教養・歴史

「東大合格者」高校別ランク盛衰記・1995~2022年 私立校に新興勢力 巻き返す公立伝統校 教育ジャーナリスト・小林哲夫

阪神大震災で発生した神戸市長田区の火災(1995年1月17日)
阪神大震災で発生した神戸市長田区の火災(1995年1月17日)

 2023年度(23年4月入学)の東京大の一般選抜合格者が3月10日、発表されました。サンデー毎日では3月14日発売の「サンデー毎日3月26日増大号」で、合格者1人の高校まで詳報します。これに先立ち、本誌2月12日号から3号にわたって掲載された「『東大合格者』高校別ランク盛衰記」を配信します。

>>〈サンデー毎日2月12日号掲載「東大合格者」高校別ランク盛衰記・1949~68年〉はこちら

>>〈サンデー毎日2月19・26日合併号掲載「東大合格者」高校別ランク盛衰記・1970~94年〉はこちら


(サンデー毎日3月5日号掲載)

 東大合格者を数多く出している高校の「盛衰」を追う大反響シリーズの3回目。今回はいわば「現代」だ。だが、「私立校優勢」は定着しているが、公立校も試行錯誤を重ねて復権している。ともに、そこには教育、そして「人を育てる」ことの奥深さも見えてくる。

 1995年、阪神・淡路大震災が起こった。

 灘(兵庫)は避難所となり、グラウンドは被災支援の拠点として食料が提供され、簡易風呂が設営された。体育館は地震で亡くなった人たちの安置所となる。灘からの合格者は94年100人→95年95人→96年104人→97年96人と隔年傾向を示しており、震災による大きな影響はなかった。

 現在、長野県御代田(みよた)町長をつとめる小園拓志(ひろし)氏は震災時、灘高2年で住んでいた下宿が全壊した。のちにこう振り返っている。

〈部屋に閉じ込められている向かいの下宿生を、ドアに体当たりして救い出し、向かいの家でうずくまっているおばあちゃんを外に連れ出して通りに出ると、下宿の一階がつぶれてなくなっているのが分かりました〉(小園氏のオフィシャルサイト、2019年1月17日)

 小園氏は翌年、東大に入学した。

 96年、桜蔭(東京)から93人合格している。今日まで女子校の中で最も多い。

 90年代半ば、新興の中高一貫校(70~80年代に開校)が合格者を出している。主な学校は次の通り。

 95年=池田学園池田(鹿児島)5人、東明館(佐賀)4人、土佐塾(高知)3人、西武学園文理(埼玉)3人、北嶺(北海道)3人、佐久長聖(長野)1人

 97年=駿台甲府(山梨)10人、神奈川大付(神奈川)2人、昭和薬科大付(沖縄)3人、穎明館(東京)1人、志学館(千葉、現志学館高等部)1人、昭和学院秀英(千葉)1人、山梨学院大付(山梨、現山梨学院)1人

 新設校がいきなり進学実績を作るのは難しい。「特進クラス」などと呼ばれる難関大受験に特化したコースを設け、既存の進学校から教員を招へいし、塾や予備校のノウハウを活用、中学受験進学塾での宣伝など、涙ぐましい「企業努力」を行ってきた学校もある。

今年3月10日の東大安田講堂前。コロナ禍で立ち入りが制限された過去2年と比べ、記念撮影する一般人の姿も見られた
今年3月10日の東大安田講堂前。コロナ禍で立ち入りが制限された過去2年と比べ、記念撮影する一般人の姿も見られた

「ドラゴン桜」で志願者が大幅増

 80年代後半~90年代前半に中学受験ブームが起こった。開成、麻布、筑波大付駒場、桜蔭、女子学院(いずれも東京)などが超難関校となった。この時の中学入学者が90年代後半に東大を受けている。98年、開成が205人の合格者を出し、同校で歴代トップとなったのは、中学受験ブームの象徴といえようか。一方、東京の都立は上位40校にも入っていない。戸山16人(47位)、西13人(63位)、国立と八王子東7人(96位)だった。

 90~2000年代、都市部で公立校が低調だったのは、教育熱心な保護者が公立中に不信感を抱いたことも背景にある。公立の学校で、いじめ、不登校、学級崩壊が問題となったからだ。こうした機会を私立は逃さなかった。

 00年代、一部の私立は中高一貫校化、特進コース設置、男女共学化を進めた。校名を変更した学校もある。02年に開校後初の合格者を出した学校は次の通り。 西武台(埼玉)1人、安田学園(東京)1人、洗足学園(神奈川)1人、渋谷教育学園渋谷(東京)1人

 中学受験ブームはさらに続き、それを後押ししたのが「ゆとり教育」政策だった。私立は土曜日に授業があり、公立と比べ時間割が充実している。「ゆとり教育」では難関大合格はおぼつかない、と保護者は考えた。

 02年、渋谷教育学園幕張が千葉で初めて東大合格者数トップになる。一方、00年代前半、西日本の私立校が前年比で減少した。「02→03年」だとこうだ。

 灘94人→88人、ラ・サール(鹿児島)78人→52人、洛南(京都)47人→45人、久留米大付設(福岡)40人→31人、広島学院(広島)33人→30人、青雲(長崎)23人→17人、甲陽学院(兵庫)19人→16人、洛星(京都)20人→8人 灘の進路主任はこう話す。

〈東大に合格できる力のある生徒が、地元の国立大の医学部を目指し、経済的な理由から浪人を避ける大学選びをした生徒が多かった〉(『サンデー毎日』03年3月30日号)

 01年、東京都は日比谷、西、戸山、八王子東の4校を進学指導重点校に指定し、03年には国立、立川、青山が追加する。進学を重視した教育課程の編成や補習の充実、指導力のある教員らを配置するなどの支援策を打ち出した。05年には進学指導重点校1期生が大学受験を迎え、日比谷14人(前年3人)、西18人(同11人)と東大合格者を大幅に増やす。東大受験を巡って不思議な現象も起きた。東大模試の受験者数が前年比で20%増え、06年の前期試験の東大志願者は前年より321人増えた。予備校関係者は、東大受験のノウハウを描き、03~07年に『週刊モーニング』で連載され、05年にはドラマ化された漫画「ドラゴン桜」の影響と見ている。

東日本大震災で宮城県沿岸部を襲う津波(2011年3月11日)
東日本大震災で宮城県沿岸部を襲う津波(2011年3月11日)

停電下ロウソクの明かりで合格

 00年代から10年代にかけても変化が起きる。

 横浜にある聖光学院(神奈川)=04年32人→07年48人→10年65人 東京・池袋に近い豊島岡女子学園(東京)=04年9人→07年14人→10年24人

 ともに東大合格者を増やした。これは01年にJR東日本が東京都心から見れば、北へ走る宇都宮線と高崎線と、南へ向かう東海道線と横須賀線が事実上つながる「湘南新宿ライン」の運行開始で、池袋や横浜の間を乗り換えなしで通えるようになり、「両校の通学範囲が広がり、優秀な生徒が広範囲から集まったから」と学校関係者は見ている。

 09年、全国の公立高校からの合格者合計は1204人だった。07年1074人、08年1135人なので増加傾向にある。09年の公立高校上位はこうだ。

 ①岡崎(愛知)42人②浦和・県立(埼玉)36人③千葉・県立(千葉)27人、宇都宮(栃木)27人⑤富山中部(富山)25人、一宮(愛知)25人⑦大分上野丘(大分)22人⑧札幌南(北海道)21人⑨刈谷(愛知)20人⑩旭丘(愛知)19人、岡山朝日(岡山)19人

 公立復活の理由としては全国的に学区撤廃や学校群制度廃止が進んだことだ。愛知、大分、岡山がその例。また、公立ながら難関大受験対策のコースを作った学校もあった。そして、公立トップの岡崎の周辺にはトヨタ自動車やデンソーなどの世界的な企業、自然科学研究機構の岡崎共通研究施設がある。これらで働く研究者が子どもの教育に力を入れたからとも見られた。

 10年、京都市立の堀川から合格者が9人出た。05~09年は2、3、4、5、7人と増えていく。堀川は京都府内全域から優れた生徒を受け入れ、探究型の教育を行ったところ、02年は国公立大合格者106人を数えた。前年比100人増で「堀川の奇跡」と呼ばれた。

 11年3月11日、東日本大震災が起こった。宮城県で被災した県立の古川黎明3年の男子生徒は東大前期試験に合格できず、後期試験の勉強をしているさなかだった。こう振り返る。

〈震災から5日間は停電していて、お寺からたくさんのロウソクをもらい、その明かりで勉強しました。ただ落ち着いて勉強できる状態ではなく、焦りも手伝って手が震えていたことを覚えています。昼間は田のあぜ道でテキストを広げていましたが、寒くて集中できませんでした〉(『サンデー毎日』12年3月25日号)

 彼は無事合格した。

 12年、06年に開校した海陽中教(愛知)の1期生13人が合格した。同校は建学の精神に「将来の日本を牽引(けんいん)する、明るく希望に満ちた人材の育成」を掲げ、設立にあたってはトヨタ自動車、JR東海、中部電力などの中部地方の財界が合わせて約200億円を投じるなど大企業が参画している。

 16年、東大が初めて推薦入試を実施した。学校長が東大に推薦できる人数は最初、各校男女各1人までで、2人合格だったのは男女共学の札幌南、学芸大付(東京)、渋谷教育学園幕張、日比谷、大阪教大付天王寺(大阪)の5校だった。

 札幌北(北海道)からは1人が合格したが、同校進路指導部長がこうふり返る。

〈担任のバックアップはもとより、国語教諭による小論文指導や、部活動の顧問に対する活動歴の照会など、多くの教員がかかわっています。本人と教員が一丸となって向かったから合格できたのです〉(『サンデー毎日』16年2月28日号)

 20年、N(沖縄)から初めて合格者が出た。角川ドワンゴ学園が16年に設立した通信制高校で17年に通学コースを設置した。21年に4人、22年には1人の東大合格者を出している。

コロナ禍で合格者の番号の張り出しが中止され、静かな東大本郷キャンパス(2021年3月10日)
コロナ禍で合格者の番号の張り出しが中止され、静かな東大本郷キャンパス(2021年3月10日)

21年はコロナに「苦しんだ」開成

 21年の受験生は新しい入試制度である大学入学共通テストの準備、新型コロナウイルス感染への予防に追われた。開成からの合格者が振り返る。

〈学校行事、部活の大会の中止やコロナでの休校などで、切り替えができない人が多く、その時期の差がそのまま入試の合否に影響したのかなと僕自身は感じています〉(『’22年版 私の東大合格作戦』エール出版社、21年)

 開成の合格者は前年比41人減、現役は12人減だった。

 22年、西大和学園(奈良)の合格者79人について、同校の校長がこう説明している。生徒から東大コース設置の要望が出た。それまでは授業、補習や課題も京大や医学部志望者向けだった。

〈高2の3学期から東大志望の生徒67名を1クラスにして、専用の教室をつくりました。普通なら高2の冬休み明けから検討を始め、高3からクラス替えや、時間割変更をするという改革を、冬休みのわずか2週間で行ったのです。このシフトチェンジのスピード感は、本校だからこそです。生徒たちも、自分たちの要望がすぐに形になったので、『ここまでしてくれるんだ』と大喜びでした〉(『さぴあ』22年9月号、SAPIX)

 22年、日比谷の65人は71年以降では過去最多となった。東大合格者の都立校合計最多は64年817人(東大合格者のうち都立校出身者の比率34.5%)。最少は04年56人(同5.7%)である。22年は202人(同6.6%)まで復活した。これは都立校の進学指導重点校のほかに、中高一貫校(中等教育学校と中学併設型)の誕生(または既存校からの転換)が大きい。中等教育学校は22年に小石川、桜修館、立川国際、南多摩、三鷹の5校と、中学併設型は白鷗、両国、武蔵、富士、大泉の5校を合わせると51人が東大に合格した。12年は10人だったので5倍増となる。「民業圧迫だ」と嘆く私立校関係者はいた。しかし、中学受験ブームが続く限り、トップ校の私立校、国立校はまだまだ盤石である。1960年代半ばの最盛期にはそう簡単には戻らないだろう。

 本連載では東大合格高校の盛衰を4分の3世紀にわたって追いかけてきた。高校の入試制度や通学区制で翻弄(ほんろう)される公立伝統校、「東大合格作戦」を展開する私立中高一貫校から、日本の教育制度が抱える課題、学校経営者や保護者のホンネの部分が見えてくる。東大を目指す高校が織りなすドラマは実に面白い。教育、そして「人を育てる」ということの難しさや醍醐味(だいごみ)を教えてくれる。

こばやし・てつお

 1960年神奈川県生まれ。教育、社会運動を中心に執筆。近著に『東大合格高校盛衰史』(光文社新書)、『早慶MARCH』(朝日新書)

 小林哲夫さんが2月、『改訂版・東大合格高校盛衰史』(光文社新書)を出版しました。2009年に発刊された『盛衰史』からの改訂版で、東大への合格を巡る各年代、全国の動きを、さらに詳しく記しています。全国書店などでご購入ください。

「サンデー毎日3月26日増大号」表紙
「サンデー毎日3月26日増大号」表紙

 3月14日発売の「サンデー毎日3月26日増大号」では、「超速報!東大・京大 国公立大前期 合格者高校別ランキング」「宮台真司が襲撃事件の全貌を明かす! コミュニケーション喪失時代の『不気味な影』」「和田秀樹 みんなに役立つ『受験の壁』第五回 『東大生の壁』〝受験学力〟は一生モノだ!」などの記事も掲載しています。

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