新規会員は2カ月無料!「年末とくとくキャンペーン」実施中です!

週刊エコノミスト Online サンデー毎日

グラミー賞 西城秀樹の甥、宅見将典「Sakura」がノミネート 米グラミー賞に懸ける思い 快挙となるか!

 第65回グラミー賞が2月5日(日本時間6日)、ロサンゼルスで発表され、最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞に、プロデューサーの宅見将典さん(44)のアルバム「Sakura」が選ばれた。受賞を記念し、サンデー毎日1月29日号(1月17日発売)掲載の記事を無料公開します。(記事中の事実関係、肩書、年齢等は全て当時のまま)


「日米の音楽の懸け橋になりたい」と語る宅見氏
「日米の音楽の懸け橋になりたい」と語る宅見氏

 世界中の一流アーティストが集う米国最大の音楽賞「グラミー賞」。今年の授賞式は2月5日(日本時間6日)に行われる。その中で、“西城秀樹の甥”の日本人音楽家がノミネートされた。その楽曲に込められた思いや日本の音楽シーンの今後などについて聞いた。

 宅見将典(44)――。作曲家、編曲家、音楽プロデューサーで、EXILE(エグザイル)やDA PUMP(ダ パンプ)など日本の音楽シーンで数多くのアーティストの作品にかかわり、活躍している。2011年にAAA(トリプル・エー)「CALL」の作曲で日本レコード大賞優秀作品賞、19年にはDA PUMP「P.A.R.T.Y.~ユニバース・フェスティバル~」の作曲・編曲で同賞を受賞している実力者である。

 その宅見氏が昨年9月、世界同時配信したアルバム「Sakura」がグラミー賞にノミネートされた。

「『Sakura』は、インストゥルメンタル(歌なし)作品で、日本の伝統楽器である筝(こと)や三味線を中心に、海外の伝統楽器も使っていますが、リズムなどアメリカンサウンドを取り入れた“ミックス・カルチャー”に仕上げています」

 桜の華やかさと儚(はかな)さを想起させる日本文化の“侘(わ)び寂(さ)び”を表現したメロディーでありながら、低音重視の音響設定や米国で流行中のトラップビートというリズムを取り入れ、決して古典的ではない現代音楽を作り上げた。まさに、日米音楽文化のフュージョン(融合)といえる斬新な楽曲だ。

 今回のグラミー賞は、年間最優秀レコード賞、年間最優秀アルバム賞、年間最優秀楽曲賞、最優秀新人賞など主要4部門のほか、全91部門に及ぶ。選考は、21年10月1日から22年9月30日(現地時間)までの間にリリースされた曲・アルバムが条件。宅見氏の「Sakura」は、「最優秀グローバル・ミュージック・アルバム」という部門でノミネートされた。同部門は2000年までは「ワールド・ミュージック・アルバム」と呼ばれていたもので、ポルトガルのファドや南アフリカのムバカンガなど世界の民族音楽にスポットを当てたもの。

 宅見氏は振り返る。

「今回が5回目のチャレンジで、日本の音楽文化を伝えたい思いで初めてこの部門に応募しました。過去にバンドメンバーの一人としてレゲエ・アルバムがノミネートされたことはありましたが、Masa Takumiの個人名義では初めてです」

 日本レコード大賞の時も飛び上がって喜んだそうだが、グラミー賞ノミネートでも喜びを爆発させたと破顔一笑。とりわけ、“歌手ありき”の賞とは違い、作編曲の作品が候補作に選ばれたことは、音楽家としての自信につながったと語る。

 日本人では過去に坂本龍一が1989年に映画「ラストエンペラー」で最優秀オリジナル映画音楽賞を受賞。また、シンセサイザー奏者の喜多郎が2001年に最優秀ニューエイジ・アルバム賞を受賞(ノミネートは16回)、B'zのギタリスト、松本孝弘が11年に最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞している。

 クラシック部門では指揮者の小澤征爾(せいじ)やピアニストの内田光子など数多くのアーティストがノミネート、受賞をしているが、ポップス系の作編曲家では坂本龍一以来といっていい快挙だろう。

 一方、近年は韓国のK-POPが米国内でも席巻している。その筆頭格、BTSは3年連続でノミネート。英国のバンド、コールドプレイとの共作「マイ・ユニバース」が最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス部門など2作品が2部門でノミネートされたのである。

 そのK-POPと日本のJ-POPとの「差」を宅見氏はどう見るのか。「日本の音楽が韓国に劣っているとは全く思っていません。BTSはK-POPの良さを表していますが、クリエーターは米国人のチームがメイン。つまり、“アメリカン・サウンドとコリアン・ボーカルのフュージョン”が成功した好例と見るべきではないでしょうか」

 一方で、日本の音楽についてこう語る。

「米国内でも数年前から日本のシティ・ポップ(注1)がじわじわと浸透してきました。マニアの間での流行から一般にも広がり、昨年は各地でイベントなども盛んになってきました。完全にムーブメントになっているといっていいでしょう。そうやって日本の音楽シーンが注目されることは、いいことです。ただし、これから日本の音楽シーンを米国や世界に広めるためには、音楽文化をブレンドする、フュージョンすることが成功の鍵だと考えています」

 米国にも拠点を置き、日米双方の良さを知る宅見氏は、その懸け橋になりたいとの思いがあり、「Sakura」にはそんな願いが込められている。

 秀樹が病床から「頑張ってね」

 もう一つ、宅見氏にはある枕詞がある。「西城秀樹(注2)の甥(おい)」だ。「私の母が、秀樹さんの姉です。だから、子どもの頃から音楽の環境は非常に良かった。秀樹さんのコンサートにはいつも連れていってもらっていて、秀樹さんの歌はある種、子守唄のような(笑)。音楽の英才教育というわけではないけど、強く影響は受けました」

 影響の片鱗は、洋楽だという。秀樹は当時の歌謡界では珍しく洋楽のカバーを数多くしていた。その代表作は「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」だろう。宅見氏曰(いわ)く、洋楽カバーの第一人者だった。

「秀樹さんは音楽への嗅覚がすごい人で、洋楽の伝道師みたいなところがありました。それもあってか、洋楽を好きになり、音楽の世界に身を置くようになりました」

 宅見氏は18年、米・ロサンゼルスに移住。その直前の1月、秀樹から電話があったと明かす。

「もう病気であまり話せなかったにもかかわらず、『頑張ってね』と一言言ってくれました。それが秀樹さんとの“最後の会話”になりましたが、その言葉に励まされて、ここまでやってこれたのかなって」

 グラミー賞最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞のノミネートは5作品。果たして、受賞することができるか。発表までもう間もなくだ。

(ジャーナリスト・山田厚俊)


「サンデー毎日1月29日号」表紙
「サンデー毎日1月29日号」表紙

(注1)1970年代後半から80年代にかけて日本で流行した都会的な音楽で、山下達郎、竹内まりや、大瀧詠一、南佳孝、吉田美奈子、角松敏生などの作品が2010年代、ネット空間でサンプリング(引用・流用)されて世界中に広がった。近年ではユーチューブでもそれらの作品が海外で数多く視聴され注目を集めている

(注2)1972年、「恋する季節」で歌手デビュー。「愛の十字架」「傷だらけのローラ」などのヒット曲があり、郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれた。2001年、脳梗塞を発症。その後復帰したが、11年に再発し、闘病生活が続いた。18年5月、急性心不全で逝去。享年63


インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

12月3日号

経済学の現在地16 米国分断解消のカギとなる共感 主流派経済学の課題に重なる■安藤大介18 インタビュー 野中 郁次郎 一橋大学名誉教授 「全身全霊で相手に共感し可能となる暗黙知の共有」20 共同体メカニズム 危機の時代にこそ増す必要性 信頼・利他・互恵・徳で活性化 ■大垣 昌夫23 Q&A [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事