週刊エコノミスト Online サンデー毎日
スペシャル対談「認知症の“処方箋”は『リスペクト』にあり」 『名探偵のままでいて』小西マサテル×ジャーナリスト・鈴木哲夫
2023年「『このミステリーがすごい!』大賞」受賞
「オールドルーキー」が栄誉に輝いた。第21回「このミステリーがすごい!」大賞を昨秋、放送作家の小西マサテル氏(57)が受賞したのだ。小西氏と本誌連載陣のジャーナリスト・鈴木哲夫氏は浅からぬ縁がある。そこで受賞作にも描かれる認知症を巡る特別対談だ。
編集部 そもそも、お二人の「なれ初め」は?
鈴木哲夫 出会いは10年前ですね。ニッポン放送の「高嶋ひでたけのあさラジ!」にコメンテーターで出ていました。その時の放送作家が小西さん。しょっちゅう打ち合わせをしていました。だんだん番組以外の話もするようになり、「落語もやっている」とかね。
小西マサテル 高校が高松市にある高松第一で落研でした。1年上の先輩で部長がウッチャンナンチャンの南原清隆さんだったんです。
鈴木 小西さんは「ナインティナインのオールナイトニッポン」の放送作家も長くやってこられた。実は僕はお笑いがすごく好き。お笑いは「風刺であり、ジャーナリズムでもある」とか話していた。そしたら小西さんが放送作家の傍らで「落語をやっている」と収録したDVDをくれて……。
小西 いやいや、「見てください」と押し付け。もう落語ハラスメントです。
編集部 「落ハラ」とは初めて聞きました。で、本題に。小西さんは昨年10月に『名探偵のままでいて』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞されました。鈴木さんは小説を書かれているのをご存じでした?
鈴木 知りません。大賞受賞と連絡があって……。
小西 実は、こっそり書いていました。誰にも言ってなかった。オリジナルは初めてです。約20年前に漫画のノベライズみたいなのは書いたことはありました。
鈴木 読んだらミステリーの概念を覆された。どっちかというと僕らも書いているノンフィクションに思えた。設定とか、端々に。
「タイムトラベルができる病気」
編集部 まあ、ネタバレになるので。面白いけど詳しく言えません。でも、放送作家から、なぜ小説を?
小西 複合的な理由はありました。一つは、もう本当に小学生の時からミステリーが好き。ミステリーは意外な発端と急展開と最後意外な真相。これは落語やお笑い、漫才と非常に親和性が高い、似ています。小学校の時にミステリーから入り、漫才や落語に傾倒していく流れと同じなんです。
鈴木 なるほど。
小西 余談ですが、小学校の時、江戸川乱歩の「少年探偵団」ってあったんですよ。実在すると思っていて香川から小5の時、電話帳で地元の「探偵事務所」とある所を探して「少年探偵団に入れてくれ」と電話しました。そしたら電話を受けた若い女性がシャレの分かる方だったんですね。「今、うちの先生はちょっと世紀の大怪盗を追って海外に出張中です。帰ってきたら電話しますね」って。今も電話はないですけど……。放送関係で生活しながら「いつかミステリーを書こう」と思っていたら、数十年経(た)っちゃったんです。
鈴木 なぜ今回、認知症を主題にしたのですか。高齢化社会に突き進む中で認知症は身近な問題です。
小西 身近……。そうなんです。正に父がレビー小体型認知症(DLB)で7年ほど闘病し、3年前に亡くなりました。DLBは幻視が最大の特徴で、あり得ないものがまざまざとそこにあるように見える。それも奇っ怪なもの、父は毎朝トラが出てくるんですね。
編集部 DLBは作品でもカギになりますが、何か中島敦の短編小説『山月記』みたいですね。
小西 青いトラ、赤いトラ、時には七色のトラとか。毎朝、目が覚めると部屋にいる。だから他の認知症よりも外形的には「すごく認知が入っているな」と思ってしまう。でも、しっかりしている時は本当にしっかりしているんです。だから「認知症」と一言でくくられることに非常に違和感がありました。DLBの病名を広げ、誤解を少しでも解きたかった。それで相反する「認知症」で「名探偵」を成立させ、「幻視」の中に「真相」が見えるというストーリーならいけるかなと。
鈴木 小西さんはどんな家族構成だったの?
小西 一人っ子です。2人の兄姉がいたのですが、僕が赤ん坊の時に亡くなり、母は僕が中2の時に。父一人子一人でした。僕は東京の大学に入ってそのまま。父は高松で独居生活でした。最初は「めっきり足幅が短くなった」「ヨタヨタなって手が震える」とか言い出した。それで帰郷して病院に連れて行きました。
鈴木 その時の診断は?
小西 パーキンソン病という診断でした。でも、そうこうしているうちに父のケアマネジャーから電話があり、「ヘルパーさんたちがちょっと怖がっている」と。「久しぶりに息子が帰ってきているから、ちょっと一緒にお茶でもしてあげてくれ。あんたの後ろにおるやないか」と。僕の幻視を見ていたんです。地元の大きな病院に連れて行ったら、たまたま専門医が当番でいて「DLB」と診断された。2014年です。そこからは東京に連れてきて、私の自宅の近くの介護付き有料老人ホームに入ってもらい、そこからずっと幻視と格闘していました。
鈴木 作品は認知症の悲観的な点と前向きな部分がない交ぜになっています。
小西 認知症の専門医をかかりつけにしたんです。月に1回診てもらう。まず減薬から入るんです。薬ってだいたい増やしちゃうじゃないですか。確かに減薬で一時は悪くなります。でも、その後は合う薬を少しずつ慎重に各種薬剤を入れていく。3カ月くらいかな、ドラスティックに良くなった。本当に「不可逆なものではない」という実感があります。その専門医の方がおっしゃった。「患者さんは最悪の時に連れてこられる。良くなります」と。
鈴木 僕は母が先に逝き、ショックだった父がせん妄と軽い認知症でした。小西さんが出会った先生はすごい。父は認知症のテストを何度もやり、薬をたくさんもらい、それでも調子が悪くて相談すると別の薬が……。すると父は寝ちゃう。「もう寝とけ!」という薬なのかと感じました。
小西 もう一つ。父の場合はこれが非常に大きかった。「病識」というものが生まれたんです。「自分はDLBである」と患者自身が自覚すること、これが「病識」です。実はDLBに関する講演会があり、父を連れて行きました。勝負でした。参加しているのは、みんな介護する側のご家族ばかり。患者はいない。父はずっと聞いていました。そして、帰りの車の中で「わしはこれやな。わしはレビーだなと、マサテルの言う通りだな」と。これが、父が書きつづってきたノートです。(ノートを開き)〈パーキンソン病ではなく幻視、見間違い、妄想である〉と講演会に行った日に書いてある。〈相変わらずトラが来てるけど無視するぞ〉と。父は病識が生まれたことでプラスになりました。
鈴木 何が出ようが、「幻視」「病気」なんだと思えるようになった、と。
小西 父が亡くなり、担当の専門医に話を聞きに行くと「DLBって決して悪い病気じゃない。唯一タイムトラベルができる病気なんです」と。腑(ふ)に落ちました。実例も話してくれました。ある高齢の患者が「自分が小学生の時の夢を見て、親友とキャッチボールをしている。目が覚めたら、その親友が目の前にいる。それで『お前、いい球投げるじゃねえか』『今度いつやる?』みたいに。そんな話を幻視に向かってするんです」と。また傾眠して目が覚めたら、もうその時は見えなくなっている。でも「その間は正にタイムトラベルしているわけです」と。そして「そう悪くしたものでもないですよ」と……。
「年寄り」は「神様に寄っていく」
鈴木 「ペコロスの母に会いに行く」という映画(13年公開)。あれもタイムトラベルを通じ、認知症の母親が頭の中で若かりし頃の結婚や苦労が蘇(よみがえ)って人生を振り返る。そして「自分はしっかり生きてきた。認知症で何が悪い?」と周りでオロオロする介護者に人間の尊厳を突き付けるんです。
小西 未来には行けないが、過去に行ける唯一の病気。「そんな前向きな見方があるのか」とも思いました。
鈴木 小西さんの作品のすごさは、認知症の祖父と向き合う孫娘。あれ、小西さん自身なんだろうな。僕は正直、何度話しても分からないと、父に本当にイライラした。そんな自分を後になって自己嫌悪する。その繰り返しでした。これからの高齢化社会は似たようなことが増える。では、どう向き合うか。そこには孫娘の祖父へのリスペクトや信頼がある。最初は怖がっているけれど、だんだんとおじいちゃんを理解し、リスペクトする。どう接するべきかを考えさせてくれる。
小西 やはり一番言いたかったのはリスペクトです。高齢化社会で身体がみんな弱っていく。頭も認知が進む。でも、これは介護する側の問題と思うんです。根っこにリスペクトがあれば、やっていけるんじゃないか。本の中ですが、祖父に何があっても、孫娘はおじいちゃんへのリスペクトを持ち続け、信じるんです。
編集部 「理解」すれば「恐怖」は薄れると。
鈴木 長いこと社会保障を取材テーマにしてきましたが、日本は福祉や社会保障を「お金」と「隔離」でやってきた。特養ホームや障害者施設も「お金」をかけてつくるのは「隔離」。過去に取材した米国の障害者施設は繁華街のデパートの隣に建っている。障害者が一歩出たらバリアフリーもない街のど真ん中。でも、ためらうこともなく「エクスキューズ ミー」と言い、通行人は「OK」と言って段差でスッと車いすを持ち上げる。日本はお金をかけるが、施設は山の中、街中はスロープをつくればいいと思っている。手を貸し、「貸してくれ」と言えるのがあるべき共生社会。高齢者が増え、認知症は絶対に増える。認知症という点から日常生活の中でいかに共生すべきというヒントが作品にはあります。
編集部 長く生きれば誰もが高齢者になります。障害者は自らもそうですが、子どもや家族がある日なるかもしれません。「明日は我が身」なんですね。
小西 自分の小説について言うのも野暮(やぼ)ですが、ずばり正鵠(せいこく)です。「リスペクト」という言葉が「一番刺さった」と言われ、そう思いました。昔は年を取っただけで偉いと言っていました。お年寄りの「寄り」って「神様に寄っていく」という意味合いもあるというんですね。年を取っただけで偉いというと「懐古主義」と言われるかもしれない。でも、大胆に言うなら、リスペクトすれば「ちょっとは社会が変わるのかな」と。僕は「老害」という言葉が大嫌いです。ものすごく歪曲(わいきょく)というか、拡大解釈されている。道で若い人がドンとおじいさんとぶつかり、おじいさんがよろけて「それが老害」と。今の社会はそうなっていませんか。
鈴木 ふらついて振り向いたおじいさんの顔が将来の「自分」の顔だった。そんなことを少しでも想像してみてほしい。それだけで、今の社会で何をすべきか考えるきっかけになります。
小西 某政治家が何歳までも権力にしがみつく。民間でも組織のトップに居座る。それは確かに「老害」かもしれません。それが「年を取ったら害」と言われては……。この本は少しでも「揺り戻しがかけられたら」という思いもあります。
求められるのは「理解」と「受容」
鈴木 以前に大阪で見たのですが、認知症の人たちがウエイター、ウエイトレスの喫茶店があるんです。
小西 認知症カフェ?
鈴木 お客さんも分かって入ってくる。テーブルで注文する。「おばちゃんコーヒー」。「分かった。コーヒーやね」。厨房(ちゅうぼう)の近くへ行くと「えっと、なんやったかな」と忘れる。それをみんなで笑う。マスターは「もう1回聞いてきてや」。またテーブルに行って「忘れてもうた」。客は笑って「コーヒー言うたやん」。それでまたおばちゃんは戻ってマスターに「コーヒー」と。そこで拍手が湧き、みんなで大笑いする。ショックでした。認知症の父とのイライラしながらの向き合い方が、何か間違っていたと突き付けられました。
編集部 認知症も「障害」と言っていいのでしょうか。障害を理解し、それを周囲が受け入れているからこそ実現する空間ですね。
鈴木 小西さんの本を読みながら、ずっと思い返すわけですよ。孫娘は普通に祖父に接し、最後の方は認知症なんて全然関係ないとなっていく。ある「条件」が必要なんですけど。これが大賞を取ったのは、やはり賞自体、高齢化社会に対し何か訴えているのかと。
小西 ひょっとしたら父の病気のことをネタにして眉をひそめる向きもあるかもしれない。でも、実は患者さんが書かれた名著がたくさんある。若年性DLBだった樋口直美さんの『誤作動する脳』。患者の方がタイトルを付けた『麒麟(きりん)模様の馬を見た』。患者でもない僕がノンフィクションで出したところで、誰も見向きもしないと思った。世に問うならミステリー、エンタメで見せる形でと。何か言われても、認知症や介護とどう向き合うかを、知ったり考えたりしてもらえれば。だから、楽しく読んでいただきたいですね。
鈴木 移動中の新幹線とかでほんと読んじゃった。
小西 落語より良かった?
鈴木 う~ん。
小西 そこは「落語も良かった」と言ってください。
【編集部から】
本号発売後、鈴木さんより認知症を題材にしたミステリーということで中国、韓国、台湾など翻訳版の発売が決まったとの連絡がありました。アジアの他にもフランス、イタリアなどヨーロッパでも翻訳版の発売が決まっており、英語版とドイツ語版も契約間近だそうです。世界各国が高齢化社会に直面、あるいはその到来が迫る中、認知症に対する世界的な関心の広がりと高まりを感じています。
こにし・まさてる
1965年生まれ。高松市出身。明治大在学中より放送作家として活躍。ラジオ番組「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」「明石家さんま オールニッポン お願い!リクエスト」や単独ライブ「南原清隆のつれづれ発表会」などのメイン構成を担当。趣味・特技は落語
すずき・てつお
1958年生まれ。ジャーナリスト。テレビ西日本、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経てフリー。豊富な政治家人脈で永田町の舞台裏を描く。テレビ・ラジオのコメンテーターとしても活躍。近著『戦争を知っている最後の政治家 中曽根康弘の言葉』『石破茂の「頭の中」』