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64年前の「投石事件」少年は何を考えたか 社会学的皇室ウォッチング!/71=成城大教授・森暢平

皇太子殿下ご夫妻の馬車に投石した少年が逮捕された瞬間(1959年4月10日撮影)
皇太子殿下ご夫妻の馬車に投石した少年が逮捕された瞬間(1959年4月10日撮影)

 4月10日は、上皇ご夫妻の結婚記念日だった。「世紀の御成婚」と言われた1959(昭和34)年のイベントから64年が過ぎた。晴れがましいあの日の最大の不祥事が、いわゆる「投石少年」による事件である。

 事件は御成婚パレードの最中に起きた。皇居を出発したお二人を乗せた馬車は二重橋、皇居前広場を過ぎ、祝田町交差点(現二重橋前交差点)を右折し、内堀通りを南に(祝田橋方面に)向かうところだった。

 皇居前広場に集まっていた奉祝者は約18万人。日比谷方向からさらに多くの群衆が押し寄せ、警察の遮断線を突破して続々と人が集まってきた。一部、群衆なだれが起きそうな状況さえあり、警察官は人々の制御にエネルギーを費やしていた。そんな騒然とした状況で事件は起きた。『警視庁事務年鑑』(59年度版、情報公開請求で入手)は次のようにまとめている。

「両殿下御同乗の還啓馬車御列は、午後2時32分予定より1分遅れて御出門、午後2時37分御召車が祝田町四つ角を右折した直後、●が、奉祝者整理線から警備員の間をくぐりぬけ、万才を連呼しながら両手をあげ、御召車めがけて駆け出し、アツと思う瞬間、こぶし大の石1個を投げつけ、さらに残る1個を投石して御紋章の下部に命中させたうえ、御召車にとびつき、右腕を縁にかけたが、車従の宮内庁●技官にその腕を払いのけられ、同時に駆けつけた第一機動隊員、●巡査部長以下4名が取り押さえた(中略)同人はその場で暴行現行犯人として逮捕、丸の内警察署に連行した」(●は情報公開の際の伏字)

 石が投げられた瞬間、危険を察知した美智子妃は、反射的に体を後ろにのけぞらせた。完全制圧まで10秒弱。馬車列はこの後、何事もなかったかのように進んでいった。

 奉祝一辺倒の当時の新聞は、パレードの際に起きた一コマとして事件を小さめに扱った。一方、米国では、御成婚そのものよりもこの事件をメインに取り上げた新聞まであった。「天皇の国」ニッポンで起きたこの事件は、海外においてのほうが扱いが大きかったのである。

 戦争の申し子

 事件を起こした少年は当時19歳。長野県伊那市に現在は合併された山間の小さな村の出身である。父親は戦時期の4年間、村長を務めたことがある。戦争中に生まれた彼の名前は、「大東亜共栄圏建設」にちなんで名付けられた。地域で国策の旗を振る名望家の生まれ、日本のアジア進出を象徴する名前……。戦争の申し子のような人物であった。

 少年は小学校6年生だった1951年、貞明皇后が亡くなり、全校児童が東京に遥拝(ようはい)させられたとき、皇室の存在に疑問を感じた。地元の進学高校に進み、現役時代は同志社大学を受験して失敗。上京し1浪後、早稲田大学、中央大学を受験して再び不合格。ちょうど2浪目に入ろうとするところだった。

 彼が不満に思ったのは、高校3年生のとき、校舎が全焼し、その再建費が4000万円だったのに、皇太子夫妻の東宮御所新築には2億3000万円が支出されることだった。少年の目的は明仁皇太子、美智子妃への説得であった。皇太子位から降りる、すなわち「退位」について2人に直接話がしたいと思った。実は、事件の数日前にも皇居を訪れ、「皇太子に会いたい」と皇宮警察官に訴え、追い返されていた。

 普通に考えれば、説得などは無理である。しかし、真面目で純粋な彼は、「僕の直訴を聞いた後で二人が本当に話し合って、近い将来自発的に退位してくれればそれが一番良い」(石原慎太郎「あれをした青年」)と考えた。石を二つ用意したのは、馬車が屋根付きであると予想し、窓ガラスを割って話し掛けようとしたためだ。その石を投げてしまったのは、想像と異なる屋根なしのオープン馬車で、気が動転してしまったからだ。「パレードをぶち壊してやる」と供述したとされるが、警察官のバイアスからそのように聞こえてしまっただけのように思える。彼の主観のなかでは、目的はあくまで説得であった。

 逮捕された彼は5月1日、「精神分裂病の疑いが濃い」として医療少年院送りが相当とされ家裁に送致された。しかし家裁は、病気は「快方に向かっている」と判断し、保護観察処分にしたうえで釈放した。彼は6月2日、故郷の村に帰った。

 実際、彼は心の病でもなんでもなく、健康だった。社会の平等やキリスト教精神に興味があった穏やかな少年であった。結果的に「過激」と受け止められてしまう行動をとったが、組織に属していたわけでもない。天皇制に刃向かう者は「精神分裂病」とレッテルを貼られた戦前のこの国のやり方に沿い、病気扱いされただけだ。不敬罪がなくなった戦後、実際にケガを負わせたわけではなく、暴行容疑にすぎない彼を重罪にする法律はない。世間を騒がせたことを問う罪もない。少年でもあるため、釈放されたのである。

 「狂気に近い誠実さ」

 この少年の行動に共感したのは、当時26歳だった作家・石原慎太郎であった。

 石原は少年が帰郷した2日後の6月4日、たまたま長野市で講演を行った。それを知った少年は伊那谷からわざわざ長野市に向かい、「言い分を聞いてほしい」と宿に石原を訪ねた。石原は次のように書いている。

「彼の話の殆(ほとん)どが殆どの人間に理解されるだろうことを僕は信じる。彼を取調べ、彼を裁き、彼を気違い(ママ)と言う名目(?)で放した人たちにも同じだったに違いない。彼の言う通り、現代では狂っている人間がまともで、まともな奴が可笑(おか)しいと言うことを誰もが感じてはいるのだ。その誤謬(ごびゅう)を修正する直接の行動のためには、今日では矢張(やは)り一種の凶気(ママ)に近い誠実さと勇気がいるということも」(「あれをした青年」)

 石原は、社会に対する少年の異議申し立てを「誠実」だと評価した。既存の古い世代に対して立ち上がったという意味での共感であろう。

 昭和の時代、「あの人は今」的な扱いで折に触れメディアに消息が報じられた元少年は、ご存命であれば現在83歳。過去20年以上、その動向は報じられていない。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日4月30日増大号」表紙
「サンデー毎日4月30日増大号」表紙

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