週刊エコノミスト Online サンデー毎日
戦後政治と宗教の闇 カルト権力を告発する! 旧統一教会と日本会議が形成した「宗教右派」の正体 自公政権の原型は60年前にあった ジャーナリスト・青木理
旧統一教会問題を解決しないまま、岸田政権の支持率は安定に向かっている。だが、そもそも四半世紀に及ぶ現体制は、宗教の侵蝕を受けた「カルト権力」だと喝破する「闘うジャーナリスト」が、戦後保守政治に食い込んだ宗教右派の策動を根本から暴露する――。
宗教が政治や社会に相当な影響力を持つ欧米などキリスト教圏、または中東のイスラム圏などとは異なり、この国は宗教にかなり淡泊で鷹揚(おうよう)だと多くの人が認識してきただろう。私もなんとなくそんなものだと考えてきたところがある。
いや、淡泊で鷹揚というより無定見で無節操とでも評すべきか、毎年暮れにはクリスマスだとはしゃぎ、年初は寺社が初詣の人波で溢(あふ)れ、近年は秋にハロウィーンなどと言い出して騒ぎ、そこに漂うのは商売の臭いばかり、宗教行事を能天気に消費する様は、いずれにせよ宗教的には無定見で無節操な雑食民。NHK放送文化研究所が10年に1度実施している調査によると、2018年に「信仰心がある」と答えたのは36%で、以前よりさらに減少傾向にあるらしい。
一方、こうした風潮を肯定的に捉えたのは生前の永六輔である。「日本は世界でも珍しい多神教国であり、多信仰国なんです。世界はこの点で日本を見習うべきだと思います」と永は1994年、『毎日新聞』で語っている。
これをどう受け止めるかはともかく、信仰心や宗教への定見薄きこの国も、政治や社会が怪しげな宗教の力に深々と侵食されたことはあった。むしろ信仰心や宗教への定見が希薄だからこそ、怪しげな宗教に侵食されやすい面があるのかもしれない、とさえ思う。
日本最大の草の根右派団体の影響力
言うまでもなく、先の大戦時は国家神道が軍部ファッショの強大な駆動装置となった。近年ではオウム真理教が地下鉄サリン事件などを引き起こして世を震撼(しんかん)させた。そして2022年7月、元首相の安倍晋三が白昼銃殺される事件の引き金となったのが異形のカルト、世界平和統一家庭連合=旧統一教会であり、背後には教団と政権中枢の長年にわたる蜜月があった。
これは宗教的、というより、まさに政治や社会そのものの無定見ゆえだろう。あの事件発生から10カ月ほどしか経(た)っていないというのに、衆参の大型補選や統一地方選といった重要政治イベントに際しても、異形のカルトと蜜月を紡いで増長を許した政治の責任や実態解明を問う声はすっかりと薄れた。
それを懸命に願っていた与党の為政者たち、ことに元首相をひたすら称揚していた者たちは胸をなでおろしているだろうが、事件を機に浮かんだ数々の疑問は現在もほとんどが解明されないまま野晒(のざら)しにされている。たとえば――。
これもあらためて記すまでもなく、元首相を中心とする右派勢力と旧統一教会の蜜月は決していまにはじまったわけではなく、隣国に生まれた異形のカルトをこの国に導き入れる役回りを果たしたのが元首相の祖父・岸信介だった。そう考えれば、3代に及ぶ世襲政治がカルトの澱(おり)を深く重く堆積(たいせき)させ、その遺恨がついに破裂して3代目を貫いてしまったとも言えるが、それにしても岸はなぜ、旧統一教会を導き入れる露払いを担ったのか。
単に旧統一教会が「反共」を呼号していたからか。あるいは、隣国を率いた軍事独裁との盟友関係が背景に横たわっていたのではないか。冷戦が熾烈(しれつ)さを増す時代、これも岸と深い関係にあった米国の意向もそこには働いていなかったか。とすれば、「反日的」な教義も持つとされるカルトは、歴史と国際政治の狭間(はざま)でアジアの右派が産んだ〝鬼っ子〟ともいえる。
それ以外にも疑問は多い。1990年代半ばに旧統一教会をターゲットにした警察捜査が「政治の意向」で頓挫したのはなぜか。同じ頃、教祖が特例で入国を許された背景に当時の与党内のどのような政治的打算が働いたのか。2000年代に入っては、教団宿願の名称変更が突如認められたのはなぜか。
こうした数々の疑問に加え、「伝統的家族」なる復古的妄想でも与党の右派勢力が旧統一教会と気脈を合わせ、ジェンダー平等や性的少数者の権利保護といった動きもねじ曲げられたのではないか、とも指摘された。
もちろんそれはそれで追及すべき論点だが、これについては旧統一教会のみに関心を集中させると物事の本質を見誤る、と私は指摘してきた。むしろ別の「宗教勢力」――それはある意味で旧統一教会の〝同志〟でもあったが、決して全面的な〝同志〟ではない「日本最大の草の根右派団体」――「日本会議」の影響の方が遥かに大きいと思われるからである。
右派宗教は安倍政権を理想とした
いまから7年ほど前、私は『日本会議の正体』(平凡社新書)というルポを執筆した。そこでも詳述したが、政財官界と宗教界の右派が集った「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が統合する形で1997年に発足した日本会議は、一言でいえば「宗教右派の連合体」というのがその本質に近かった。
団体のトップには政財官界の右派人士が就いたが、実際の組織運営にあたる事務総長などを担うのは「生長の家」出身者。教祖・谷口雅春によって戦前創設された「生長の家」は、現在でこそその宗教的色彩を変質させているが、戦前から戦中にかけては極端な国家主義を掲げる新宗教として教勢を拡大し、戦後もこの国の右派運動に大きな影響力を持ち続けた異形の宗教団体であった。
その「生長の家」出身者が中核を担い、そこに神社本庁を筆頭に佛所護念会(ぶっしょごねんかい)、崇教真光(すうきょうまひかり)、念法眞教(ねんぽうしんきょう)といった右派宗教が集い、一方で発足と同時期に「日本会議国会議員懇談会」もつくられ、「宗教右派の連合体」たる日本会議は与党の右派政治家らと深く広く共鳴しつつ各種政治運動に取り組んできた。
日本会議発足前からの運動も含めれば、元号法制化や改憲、あるいは戦後50年決議や外国人参政権への抵抗、または国旗国歌法の制定や教育基本法の改定。近年は特に「伝統的家族観」なるものへの固執が執拗(しつよう)を極め、96年に法相の諮問機関・法制審議会が選択的夫妻別姓制の導入を答申したのに、四半世紀以上経ついまも導入に至っていないのは、日本会議に集う宗教右派とそれに呼応する右派政治家の頑強な抵抗の影響が最も大きい。
そうした日本会議にとって、ある意味で〝理想系〟といえる為政者が安倍晋三であり、安倍率いる政権だった。『日本会議の正体』を執筆した当時、私は2015年9月時点における「日本会議国会議員懇談会」の議員名簿を入手したが、それによると加盟議員の総数は衆参合わせて281、その大半を自民党議員が占め、当時の安倍政権では20人の閣僚のうち実に13人が加盟議員だった。
こうして日本会議や旧統一教会といった宗教右派から熱烈に支持され、深々と侵食もされた政権の問題点については、まさに『カルト権力』と冠した拙著を新たに河出書房新社から上梓(じょうし)したから参照して欲しいが、あらためてみるとこの国の政治は決して宗教に淡泊ではなく、むしろ一貫して異形の宗教勢力から陰に陽に影響を受け、現実の政策も相当に歪(ゆが)められてきたことに気づかされる。
だがそれも、ことさら特異視すべきことではないようにも思う。考えてみれば、創価学会という新宗教を主要基盤とする宗教政党=公明党が連立与党として政権の一翼を担いはじめてすでに四半世紀。この国の政治は長く宗教をその一部に組み込んで営まれてきた。
自民党と学会勢力の結合体が君臨
そういえば最近、別の取材テーマの用あってメディア界のドンにして政治フィクサーでもある男のオーラルヒストリー『渡邉恒雄回顧録』(監修・御厨貴、中公文庫)を眺めていて、面白い逸話があるのにあらためて気づかされた。
いまからちょうど60年前にあたる1963年の東京都知事選。自民党は現職の東龍太郎が出馬したが、社会党や共産党は兵庫県知事などを務めた阪本勝を革新統一候補として担ぎ出し、勝負の行方は混沌(こんとん)としていた。当時を渡邉は〈創価学会の60万票の行方が鍵を握っていた〉と回顧し、こう語っている。
〈自民党としては、なんとかこの学会票60万票がほしいから、大野伴睦が池田大作さんに会おうとしていた。そこで関係者を探すと、財界人で塚本総業の塚本素山が創価学会の実力者で、池田大作さんとしょっちゅう会える立場にあるという。それで彼が池田大作さんを大野伴睦に紹介してくれて、ホテルニュージャパンで二者会談が行われたんだ〉
陸軍士官学校出身だという塚本素山は、実業家であると同時に当時は創価学会の経済顧問的存在でもあったらしい。一方の大野は党人政治家として与党内で権勢を振るい、政治記者として食い込んだ渡邉とはツーカーの仲だった。
渡邉によれば、大野は池田との会談で低姿勢に徹し、「東京を共産党に獲(と)られたら困る」と懇願した。了解した池田は「学会の60万票を自民党に入れる」と一筆書き、それを渡邉が大野に届ける役割を担ったという。渡邉の回顧を続ける。〈大野伴睦はそれを見て飛び上がって喜んだよ〉〈池田総理も飛び上がって喜んだそうだ(笑)〉
結果、都知事選は東が阪本を退け、自民党が勝利した。選挙結果は東が約230万票、阪本が160万票余だから、確かに60万の学会票は勝敗の行方を相当に大きく左右した。渡邉はこう回顧している。
〈このころから僕は、(略)学会勢力を自民党とくっつければ、相当な安定政権ができると思い始めてたんだ〉
学会勢力を自民党とくっつければ――まさにその政権がいま君臨し、しかも四半世紀近くも続き、この国の形を大きく変えている。つまり政治に関する限り、この国も決して宗教に淡泊ではなく、カルトを含む宗教勢力が常にその背後で影響力を放ってきた。
これも至極当然のことではあるが、信仰心で揺るぎなく結束する固定票を持つ宗教団体は、そもそもが政治との親和性が――もっと正確にいえば、選挙との親和性が高い。逆にいうなら、人びとが政治への関心を失い、投票率が低落すればするほど宗教団体の影響が――これも正確にいえば、カルトだろうが邪教だろうが、宗教の力を梃子(てこ)に権力を維持しようと試みる為政者たちが高笑いすることになる。そのことだけは、信仰心薄く宗教的には無定見な私たちも肝に銘じておく必要がある。
(文中敬称略)
あおき・おさむ
1966年生まれ。共同通信記者を経て、フリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家。丹念な取材と鋭い思索、独自の緻密な文体によって時代の深層に肉薄する。著書に『安倍三代』『情報隠蔽国家』『暗黒のスキャンダル国家』『時代の抵抗者たち』『時代の異端者たち』など多数。近刊に『破壊者たちへ』