週刊エコノミスト Online サンデー毎日
70年前の戴冠式との比較 皇室は何をアピールするか 社会学的皇室ウォッチング!/73 成城大教授・森暢平
5月6日、英ロンドンのウェストミンスター寺院でのチャールズ国王の戴冠式。日本では、秋篠宮ご夫妻ではなく、天皇ご夫妻が出席すべきだったという批判があった。それを考えるために、70年前のエリザベス女王の戴冠式に、現在の上皇さま(明仁皇太子)が参列した前例を考えてみよう。
1953(昭和28)年3月30日、明仁皇太子は横浜港を出港。米国、カナダを経て、6月2日の戴冠式に出席する長旅を開始した。皇太子が14カ国の旅を終えて日本に戻ったのは10月12日。19歳の皇太子に、将来の天皇としての経験を踏ませるという国家的な目的があった。『毎日新聞』特派員は、大正期から宮廷記者を務めた藤樫(とがし)準二である。藤樫は次のように書く。
「ロンドンで新調したエンビ服を坂本随員のかいぞえでととのえて、大勲位菊花大綬章を帯びられ(略)鏡の前にお立ちになったが、白の蝶ネクタイ、赤字に紫ぶちの大綬姿はいつにない立派さそのものであった」「各国代表中で一段とお若くその溌溂(はつらつ)たる若々しさと明るいお姿がいかにも平和の小バトといった感じで新日本を代表するかに見え、各国代表に伍しての挙措態度は多くの参列者に日本皇太子の強い印象を与えた」(6月3日朝刊)
日本はこの8年前、戦争に敗れた。1年前に独立を回復したばかりだ。皇太子の外遊は主権の回復、経済復興という時代性と結びついている。宮内庁と当時の吉田茂政権は、19歳の日本皇族が世界の舞台で堂々とした姿を見せることを期待し演出した。彼らだけでなく日本人にとって、皇太子は新生の平和日本の象徴だった。だから藤樫も皇太子が「平和の小バト」に見えた。
「敗戦国なのに13位」
このとき、英連邦諸国以外の外国参列国(74カ国)のなかで、皇太子は13番目の席次だった(夫妻出席者がいるため人数で言うと17人目)。日本のメディアでは「13番目」であることが繰り返し言及されている。主婦之友社から特派された作家の火野葦平(あしへい)は、ロンドンで英紙『タイムズ』を見て、明仁皇太子の序列を確認したときの気持ちをこう書く。
「日本国皇太子の名を発見したとき私は思わず息をのんだ。同時に涙が出た。13カ国目である。もとよりこれは、厳密に日本の地位を決定するものではない。しかし、とにかく、晴れゞすることであつた。(略)日本国民全体も、このことに喜びを感じていゝと思つた」(『主婦之友』1953年7月号)
日本は、英米と戦って敗れた。「敗戦国だから序列が下位であってもおかしくないはずなのに、何と13番目!」。これが当時の日本人の感覚であった。
客観的に振り返ると、この感慨はズレている。序列は外交プロトコルに従って決定され、英国が「新生日本」に期待しているから上がったり、逆に旧敵国だから下がるわけではない。記録を見るとノルウェー、ギリシャ、デンマーク……と英国と関係が深い欧州王室6カ国がまず並び、次にフランス、米国、ソ連の国連常任理事国の代表が並ぶ(中華民国〈台湾〉は参列せず)。次に皇太子級を出席させた国が並んだ。10位ラオス、11位ネパール、12位ベトナム国、そして13位日本、14位エチオピアである。
国力の順ではないことは明らかだろう。しかし当時の日本人は、こうした事情は無視して、日本が上位であったことだけに注目して喜んだ。それが良いかどうかは別にして、皇太子の戴冠式出席がニッポンを一つにする感覚があった。
変わる英王室
70年前の戴冠式で、国王を出席させた国は、実はトンガ王国(サローテ・トゥポウ3世女王)だけである。欧州の国々も例外でなく、皇太子を出席させた国もノルウェーだけだった。当時飛行機という交通手段が海を渡るときに便利になりつつあった。だが、君主の戴冠式には他国の国王が出席しないことが外交儀礼の慣例であった。フランスはビドー外相、米国はマーシャル元国防長官、ソ連はマリク駐英大使が参列した。元首の出席でもない。
しかし、今回は異なる。スウェーデンのカール16世グスタフ国王、オランダのウィレム=アレクサンダー国王、ベルギーのフィリップ国王、スペインのフェリペ6世国王らが参列。英国内でも「これは前例と異なる」と報じられている。だが考えてみると、4年前の天皇の即位の礼のときも、スウェーデン、オランダ、ベルギー、スペインの国王が出席し、ほかにもブータンなどの国王が参列している。交通手段だけでなく、通信環境を含め世界は狭くなった。戴冠式(日本では即位の礼)あるいは、葬儀、結婚式のような君主の儀礼イベントにも、他国の君主が気軽に海を渡る時代になったのである。
宮内庁は、皇室の「慣例」で天皇は外国王室の戴冠式や即位式に出席していないと説明した。1911年のジョージ5世の戴冠式は東伏見宮、37年のジョージ6世の戴冠式は秩父宮が参列した(2人の間のエドワード8世は未戴冠)。だがエリザベス女王のときの明仁皇太子を含め、天皇がそもそも外国に行くことがなかった時代の前例である。
今回、戴冠式のパレードは従来の約8㌔から大幅に短縮され、約2㌔になった。警備の難しさ、馬車が市民生活の妨げとなること、テレビだけでなく動画配信サイトの発達などさまざまな理由があるだろう。英王室の公式見解は、市民の生活難への配慮である。チャールズ国王は、王室のスリム化、効率化に向けさまざまな施策を打ち出している。
翻って日本である。70年前より格段に豊かになり、戴冠式の席次に一喜一憂することもなくなった。秋篠宮の訪英に、国民が熱狂することもない。あるのは「何で天皇でなく、秋篠宮なのか」という批判だ。そうした秋篠宮批判に、私は与(くみ)しない。英国からは天皇夫妻の国賓としての招待があり、訪英は今後、時間を十分に取ってと考える宮内庁の気持ちも分かる。雅子さまの体調の問題もあるだろう。
ただ、21世紀の皇室も変わらなくてはならない。前例を理由にするのではなく、秋篠宮ご夫妻の戴冠式参列によって皇室は何をアピールしたかったのか。その戦略が十分に検討されたのかが問われたのだと思う。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など