、世論の過熱ぶりが知れる。一方、同じく漫画家の池田理代子さんはこう話した。
〈(結婚前に)彼女の処女性や男性関係が話題になりましたが、二〇世紀のイギリスでも、まだまだ女性の地位が低いなと思いました。そんな中で、はっきりとものを言うダイアナ妃は、新しい女性の代表といえますね〉
だが、そのイメージはじきに別の色彩を帯びる。ダイアナ妃を巡る浮名が次々と流れ始めたのだ。92年に出版された『ダイアナ妃の真実』では妃自身が孤独な王族生活や、夫から愛されない悲しみを抱えてきた事実をジャーナリストに暴露した。一方のチャールズ皇太子は結婚前から親しかったカミラ夫人(現王妃)との不倫が取りざたされた。
「波乱の人生が励ましてくれた」
92年12月、二人の別居が発表された。その後もダイアナ妃の男性スキャンダルは続いたが、同時に彼女を悩ませたのが〝盗撮〟だ。93年11月、ジムで汗を流すレオタード姿が大衆紙に載り、メディアのモラルを問う大騒動に発展した。ダイアナ妃がカメラの標的になったのは、自らニュース性を提供した結果でもある。95年11月、英BBCテレビのインタビューでは「チャールズ皇太子が国王に適しているかわからない」「カミラ夫人との関係は女の直感でわかった」といったあけすけな発言をしている。
結局、96年8月に離婚。元妃となったダイアナさんは翌年8月31日、パリで自動車事故に遭い、交際中の男性と共に死亡した。「パパラッチ」と呼ばれる特ダネ狙いのカメラマンに追跡された末の悲劇だった。
追悼特集を組んだ本誌97年9月21日号に「ダイアナ・シンドロームな女たち」と題したリポートが載る。
〈悲報の直後から、東京の英国大使館では、記帳の受け付けがはじまった。(中略)昼休みには、丸の内のOLが、夕暮れ時には、遠方からの二十代、三十代の女性の姿が後を絶たない〉
来日フィーバーが起きた86年、日本では男女雇用機会均等法が施行され、「女性の時代」と言われた。決して平坦ではないキャリアへの歩みを、王室の旧弊にもがくプリンセスに重ね合わせてきたのか。〈ダイアナさんの波乱に富んだ人生は、ときに私を励ましてくれたし、これからもそうだと思う。感謝しています〉という〝ダイアナ世代〟の声を記事は拾っている。
(ライター・堀和世)
ほり・かずよ
1964年、鳥取県生まれ。編集者、ライター。1989年、毎日新聞社入社。ほぼ一貫して『サンデー毎日』の取材、編集に携わる。同誌編集次長を経て2020年に退職してフリー。著書に『オンライン授業で大学が変わる』(大空出版)、『小ぐま物語』(Kindle版)など