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皇室映像、いまだに無声 悠仁さま「新例」も続かず 社会学的皇室ウォッチング!/57=成城大教授・森暢平
2022年も間もなく暮れる。22年の皇室ニュースのなかで、些細(ささい)だけれど重要だと私が感じるのは、悠仁さま誕生日の宮内庁提供映像が「音あり」になっていたことだ。だが、残念なことにこの新例はあとには続いていない。
9月6日の悠仁さまの誕生日に公開されたのは、赤坂御用地内の水田で撮影された映像(8月7日撮影)。長さ3分半。悠仁さまが言葉を発するわけではない。だが、夏の日らしく、アブラゼミの音が響いている。
「だから何だ」と言われそうだが、皇室PRにテレビを意識するようになった昭和30年以降、宮内庁の提供映像には一貫して音声が入っていなかったから、大きな変化だ。
そもそも昭和20年代、メディアの主流がラジオだった時代、天皇、皇族の「行幸啓」「お成り」には、各所にマイクが設置され音が拾われることが少なくなかった。一例を挙げると、1954(昭和29)年8月10日、昭和天皇と香淳皇后は北海道夕張市の北炭夕張炭鉱で働く人たちを激励したが、そこにはマイクがあった。ラジオ放送を意識したものだ。行幸啓を全国の家庭に伝えるため、宮内庁はラジオ放送を重視していた。
ただ、宮内庁があまり公表したくない発声や、好ましくない周囲との会話が拾われる可能性があった。51(昭和26)年11月24日、三重県浜島(はまじま)町(現志摩市)の真珠養殖場を訪れた昭和天皇に93歳の御木本幸吉は「ますます増産に務め、あなたの期待に応えたい」「新しい養殖方法を将来、ぜひ、あなたにお目に掛けたい」と話しかけた。これがラジオ音声として拾われた。御木本翁が天皇を「あなた」と呼んだと話題になった。
昭和30年代、メディアの主役はテレビに移っていく。ちなみに皇室映像の重要性に対応し、毎日新聞社から「毎日映画社」が独立したのは55(昭和30)年である。当時、皇室映像は35㍉などのフィルムで撮影していた。音声が必要なら別に録音し編集する必要があったが、そこまでしないことが多かった。余計な情報が付け加わらない分、無音のほうが好都合だったのである。
映像と音声を同時にとるENGという技術が日本で本格導入されるのは昭和40年代だ。それから50年余。VTR(ビデオテープレコーダー、つまり映像・音声を同時に記録できる装置)という言葉は日常用語になっている。スマホでなんでも映像になる時代、「音声なし映像は不自然だから提供方法を変えてほしい」とのテレビ局の要望は以前から出されていた。宮内庁はようやく重い腰を上げた。それが悠仁さまの映像だったのである。
パントマイムとの批評
ところが、「音声入り」映像は、今のところ悠仁さまだけに限られている。同じ秋篠宮家でも9月11日が誕生日である紀子さまの場合、8月18日に撮影された映像(3分50秒弱)には音声は入っていない。秋篠宮夫妻が絵本『えんどうまめばあさんとそらまめじいさんのいそがしい毎日』(福音館書店、22年)を見ながら、何か会話をしている。紀子さまが朗読していると思われるシーンもある。映像はさらにエンドウマメについて、植物学者・牧野富太郎の資料などを集めた『牧野植物図鑑原図集』(北隆館、20年)で調べる場面に続き、夫妻の会話はなお続くが、無音なので内容は分からない。
絵本の作者・松岡享子さんは、うさこちゃんシリーズなどの翻訳でも知られ、22年1月に86歳で亡くなった。この絵本は、病床で降矢(ふりや)ななさんと作り上げた遺作であった。紀子さまは児童文学に関心が高く、自身も絵本の翻訳を5冊出している。紀子さまの「1年をふり返っての感想」によれば、児童文学に貢献した松岡さんを悼む気持ちから誕生日映像にこの絵本を選んだようだ。
しかし、映像は延々と無音が続き、紀子さまのお気持ちは直接伝わってこない。
私が新聞社に勤めていたとき、宮内庁提供映像をパントマイム(無言劇)と評した同僚がいた。失礼な言いようだが、言い得て妙だ。問題なのは、滑稽(こっけい)にも見えてしまうだけでなく、映像に込めた皇族たちの思いがほとんど伝わらないことだ。
英国での自然な姿
悠仁さまの映像で秋篠宮家が新たな試みをする一方、天皇家の対応は従来どおりであった。12月1日の愛子さまの誕生日。公開されたのは11月21日に皇居内の車馬課厩舎(きゅうしゃ)で撮影されたもの。愛子さまが馬に餌をやったり、鼻先をなでたりする4分弱の映像であった。馬のほうから愛子さまに甘える様子も分かりほほ笑ましいが、やはり無音だ。たとえば、馬の名前を呼ぶといったちょっとした声が入るだけで、印象は大きく変わるだろう。
12月9日の雅子さまの誕生日で公開されたのも、その4日前に御所・小広間で撮影された3分弱の映像だった。5月から6月に東京国立博物館で開かれた沖縄復帰50年記念特別展「琉球」の図録、10月から11月に開かれた「美ら島おきなわ文化祭」のパンフレット、黒い壺屋焼(つぼややき)シーサーの置物(石川喜進〈09年逝去〉作)の前で2人が語る映像だが、やはり無音だった。
22年の両陛下について印象に残るのは、エリザベス前英国女王の国葬のためロンドンを訪れた際、2人が記帳する場面である(9月19日)。AP通信が2分弱の映像として伝えた。
日付を確認するため、雅子さまが「デイトなの」と声を出すと、天皇陛下が「date」と英語で答えた。また、天皇陛下が英語でサインしたあと雅子さまが「日本語で書くの」と尋ね、陛下が「そうね、下に」と応じて、英語サインの下に「徳仁」と漢字で記した。自然だった。会話の内容より、2人のありのままの関係が垣間見えるのがいい。
「声」は音質、声量、話し方、トーンなどさまざまな情報からその人の人柄がにじみ出る。逆に、無言はその人を生身の人間ではなくアイコン化させてしまう。象徴(アイコン)だから無音でよいと考えるのであれば、20世紀的な発想だ。
皇室はいまだに「無声映画」の時代にある。SNS「発信」の検討もよいが、その前にもっと検討すべきことはたくさんある。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など