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英ヘンリー王子が伝えた「血のスペア」の苦悩 社会学的皇室ウォッチング!/59 成城大教授・森暢平

日本で開催された2019年ラグビー・ワールドカップを観戦するヘンリー王子と秋篠宮ご夫妻
日本で開催された2019年ラグビー・ワールドカップを観戦するヘンリー王子と秋篠宮ご夫妻

 チャールズ英国王の次男ヘンリー王子の自伝『スペア』が1月10日に発売された。王室内の確執、コカイン吸引などスキャンダラスな部分が注目されるが、ヘンリー王子の意図がよく表れているタイトル「スペア」(予備)の意味を考えたい。

 現在38歳のヘンリー王子が生まれたのは1984年9月。父チャールズ皇太子(当時)は、ヘンリーの母親であるダイアナ妃に、次のように述べた。「素晴らしい。君は私に、後継者とスペアを与えてくれた。私の役目はこれで終わりだ」。ヘンリー王子がこの時の会話を知ったのは20歳になった時。王子は「冗談だろう。たぶん」と書きながら、「このコメディのあと、父は、(母とは別の)ガールフレンドに会うために出かけて行った」と父への皮肉を付け加えた。

「後継者」と「スペア」の原文は、エア(heir)とスペア(spare)である。英語で韻が踏まれている。耳で聞く発音は変わらない二つの単語が、実際は雲泥の差があることを、ヘンリー王子は400ページを超える大著のなかで繰り返している。

 王位の後継者となるのは2歳年上の兄ウィリアム王子(現在は皇太子)。幼少期、夏を過ごしたスコットランドのバルモラル城では、一つの部屋を兄弟がシェアしていた。だが、兄ウィリアムが使う部分のほうがはるかに広く、ベッドも大きくて、景色が良かった。ヘンリー王子は「僕が使う部分は狭く、豪華さでも劣っていた。どうしてと尋ねることはなかった。いや聞く必要がなかった。ウィリー(ウィリアム王子)は『エア』であり、僕は『スペア』だからだ」と書いた。

 ヘンリー王子によれば、チャールズ皇太子もダイアナ妃も、さらにはエリザベス女王さえ「エア」と「スペア」という言葉を使っていたという。「僕は影、脇役、プランBだった。ウィリーに万が一があった場合のために、僕はこの世に生を受けた」。ヘンリー王子は、自分は補給品だと自虐的に述べる。ヘンリー王子によれば、王位継承は、天気や惑星の位置のように人間が変えることができない。そんなものに「誰が心配を向けるだろう」とヘンリー王子は続ける。自分の気持ちを誰とも共有できない苦しさを吐露した一節である。

 出番は飛行機事故の時

 兄ウィリアム王子とキャサリン妃の間には、2013年に第1子ジョージ王子が、15年には第2子シャーロット王女が誕生した。ヘンリーが生まれた時の王位継承順位は父、兄に次いで第3位だったが、シャーロット誕生の時点で、第5位に下がった。

 シャーロット誕生の折、軍務でオーストラリアにいたヘンリー王子を一人の記者が取材した。その記者はまるで王子が死に至る病の宣告を受けたかのような態度で取材したとヘンリーは回想する。「継承順位がまた下がりましたね」と執拗(しつよう)に食い下がる記者。王子は、兄夫婦にとって幸せなことと答えるが、信じてもらえない。だが王子は考えた。「これでもうスペアのスペアでもなくなった」

 宮廷官でさえ、継承順が5位や6位になれば、飛行機事故の時ぐらいしか出番がなくなると話していた。兄一家が事故で全員亡くなるぐらいしかヘンリー王子の王位継承の可能性はないという意味である。そんな邪悪な事態を想像し、子供の誕生を祝えない人たちにヘンリー王子は批判的だった。しかし、兄への屈折した気持ちは隠し切れない。

 その1年後、ヘンリー王子は、妻となるメーガンさんと知り合う。メーガンさんとの結婚で王子の人生は大きく変わる。王室の公務から引退するのである。

 王室の主要メンバー以外は、血のスペアという以外の明確な役割はない。たしかに、ヘンリー王子は英陸軍に入隊し、アフガニスタン前線に立つなどノブレス・オブリージュ(高貴な者の義務)を果たしていた。英王室を支える活動をしていたのだが、逆に言えば、決まった仕事はなかった。何もしなくとも(仕事にもつかず、公務も行わなくとも)血のスペアというだけで、王族の身分は保障される。英BBCの記事のなかで、ロンドン大学のポーリン・マクラーレン教授が「(主要メンバー以外の王族は)人々と握手して、喜ばせる以外の明確な役割がない」と述べるとおりである。

 ヘンリー王子の場合、王位継承者の年に近い弟という境遇が、兄への複雑な思いを増幅させた面があるだろう。古来、王位を巡る兄弟の争いは、ライバル物語として語られてきた。日本で言えば、昭和天皇の弟秩父(ちちぶの)宮(みや)がそうである。あるいは、まじめな兄浩宮(ひろのみや)(現天皇)に対する自由な礼宮(あやのみや)(現秋篠宮)にもそうした側面が読み込まれていた。

 生涯の控え投手

 兄はいつも注目を浴びるエースであるが、弟はベンチを温める控え投手で、その関係はよほどのことがない限り変わらない。一生「スペア」として生きていく気持ちは、そうした立場に立ってみないと実感できないはずだ。

 日本でも、ジャーナリストの大宅壮一が1952年の段階で、皇族を「血のスペア」と喝破していた(『実録・天皇記』)。大宅は、皇族は天皇制保存のための「血液銀行」であり、「“血”の御料牧場」とも言っている。 象徴天皇制が発足したあと、皇族たちの役割が明確であったわけではない。各個人が模索するなかで、何となく皇族の公務が定まっていった。その構図は今も変わらない。

 欧米では、王室のスリム化が進む。中心メンバー以外は公務にあたるのではなく、市民と同じように暮らすスタイルである。中心メンバーでなければ、ゴシップで大衆メディアの餌食になる機会も多くなる。ならば最初から王室と距離を取り、市民として生きる道だ。

 ところが、男系維持を主張する日本の保守派の立場は逆である。「血のスペアは多ければ多いほどよい。旧宮家皇族を復活させるべきである」。これが保守派の主張であるが、スリム化して生き残りを図る欧州王室の趨勢(すうせい)とは反している。

 英国ではヘンリー王子の著書に対して「そこまで暴露する意味があるのか」との反発が強い。ただ、日本の皇族たちの歩みを研究してきた私には、ヘンリー王子が「僕の苦しみは他人に分かるか」と叫んでいるように読めた。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日1月29日号」表紙
「サンデー毎日1月29日号」表紙

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