週刊エコノミスト Online サンデー毎日
姜尚中 「生きる意味」を問う! 心が折れないための「たくましい悲観主義」
政治学者、姜尚中さんが小社から新刊を出した。タイトルは『生きる意味』。水中から水面を見上げているような、そんな閉塞感が漂う今を生きるのに必要なのは「たくましい悲観主義」だという。それは何なのか。
――2020年11月に出した『生きるコツ』(毎日新聞出版)では、古希を迎え「平穏の文化」に至った境地を語られました。今回の『生きる意味』(同)では、さらにお考えを深められています。
20年春から、新型コロナウイルスが世界を覆い尽くしました。当時は、この感染症は1年ぐらいで収まるのではないかと思った人が多かったのではないでしょうか。しかし、感染拡大は今も続いています。
22年2月には突発的な戦争が起きて、忘れていた20世紀、昭和史的なものに連れ戻されたようでした。そして、安倍晋三元首相がああいう形で亡くなった。世界でも超安全だと考えられた日本で起きた惨事に、海外のメディアも驚きを隠せませんでした。 結局、人間がやっていることは進歩しない、ということではないでしょうか。
――前へ進めないのですか。
私たち、特に成長の申し子ともいえる60代、70代の人は、「昨日よりは今日、今日よりは明日がよくなる。歴史のうねりの中でそれでも前へ進んでいくはずだ」と思っている節があります。しかし、そうした予定調和的な皮膚感覚が失われた。後ろからぬっと戦前が顔を出しているような、底が割れたともいえる状況になりました。そして、この3年間で私の人生の中でも決定的に大きな変化が起きました。
世の中で、世界で、まさかということは起きるんだ。これからもっととんでもないことが起きるかもしれないし、それは不思議なことでもないんだ。そう思うようになったのです。
――心が折れてしまいそうです。
「よくなるはずだ」と期待するから、そうならなかったときに心が折れるんです。夏目漱石は、日記に「そう旨(うま)くは行かないよ」とよく書いていました。私たちは何かが起きてもやり直せるはずだと考えがちですが、いったん起きてしまったことは決してリセットできない。何かが起きたときにも「そんなものではないか」と見切ってみる。日ごろから「こんなものだろう……」と構えておく。「たくましい悲観主義」、あるいは「したたかな悲観主義」とでもいうのでしょうか。
私自身、以前は何かが起こるとハラハラ、ドキドキすることもありましたが、最近はジタバタしなくなりました。
手段にせず「今」を楽しむ
――夏目漱石が提唱した「低徊(ていかい)趣味」に近いものを感じることができるようになった、と書かれています。「低徊趣味」とは、辞書に「世俗的な労苦を避けて、余裕のある態度で東洋的な詩美の境に遊ぼうとする趣味」とありました。
私なりの解釈では、それは、「自分がやっていることを何かの手段にしない」ということだと思っています。私たちは「いい大学に行くために勉強する」「老後に備えるため貯金する」など、常に「次のために」と今を過ごしてきました。そうではなくて、行動それ自体を楽しむ、慈しむということが大切なのではないか。漱石はそう言いたかったのではないかと思います。
漱石はちょっとレベルが高く、新聞小説を執筆した後は日々漢詩をつくることを楽しみにしていたようです。漱石にとって漢詩に思いを巡らすことは、一つのアジュール、消極的な意味では逃げ場なのかもしれませんが、俗から離れ、ゆったりと過ごせる時間だったのでしょうね。
私が今、大切にしているのは妻と一緒に、家の菜園で土いじりをすることです。今の季節はダイコンやミズナなど6、7種類を育てています。緑を見ていると心が晴れるし、苗が成長して実をつけたときの喜びは何にも替えがたい。昨日、なかなか実らなかったレモンを収穫しました。皮まで食べることができて、その濃度やたっぷりの果汁に驚きました。
――都会のマンション暮らしだと菜園はなかなか難しいのですが。
そんなことはありません。ロシアの人々が今も困窮していないのは、ダーチャ、菜園付きの小さな別荘をもっていて、ジャガイモなどをつくっている人が多いからです。日本では、ストレス解消のために「たまに温泉に行く」「家族でファミリーレストランに月に何回か行く」というでしょう。そのお金があれば、郊外にちょっとした菜園を借りることができます。月に1、2度通って世話をすればよく、買ってきた苗でもあまり苦労しないで育ちますよ。
インフレでお金の価値が下がっていく時代です。10年後にどうなるかは経済学者でも予測できない。だから、実物経済、特に食べ物を自分でつくることは今後とても大きな意味をもつと思いますよ。菜園はやろうと思えば誰でもできます。子どもたちにもいい効果をもたらすでしょうし、リタイア後のご夫婦にもお勧めします。
――前書同様、お連れ合いとの「共存」関係もとても印象的でした。
どんなに仲がいい夫婦でも、それぞれ個性があります。我が家は、どちらかといえば私は心配性で妻はおっとりタイプ。個性ある2人が一緒の時間を過ごす、それも、成長するものを2人で一緒に見守っていくのはとてもいいですよ。菜園もそうですし、猫2匹と犬1匹と触れ合う時間もそうです。一方、それぞれの時間にはお互い干渉しないのが「共存」のコツでしょうか。妻には節度をもって過ごすことも教えられました。この年齢まで大過なく過ごせたのは、妻のおかげだと感謝しています。
――こんな時代でも「生きる意味」はある、と。
私は10年後、20年後に世界がどうなるのか、この目で見てみたい。確かめたい。これまでも、私は逆境に鍛えられました。今の逆境の時代は、むしろ私にマッチしていると思っています。
(写真:髙橋勝視)
カンサンジュン
1950年、熊本県生まれ。東京大名誉教授(政治学、政治思想史専攻)で、現在は熊本県立劇場理事長兼館長、鎮西学院学院長兼大学学長。主な著書に『悩む力』(集英社)、『見抜く力』『生きるコツ』(いずれも毎日新聞出版)など