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物足りない「お出掛け」報道 もっと知りたい天皇の研究 社会学的皇室ウォッチング!/75 成城大教授・森暢平

荒川ロックゲートを船上から視察し、説明を受けられる天皇陛下(東京都江戸川区)
荒川ロックゲートを船上から視察し、説明を受けられる天皇陛下(東京都江戸川区)

 天皇陛下は5月22日、東京・下町にある、二つの川を船が往来するための水門「荒川ロックゲート」を視察した。ロックゲートは二つの水門で仕切られたスペースの水の高さを上下させ、水位が異なる二つの川を船が通過できるようにする施設。専門用語では閘門(こうもん)と言う。天皇は荒川側から船に乗って約10分かけて水位が約2・2㍍下がるのを船上で体験し、旧中川側で船を降りた。

 私も経験があるが、閘門の通過体験はなかなか楽しい。乗っている船がゆっくり下に降りていくからワクワクする。赤いライフジャケットを着込んだ天皇は自らのカメラで撮影しながら、説明を聞いていた。これは絵になるし、テレビ的においしい。

 しかし、物足りない。天皇は、子どものようにただ喜んでいたのではないだろう。江戸の歴史に思いをはせ、自らの研究に資するために視察している。それは見学の一カ所に江東区中川船番所資料館があることから分かる。荒川ロックゲートは、南北に流れる荒川、旧中川、東西に流れる小名木川、新川(船堀川)が交差する地点にある。江戸時代、このすぐ近くに「中川船番所」があった。

 1590(天正18)年、江戸に入った徳川家康が始めた大治水工事が小名木川開削事業であった。幕府はその延長上を流れる新川も改修して、小名木川―新川という東西の運河をつくり上げた。この新水路によって、中川の上流、さらにその東を流れる江戸川の上流が、江戸の町と直結されることになる。これで、利根川水系の関東各地、さらに下総国の銚子を通じて東北各地の物産が、この運河を目指すようになった。モノとヒトは、中川船番所があった場所を通過して、江戸の中心に向かう。物産には年貢米、さらには野菜、魚などの生鮮食料品も含まれた。運河がなければ、武士や庶民の台所はうまく回らなかっただろう。

「中川船番所」は幕府が、モノとヒトの出入りをチェックする関所だ。荷物は出荷元、納入先が明確でなければ通過できなかった。高札の一条には「人忍び入るへき程のうつわもの(〔器者〕)ハ穿鑿(せんさく)を遂げ、異議無きにおゐてハ之を通す可(べ)く、それよりちいさきうつはものハ之を改むるに及ばず」(人が入ることのできる大きさの箱は確かめたうえ異常がなければ通す。小さい箱に関しては調べるには及ばない)とあった。天皇は中川船番所資料館でこうした展示をつぶさに見て、江戸の水運に思いをはせたに違いない。

 知的関心こそ報じるべき

 しかし報道は、天皇が写真撮影をしたことなどを報じるばかりだった。資料館見学については、『産経新聞』が「江戸の水運をテーマにした展示をご観賞。(略)『いろいろ見ることができてよかったです』と関係者をねぎらわれた」。『読売新聞』が「ジオラマで再現した川の関所を見学された」などと短く紹介するのみである。きつい言葉を使えば子どもじみていて、天皇の知的関心を伝えきれていない。

 宮内記者クラブの記者は皇室を日々ウォッチしている。天皇が何をどう考えるのかを知らせる仕事にある。そもそも、天皇は芸能人ではない。ちょっと「映(ば)える」映像だけがニュースになるのは何か変だ。もちろん新聞紙面の広さやテレビニュースの尺は限られる。「そんなに多くは伝えられない」との言い訳もあるだろう。ただ今はネットが存在する。もっと取材して、研究者としての関心の中身を分かりやすく伝えるのも担当記者の職務ではないか。人々に手を振るだけが天皇の仕事ではない。

 私は最近、「御即位5年・御成婚30年記念 特別展 新しい時代とともに―天皇皇后両陛下の歩み」(毎日新聞社主催)を見ようと、東京・日本橋の高島屋に出掛けた。展示品の一つに、天皇の学習院大学時代の卒業論文(1982〈昭和57〉年提出)があった。題目は「中世瀬戸内海水運の一考察」。「浩宮さま」と呼ばれていた天皇は現在の神戸市兵庫区和田岬付近にあった「兵庫北関」の税徴収帳簿「入舩納帳(いりふねのうちょう)」という史料を分析した。

 人と人をつなげる「川」

 史料は、歴史学者の故林屋辰三郎氏が古書店で偶然発見した。中世の物流の実態を示す超一級の文献である。関税を徴収していたのは奈良の東大寺で、史料は1445(文安2)年3月3日から翌年1月10日の税の徴収記録であった。日付、船主、荷物の内容、数量などが羅列してあるだけだが、細かに分析すると15世紀、人々がどのように暮らしていたか、物流業者がどう関わっていたのかが見える。ここで言う物流業者とは、私たちが日本史の授業で習った「問丸(といまる)」のことだ。

 天皇の卒論はガラスケースのなかにあり、手に取ることはできない。だが、巻末資料の1枚が読めるように展示され、それは浩宮が自ら手書きで整理した分析表であった。それによると、例えば、「あわや」という問丸のもと、左衛門五郎という船頭が5月28日に阿賀75、6月15日に備後140、米20、木材10を運送していたことが分かる(阿賀と備後は塩の産地名で、つまりは塩のこと)。同じ内容は82年の『交通史研究』に発表されているが、手書きの卒論から浩宮の息遣いが聞こえてくる。彼が発見したことは、室町時代の京都の経済が瀬戸内海を媒介にしたダイナミックな水運によって支えられていたことだ。

 今回の「お出掛け」でも天皇は、近世の江戸の経済もまた川と運河で支えられていたことを見ようとしたに違いない。幕府は巨大な運河を切り開き、活発なモノの流れを促した。「閉鎖的な近世」という一般的なイメージを吹き飛ばすような躍動性がある。天皇の関心は、今は巨大な堤防で生活世界と切り離されているように見える川が、実は人と人を結び付けていたことにあるだろう。こうした関心は、研究者らしい深い洞察に支えられ、大学卒業後40年経(た)つのに一貫してブレがない。

 折しも宮内庁はSNSを使った広報を検討している。しかし、伝える内容が今まで通りなら、あまり意味がない。天皇の動静だけでなくその人柄や考えこそ伝えるべきではないか。宮内記者もまた、ありきたりの「お出掛け」報道ではなく、天皇のリアル(実像)に迫ってほしい。

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

 東京・日本橋の高島屋で開かれている「御即位5年・御成婚30年記念 特別展 新しい時代とともに―天皇皇后両陛下の歩み」は6月6日まで、入場無料

「サンデー毎日6月11日号」表紙
「サンデー毎日6月11日号」表紙

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