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インスタ映えがキーワード 月食と浩宮少年の「ロマン」 社会学的皇室ウォッチング!/58 成城大教授・森暢平
宮内庁は12月22日、天皇陛下が撮影した皆既月食の写真7枚を公表した。SNS時代の宮内庁の広報戦略を考えるうえでも興味深い。
公表されたのは、毎木曜日に行われる、いわゆる侍従レクの場であった。それによると、天皇陛下は、雅子さま、愛子さまとともに11月8日午後7時16分から始まった皆既月食を天体望遠鏡、双眼鏡で観察し、一眼レフカメラで撮影もした。月食の最中、月が天王星を隠す「天王星食」の様子も一家で楽しんだという。
侍従レクでは、「(月が)赤銅色になりましたね」と話しながら観察した様子が説明された。また、「日本で皆既月食中に惑星食があったのは442年ぶり。次回は322年後とおっしゃっていた」ことも明らかにした。442年前は1580年、織田信長が天下統一を目指していた頃だ。歴史家でもある天皇陛下は宇宙の壮大さに思いを馳(は)せていたことだろう。
天皇陛下が星空に関心を持ったのは小学生のときだ。当時、浩宮(ひろのみや)だった天皇陛下(以下、少年時代の天皇は浩宮と表記)は1970年2月23日、満10歳となった。学習院初等科4年生である。近況を説明する侍従レクでは、星座早見表を手に早朝に天体望遠鏡を覗(のぞ)くと説明された。浩宮は、小学生百科『星と神話―星座と神話伝説』(偕成社)を大切にし、星の神話に強い関心を持っていた。
冬のオリオン座は日本人がよく知る星座であり、一方でさそり座は夏の代表星座である。オリンポスの神々は、乱暴で行状の良くない狩人オリオンを苦々しく思っていた。そのオリオンをこらしめるために、道にさそりを放って待ち伏せさせた。そのさそりの猛毒にオリオンは息絶えた。オリオン座とさそり座が星空では180度離れた場所にあるのは、こうしたわけである。
この神話に、浩宮がどう反応したのかまでは分からない。ただ、日本ではさそり座は冬期間は見えないと言われているが、星座早見表を見ると早朝なら都内の冬でもさそり座を見ることができると浩宮少年は「発見」した。だから、早起きして午前5時に天体望遠鏡を覗き、冬の暁にさそり座を見つけた。その時の少年のワクワクを、60年経(た)って想像しても楽しくなる。
浩宮は6年生だった71年、岡山・兵庫を旅した。浩宮はこの時初めて飛行機に搭乗して、これまた大興奮だったが、おそらく最大の目的は、日本標準時子午線がある兵庫県明石市の市立天文科学館訪問であった(11月9日)。浩宮は当時珍しかったプラネタリウムを鑑賞し終わって、館内をくまなく見学した。天体写真の前で「この星まで何光年ですか」などと質問に力が入り、宮内庁のお付きの人たちが時間を気にするほどだった。
浩宮少年より若干年少の筆者は昭和40年代、一部の少年の間で天体観測が流行していたことをよく覚えている。
時は流れて2007年2月9日、青少年読書感想文全国コンクール(毎日新聞社ほか主催)に出席した天皇陛下(当時は皇太子)は次のように述べた。「私は小学生のころ、とても星に興味を持っていました。天体望遠鏡で夜空の星を眺めながら、星に関するさまざまな話や星座の伝説について書かれた本をあれこれ読み、星の世界に引き込まれていったことを懐かしく思い出します」
今回、月食の観察に利用した天体望遠鏡は、小学生時代に使ったのと同じものだという。少年時代の望遠鏡を取り出して、妻、大学生の娘と夜空を見上げるという話にはロマンがある。
皇室の語り部
当時、浩宮の日常を記者たちに説明していたのは、東宮職の浜尾実侍従であった。浩宮の語り部とも言える存在だ。両親である当時の皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)も、浩宮の取材機会は多くして、人々に成長を実感してもらうほうが良いと考えていた。浜尾はその考えを体し、記者たちに多くを説明した。週刊誌記者であっても浜尾は面会を厭(いと)わなかった。浜尾は浩宮に関して饒舌(じょうぜつ)だった。
昭和40年代と現在では、プライバシーの概念が大きく異なっている。一般社会においても、公私の区別はある意味、かなり厳格になった。よその家庭の内部を覗き見たり、批評することは、基本的にはしてはいけないと考えるのが現在の一般的な通念だ。
だから、皇室自身もそれを取り巻く側近たちも、皇室の私的空間についてよりクローズにしたくなる気持ちも分からなくはない。ましてや、現在の天皇一家をめぐっては、さまざまなことが批評されてきた。かつての浜尾侍従のようなおしゃべりが今、そのままなされて良いとも思わない。
ただ、メディアを通じた皇室と人々とのコミュニケーションは昭和時代のほうが質量ともに充実していた。昭和の皇室は「より開かれて」いたのである。「開かれた皇室」という言葉はあの時代の皇室のスローガンだったが、最近、このフレーズをあまり聞かない。
雅子さまのトンボ写真
皇室のSNS「発信」が話題になっている。それはSNSというメディア(媒体)についての話である。ただ、どんなメディアを使って「発信」するかを考える以前に、どんな内容(コンテンツ)を「発信」するかのほうが大事な議論のはずだ。
この点、今回の侍従職の月食写真公表は現代的な出来事だと思う。インスタグラムに映(ば)えそうな(すなわちインスタ映えするような)写真であるためだ。私が宮内庁広報係なら、すぐさまインスタにアップするであろう。
一つ、インスタ映えしそうな例を挙げると、1996年12月、宮内庁文化祭で公表された雅子さまの写真がある。岩手県松尾村(現・八幡平市)の茶臼岳で、雅子さまが前を歩く天皇(当時は皇太子)の背中にトンボが止まっているところを写したワンショットである。当時、積極広報されたわけではないが、宮内庁記者だった筆者が同庁文化祭で見つけ、紙面で紹介した(12月5日夕刊)。
SNSに「映える」のは、こうした私的なショット、それも正面からではなく側面からのオフショットであろう。「発信」戦略を練るのなら、宮内庁は、従来の発想を大胆に変えたほうが良いと思う。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など