週刊エコノミスト Online サンデー毎日
「カッコイイ」未曽有の犯罪と時効に向けた刑事の執念 1968(昭和43)年・3億円事件
特別連載・サンデー毎日が見た100年のスキャンダル/51
会社員の平均年収が70万円ほどだった高度成長期、その400倍超の大金が東京・府中の路上から現金輸送車ごとさらわれた。約12万人が捜査対象とされながら未解決で終わった「3億円事件」だ。警察の一挙一動を追うメディアは時に情報のクレバスへ落ち込んだ。
セブンスターが26人、ハイライトが18人、チェリーが8人。「禁煙中」という回答も1件あった。本誌こと『サンデー毎日』1975(昭和50)11月16日号が88人の男性に向けていっぷう変わったアンケートを行っている。ひいきの野球チームに愛読書、休日の過ごし方……と質問は14項目。好きなたばこの銘柄は、今なら多分聞かないだろう。
誌面を埋める回答の中には「ねばり」の文字が多く出てくる。これは「刑事根性とは」という設問への答えだ。88人とは誰あろう、時効が約1カ月後に迫った「3億円事件」を追う捜査本部の刑事たちである。大詰めの時期にしては手の込んだ企画だが、そうでなくても捜査員を顔写真付きで紹介する記事は当時も異色だったはずだ。靴を何足も履き潰した〝デカ〟がいた――その証しを残しておきたいと考えたのだろう。
68年12月10日、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が東京都府中市の路上で白バイ隊員ふうの男に止められた。男は「ダイナマイトが仕掛けてある」と話すなど巧みな演技で行員らを車から隔離すると、運転席に乗り込んで逃走。冬のボーナスとして東芝府中工場に届くはずだった2億9430万7500円が奪われた。頭脳的犯罪に世間の関心は沸騰した。本誌12月29日号は〈人を傷つけもせず、殺しもせず、あれだけの金を奪ったんだから、まったくニクイね。うちの子供なんか「カッコイイ」っていって、犯人にあこがれていますよ〉という声を拾う。
偽の白バイなど遺留品も多く、捜査本部は年内解決を目指したが、もくろみは外れた。本誌69年7月13日号は「三億円事件 虚実の200日」という見出しで長期戦を覚悟する刑事と彼らに密着する記者の「特ダネ合戦」を伝える。耳目を引いた事件だけに情報が飛び交ったが、一方で〝ガセネタ〟も多かったようだ。
同年6月、某新聞が、急に金遣いが荒くなったという「有力容疑者A」の浮上を報じるが、じきに立ち消える。警視庁詰め記者が本誌にこう明かす。〈近所に住む中年のおばさんのタレコミから、はじまったんですよ。「あの事件の日の朝、Aがジュラルミンの箱を家に運びこんだのを見た」というんだね。(中略)テレビで捜査本部の刑事さんが、犯人があがらないとしかられているのを見て、気の毒だ、それじゃ私のとっておきの話をしましょう、というんでタレこんできた〉
「重要参考人」誤報『毎日』謝罪も
そして発生から1年後、26歳男性を重要参考人として捜査開始、と『毎日新聞』が伝える。初めは匿名だったが、警察が微罪で〝別件逮捕〟すると、他紙も含めて実名報道に踏み切った。だが逮捕翌日に男性のアリバイが成立、釈放。本誌69年12月28日号は「12、301人目の容疑者が白になるまで」と題し、捜査の舞台裏をこう記す〈〝別件逮捕〟は捜査陣にとっても、また報道陣にも常識だったのである。この別件逮捕に踏切るために、牛乳配達をしていたころに、牛乳十本を自宅に持帰ったという話を本部の捜査員が聞込み「業務上横領」で逮捕しようかというハラづもりもあった〉
〝スクープ〟が誤報となった毎日は同年12月15日付朝刊の社説で〈この際、報道と人権の関係について深く自省したい〉と書いた。
その後、山場は訪れず報道も散発的になるが、刑事たちは歩き続けた。時効まで700日を切った頃の本誌74年2月3日号は〈かくて九万五千六百九十一人の容疑者が浮かび、その大半は消えた〉と伝える。
冒頭に挙げたアンケートの14番目は「事件落着後まず何をしたいか」という質問だ。多くの刑事が「家族と旅行」と答えている。
(ライター・堀和世)
ほり・かずよ
1964年、鳥取県生まれ。編集者、ライター。1989年、毎日新聞社入社。ほぼ一貫して『サンデー毎日』の取材、編集に携わる。同誌編集次長を経て2020年に退職してフリー。著書に『オンライン授業で大学が変わる』(大空出版)、『小ぐま物語』(Kindle版)など