週刊エコノミスト Online サンデー毎日
3年7カ月ぶりの静養 御用邸・牧場が必要な理由 社会学的皇室ウォッチング!/70 成城大教授・森暢平
天皇ご夫妻と長女愛子さまは4月5日、静養のため栃木県の御料牧場に入った。天皇ご一家が地方で「ご静養」するのは2019年8月19~28日に同県の那須御用邸に滞在して以来、実に3年7カ月ぶりだ。
御料牧場へは東北新幹線を使って移動することが多いが、今回は乗用車を利用した。JR宇都宮駅に出迎えの人が集まることを避ける感染対策である。
到着日にはメディアの取材機会があった。天皇陛下が、「久しぶりに3人で御料牧場に来ることができてとてもうれしく思っております」と述べ、雅子さまは「おかげさまでとても新緑もきれいで、いい空気のなかでゆっくりとさせていただくことができればと思って、とても楽しみにしております」と続けた。さらに、愛子さまが「動物たちを眺めたり、野菜を収穫したりして、充実した時間を過ごすことができればと思っております」としっかりとした口調で述べた。
記者から、「空気が澄んで……」と声が掛かると、次のように会話が続いた。
天皇陛下「そうですね。とても。ほんとうに」
雅子さま「ほんとうに」
天皇陛下「緑もね、きれいで」
雅子さま「きれいで、まだ桜がところどころ咲いていて……」
愛子さま「窓から桜が、窓から桜が見えて……」
天皇陛下「そうね」
愛子さま「車の……」
雅子さま「途中、来る途中、桜がとてもきれい……」
天皇陛下「きれいだったね」
会話がシンクロしていくように重なり、仲の良い様子がうかがえる。愛子さまは「窓から桜が」と述べるところ、両手を胸の前で窓の形につくる手振りを見せて、会話が自然に感じられた。
マスクなしで取材に臨んだご一家。以前から歯科矯正中と伝えられる愛子さまの口もとには、矯正装置のワイヤが見えた。おそらく歯の矯正の最終段階(保定中)なのだろう。今の自分を隠さず、ありのままで取材を受ける姿が印象的であった。
天皇ご一家が4年近く「ご静養」に行かなかったのは、むろんコロナ感染症の拡大のためだ。昨年8月も那須御用邸での「ご静養」が検討された。しかし、「ご静養」には侍従、女官をはじめ多くの職員が同行する。その職員らの感染防止対策が難しいこと、万が一、感染者が出た場合に現地に負担がかかることが配慮され、中止された。
一方、政府は新型コロナウイルスの感染法上の分類を5月8日から「5類」に引き下げると決めた。昨年10月から「全国旅行割」(全国旅行支援)も始まり、ポストコロナをにらんだ観光支援政策が行われている。皇室が「ご静養」に行くことは、こうした政策を後押しするものとなるだろう。
私は宮内庁担当記者だった1990年代、皇太子さま(当時)と雅子さまの「ご静養」の回数は多すぎると思っていた。「世のサラリーマンはそんなに休めない」というやっかみを含めた見方であったかもしれない。
過去3年余りのコロナ感染症の蔓延(まんえん)のなか、天皇ご一家はほとんど外出ができなかった。地方への公務も昨年秋に復活するまで行えなかった。愛子さまは昨年度まで大学にほとんど通えていない。当初は赤坂御用地、21年9月に新御所転居後も皇居の外に出ることがほとんどなかったのである。
スタバに行けるなら
天皇ご一家は、気分転換としてスターバックスで好みの商品を飲みながら時間を過ごすとか、大型書店に立ち寄って好きな本を選ぶといったことができない。さらに「ご静養」も葉山、那須、須崎の三つの御用邸、および御料牧場の4カ所に限られる。北海道・函館でカニが食べたいとか、大分・湯布院の温泉でのんびりしたいと考えても、それはかなわないのである。そんな過酷な環境にいる天皇ご一家の大きな楽しみのひとつが「ご静養」である。
もしも、天皇がスタバに行くことができるなら、御用邸はもういらないかもしれない。だが、それができないから御用邸があり、「ご静養」があるのだと、私は理解している。
1本80円の牛乳
とくに、栃木県高根沢町・芳賀町にまたがる宮内庁御料牧場は、天皇ご一家にとってお気に入りの場所である。動物好きの愛子さまには、乗馬など馬とのふれあいが最大の楽しみのようだ。
御料牧場は、広さ約252㌶。東側に貴賓館や馬場などがあり「ご静養」のほか、外交団接待に使われる。家畜が飼育されるのは西側地区だ。野菜・果物など24種が栽培されるほか、馬32頭、乳牛31頭、ブタ36頭、めん羊548頭、鶏1028羽、日本きじ35羽が飼育されている(「朝日新聞デジタル」15年3月26日)。よく知られているのは、宮内庁独自の牛乳生産である。天皇家の食卓にあがるほか、皇居内の宮内庁食堂でも瓶1本80円で販売されている。このほか、ハム、ソーセージ、ベーコン、缶詰、若鶏の燻製(くんせい)などの加工品も作られている。
ところで、皇室はなぜ御用邸を保有しているのだろうか。明治初期、嘉仁(よしひと)親王(のちの大正天皇)の次に生まれた2人の内親王が1883(明治16)年9月に、2歳および7カ月で相次いで亡くなる事件があった。残暑のなかでの逝去だった。この時、侍医は、箱根や日光のような山間清涼の地に離宮を設けて、明治天皇の子どもたちの避暑にあてることを提言した。
こうしてまずできたのが静岡県熱海、群馬県伊香保の御用邸であった。戦前、御用邸は増えていき、戦後は葉山、那須、沼津の3カ所に整理された。沼津は周辺環境の工業化に伴い1969年に廃止され、その代わり、同じ静岡県に設置されたのが須崎御用邸である。
一方、御料牧場はもともと千葉県にあったが、そこに成田国際空港が建設されることになり69年、現在の場所に移転した。
私的外出が極めて制限される天皇ご一家にとって、御用邸や御料牧場での「ご静養」は身体上の休息だけでなく、リラクセーションやリフレッシュに役立っている。ただ、たまには他の地でのお楽しみも必要ではないか。「ご静養」が御用邸、御料牧場に限られるのは、今後議論が必要である。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など