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派閥記者の西山さんは「密約」を報じなかった 社会学的皇室ウォッチング!/65・番外編 成城大教授・森暢平
西山太吉さんが2月24日に亡くなった。死亡を報じる『毎日新聞』は「沖縄返還交渉に伴う密約文書を入手、報道し国家公務員法違反に問われながらも、情報公開請求訴訟などを通じて密約問題の追及を続けた」と書く。だが私は、西山さんの記者としての在り方に疑問を持つ。密約を示す機密電報に接しながら、その存在を読者に分かるように報道していなかったためだ。
沖縄返還に絡む軍用地補償問題で、日米の密約があったことがはっきりと報じられたのは1972(昭和47)年3月28日である。『朝日新聞』は「沖縄軍用地『補償費で米と密約』」「支払いを肩代わり」と大きな見出しを打ち、1面トップで報じた。前日、社会党衆院議員の横路(よこみち)孝弘が、外務省機密電報3通を示しながら、沖縄の軍用地地主に米国が支払う復元補償費400万㌦(当時のレートで約12億円)を、実は日本政府が肩代わりすることを追及した。それを受けた報道だ。
横路が示した機密電報のひとつが、前年(71年)6月9日、東京で井川克一(かついち)外務省条約局長とスナイダー米公使の会談の内容を、パリにいた愛知揆一外相に伝えたものだった。件名「沖縄返還交渉」(文書番号559号)。そこには、「日本政府は米政府による見舞金支払いのための信託基金設立のため400万米ドルを米側に支払うものである」との文字があった。
この機密電報を入手したのが、毎日新聞政治部の外務省キャップだった西山さん(当時39歳)である。西山さんは外務省審議官付の女性秘書から6月12日、渋谷区内のホテルで、機密電報を受け取った。西山さんと女性秘書はこの20日ほど前から親密な仲になっていた。
補償金の財源は、日本国民の権利に直接かかわる。国会審議やメディアを通じた議論で是非が判断されるべきで、密約は許されない。しかし、西山さんの情報の入手方法が、記者として許されるものかどうか。ジャーナリズム論の主流論者たちは、記者が情報を得る方法に制限があると人々の知る権利が損なわれる、と論じる。だが私は、徳の倫理学の立場で考えている。重要なのは、当時の西山さんの機密電報入手の目的である。
言い換えれば、沖縄が無償で返ってくるかのような政府の喧伝(けんでん)がまやかしであることを、西山さんは読者に知らせようとしていたのかどうか――。
目的外使用の問題
西山さんは機密電報入手の6日後、『毎日新聞』(6月18日)3面に署名記事を書いた。この前日に沖縄返還協定が調印され本土復帰が正式に決まり、それを受けた解説だ。「交渉の内幕」を書いた記事の見出しは、「請求処理に疑惑」。見出しの大きさは4段で、約2700字の長文。最後に密約をにおわせる記述がある。
「(米国側の)『自発的支払い』(見舞金)については、不明朗な印象をぬぐいきれない。パリの愛知・ロジャーズ会談に持ちこまれたのは、この対米請求問題だけだったが、(6月)9日を中心に前後数日の交渉内容から推して、果たして米側が、この見舞金を本当に支払うのだろうか、という疑惑がつきまとう」「米側は、議会で『4百万㌦は日本側が支払った』と説明して、その場をしのごうとしたのが実情ではないのか。ただし、そう説明するためには、日本側から内密に〝一札〟とっておく必要があったはずである」
機密電報を入手した西山さんは、日米に密約があることをはっきり認識していた。そのことを「内密に一札」という表現ににじませる。しかし、3面解説という地味な扱いに、密約の存在に気がついた読者はほとんどいなかった。外務省幹部たちは機密が漏れたことを知っただろう。だが、西山さんが曖昧な書き方をしたうえ、「内密に一札」の根拠を示さなかったので報道は黙殺された。
記者なら、機密電報を入手した段階で1面記事として、密約をスクープすべきであったが、西山さんはそうしなかった。「沖縄返還自体はベストではないが、ベターな状況で進んでいるので、今後のことや取材源への配慮から電信文をナマな形で記事にはしたくない」というのが、後(のち)の西山さんの言い分だ。
西山さんには、ジャーナリストとしての正義感以前に、派閥記者的発想があったのではないか。西山さんは池田勇人(はやと)首相の時代から宏池会担当が長く、後に首相となる大平正芳と縁戚関係にあった。現実政局のなかで、大平がどう勢力を伸ばすのかに関心が強かったのではないだろうか。
そのことの証左となってしまう事実が、『毎日新聞』の野党担当記者を通じて機密電報を横路に渡したことである。機密電報入手から9カ月後、予算成立の直前の段階で密約が明らかになれば、佐藤栄作政権は揺らぐ。当時、ポスト佐藤を巡って田中角栄と福田赳夫(たけお)が激しく争い、大平は田中と組んでいた。佐藤が福田に禅譲するとの見方も根強くあり、大平・田中連合は佐藤に揺さぶりを掛けるスタンスを取った。西山さんは佐藤政権を揺るがしたかったのではないかとの噂(うわさ)は根強くあった。
そのことは立証されていない。しかし、西山さんは紙面で密約を糾弾するのではなく、野党議員に機密電報を横流しした。少なくとも、取材で得た資料を目的外使用した疑いは残る。
100%は肯定できない
もうひとつ気になるのは、やはり女性秘書の問題である。「暴くべき国家機密があるのであれば、記者の手段は問われるべきではない」「密約の問題を、男女問題にすり替えるのは不当」――。そうした主張にも一理ある。しかし、徳の倫理学の立場から言えば、西山さんが女性秘書を利用した側面があることは気に掛かる。情報を知りうる立場にある女性秘書に近づき、結果として自分への好意を利用して情報を入手したことは否定しきれない。
断っておくが、密約問題を男女問題にすり替えるつもりはない。西山さんの行為はジャーナリストとして100%は肯定できるものでないと言いたいのである。
もちろん、西山さんは人生の最後に国家権力と闘った。そのことは素晴らしい。ジャーナリズム研究者として、そして毎日新聞記者の後輩として、西山さんのご冥福をお祈りする。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など