週刊エコノミスト Online サンデー毎日
低学歴国ニッポン――こう改革せよ! 日本には「真の高等教育」がない=東大名誉教授・黒川清
いつから日本は「低学歴国」になってしまったのか。気づけば現在、日本の「高等教育力」は世界から半世紀は遅れているという。その根拠を数字で示しつつ、福島原発「国会事故調」委員長を務めた東大名誉教授の黒川清氏が、渾身の提言を行う。
アメリカの大学で教鞭(きょうべん)をとってきた私は、アメリカと日本の高等教育の差を肌で感じてきました。欧米の大学と日本の大学、同じ「高等教育」とされているものでも、その内容は似て非なるものです。もちろん、これからお示しする数々の数字が示すように、アメリカの方がよくて、逆に日本は「真の高等教育がない」と言ってもよいかもしれません。
日本に帰ってきてからの40年余り、大学人として、政策のアドバイザーとして、日本の高等教育のありようについて機会あるごとに発言してきました。しかし残念ながら、日本の高等教育は主要国との比較で凋落(ちょうらく)の一途をたどっています。「何とかして手を打たなければ」と日々焦っています。
この危機感を皆さんと共有するために、今年10月に『考えよ、問いかけよ 「出る杭人材」が日本を変える』(毎日新聞出版)という本を緊急出版しました。本を通じて、より多くの人に「日本で真の高等教育を行うためにはどうすればよいか」、その具体策を伝えようと思ったのです。
博士号取得者数の減少
これまで、私たちは「日本は教育水準が高い国である」というイメージを持っていたことと思います。しかし数々の数字が示すのは、日本は国際社会の中ですでに「低学歴国」であるという現実です。
高等教育の成果の一つである博士号取得者数を見てみましょう。主要国の最新年度(2018年度もしくは19年度)における博士号取得者数は、最多のアメリカで9・2万人。成長著しい中国は6・1万人。ドイツは2・8万人。一方、日本はわずか1・5万人です。2000年度(中国は05年度)と最新年度を比較すると、韓国、中国、アメリカ、イギリスは、博士号取得者数が2倍以上に増加。ドイツとフランスはほぼ横ばい。唯一日本のみが06年度をピークに減少トレンド(傾向)にあります。このトレンドは人口当たりで見ても変わりません。人口100万人当たりの博士号取得者数において、日本は米英独仏韓をすでに下回っています。
博士号取得者というのは「独立した研究者」ですから、この数が減ると必然的に研究のアウトプットである論文の数が減ります。実際、科学論文数の国際順位を見てみると、04年にはアメリカに次いで世界2位にまで上り詰めていた日本の論文数は、2000年代に入ってからまったく増えなくなり、18~20年の平均論文数では中国、アメリカ、ドイツ、インドに次ぐ世界5位に転落しました。とりわけ、注目度や評価の高い、いわゆる「トップ論文」の減少には著しいものがあります。17~19年平均ではまだ世界10位でしたが、18~20年平均ではスペインと韓国に抜かれて12位にまで転落しています。スペインと韓国はともに人口が日本の半分以下ですから、状況は深刻です。
この話をすると、よく「欧米や成長著しい中国には及ばなくても、まだ韓国には負けていないと思っていた」と驚かれます。しかし、数字が示しているのは、日本はすでに高等教育にまつわるさまざまな指標で韓国に負けてしまったということ。19年度の博士号取得者数は、日本1万5128人に対して韓国1万5308人。00~21年におけるアメリカの大学への留学生数は、日本1万1785人に対して韓国は3万9491人。研究開発費のGDP比は、日本3・29%に対して韓国4・81%、18~20年の平均トップ引用論文数は、日本3780本に対して韓国3798本です。これは後々、大きな差となるでしょう。
現場の問題―「四行教授と講座制」
なぜこのように苦戦しているのか。大学人と文部科学省、そしておおもとの予算を握っている財務省の官僚の方々もつらいところでしょう。
日本の高等教育の現場について、かねてより私は「四行教授」という言葉で批判してきました。これは履歴に「○○大学卒、○○大学助手(助教)、○○大学助教授(准教授)、○○大学教授」と四行だけあるような人が、日本の高等教育のトップにいるということです。
「四行教授」は、日本の伝統的な大学研究室のスタイルである「講座制」の長です。講座制の研究室で、准教授・助教・学生たちは教授の手足となり、共著者として論文を書きます。これは、師匠の教えを守って、師匠に尽くし、師匠にかわいがられた者が年功序列で昇進する、いわば能や歌舞伎の世界と同じ。かりに所属を変えればそれは一門への裏切りとされます。
情報と人が縦横無尽に動き、激しく変化するグローバルな時代の教育者が、こんなに固定化していてよいわけがありません。それが先の数字に表れているのです。しかし、日本の大学人たちはこの旧来からある制度を積極的に変えようとしてきませんでした。教育行政を担う文部科学省の官僚たちも、そのバックにいる財務省の官僚たちもです。
見知らぬ地での「他流試合」が必要
欧米の高等教育の現場では、大学院に進学しようとする学生の大半は学部教育を受けた大学とは別の大学の大学院を選択します。博士号を取得したら、また別のところでポスドク(博士号を取得した研究者)として過ごしながら、自らの力で研究費や補助金を獲得し、終身在職権のあるポストの争奪戦に挑みます。
所属組織をどんどん変えて常に見知らぬ場所に身を置き「他流試合」に明け暮れ、その過程で己を知り、外の世界を知り、自らを鍛え続けているわけです。最初に入った研究室にずっといて、単線路線で昇進する日本の「四行教授」とは鍛え方がちがうのですね。そうやって鍛え抜かれた、独立した研究者が次々と生まれるのが、欧米のアカデミアで研究にダイナミックなエネルギーが注がれ続ける理由です。
韓国などは、この高等教育における「他流試合」の重要性がよくわかっているのです。ですから、韓国の大学の教育者は学生を日本よりもずっと積極的に海外に送り出していますし、国もそれを後押ししています。韓国の人口は日本の半分以下なのに、アメリカへの留学生数は日本の倍以上です。
「他流試合」の経験がない大学人や官僚の危機感が希薄
日本の高等教育がここから挽回するためには、ほかの主要国の大学にならって、学生が望むなら積極的に海外に送り出してやることです。つまり、大学は学生のインターンシップや留学を積極的に推奨し、たとえば留学先で取得した単位を自校での単位として認めたり、休学や復学を気軽にできるようにしたりする制度を設ける。留学生もたくさん招き入れる。行政は仕組みづくりや予算などでこれを後押しする。学ぶ意欲のある若者の生活を保障したり、若手研究者に自由な研究に使える予算を与えたりすることも必要です。
アメリカでは、1960年代からすでにこのような教育改革が行われていました。その改革を経て、現在の「一流」とされる大学があるのです。日本はほかの国に比べて半世紀は遅れているわけですから、すぐに結果は出ません。しかし、日本という国がこれ以上落ちぶれないために、今すぐに高等教育改革に取りかかるしかありません。
ただ、私にはどうも当の大学人や教育行政を担当する官僚たちの中に、改革に消極的な人がいるように思えてならないのです。改革に急いで着手しないといけないのに、動きが非常に鈍い。実際、海外留学した学生の単位を認めることに露骨に反対する大学人もいます。おそらく、当人が海外で「他流試合」をした経験がないため、その重要性を実体験として認識していないのでしょう。「私は留学しましたよ」という人も、せいぜい数年で、組織の紐(ひも)付き。自分の力で道を切り拓(ひら)いたわけではありません。
『考えよ、問いかけよ』には、具体的な行動指針や政策の案をたくさん書いておきました。日本の将来を担っていく若者たち、そして次世代を育てていく教育、特に大学人や教育行政にたずさわる皆さんにぜひ参考にしていただきたいと思います。
(構成・大谷智通)
(写真:髙橋勝視)
出典:文部科学省「科学技術・学術政策研究所(NISTEP)」HPより
くろかわ・きよし
1936年、東京都生まれ。東京大医学部卒、同大学院医学研究科修了(医学博士)。政策研究大学院大アカデミックフェロー、東京大名誉教授、東海大特別栄誉教授、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員長、日本学術会議元会長。『規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす』『世界級キャリアのつくり方 20代、30代からの〈国際派〉プロフェッショナルのすすめ』など著書多数
おおたに・ともみち
1982年、兵庫県生まれ。サイエンスライター、編集者。出版社勤務を経て現職。東京大農学部卒、同大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻修士課程修了。著書に『ウシのげっぷを退治しろ 地球温暖化ストップ大作戦』『増補版 寄生蟲図鑑 ふしぎな世界の住人たち』など