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『週刊朝日』休刊に捧げる雑誌文化論・後編 週刊誌は紙で読み飛ばせる貴重な文化 最終号が発売即重版!なぜバカ売れしたのか 松尾潔

松尾潔氏
松尾潔氏

 ついに『週刊朝日』は101年にわたる歴史を閉じたが、その最終号はかつてない話題を呼んでいる。土壇場で旋風を巻き起こした週刊誌の、いまだに尽きない魅力とは何か? 休刊を迎えた渡部編集長の本音とは? 「週朝」愛読者歴50年の松尾潔氏による必読の現代雑誌文化論!

 本誌と並ぶ創刊101年の歴史を誇った『週刊朝日』が、先週発売号をもって休刊した。「休刊特別増大号」と銘打たれた最終号は、定価も増大して560円。〝演出写真〟の第一人者・浅田政志を起用して制作された表紙グラビアは、贅沢(ぜいたく)に3ページも使って「昭和の『週刊朝日』編集部」を再現、高い完成度で目を引いた。内容も最終号にふさわしい充実ぶりで、売り切れが続出し、発売即重版がかかったのも納得できる。

 じつは、最近の週刊朝日はめっぽう面白かった。

 4月14日増大号から、ふたつの名物連載が復活していた。

 まずは、2021年までじつに45年の長きにわたり同誌の最終ページに連載され、「週刊朝日を最終ページから開かせる男」と言われるほどの人気を博した「山藤章二のブラック・アングル」傑作選。さすがに画力も文章の切れ味も圧倒的だ。「ブラック・アングル」連載終了と同時に、山藤は別の名物連載「週刊朝日似顔絵塾」の塾長職を松尾貴史に譲ったが、何とそれが7月から月1回の連載として『サンデー毎日』に引き継がれるというから、その根強い人気には驚く。

 もうひとつは、市井の取るに足らぬ出来事をユーモア掌編に昇華させた「デキゴトロジー」。ままならぬ日々におけるひとときの憩いとして、きわめて優秀な企画であったことをふんわりと(そこがまたデキゴトロジーらしい)思い知らせてくれた。

 そのふたつだけではない。30年前の人気連載グルメガイド「恨ミシュラン」を、当時の担当コンビである西原理恵子と神足裕司に振り返らせる企画も、存外に滋味深さがあった。

 そして、吉川英治、開高健、司馬遼太郎、井上ひさし、丸谷才一……絢爛(けんらん)豪華な顔ぶれによる同誌歴代の文芸企画を重松清が検証していく3号集中連載。リーダビリティとほろ苦い読後感を同時に生みだす、これぞ週刊朝日というべき出色のページだった。

 なぜ最後になって面白くなったのか。

 その理由が「休刊」にあることは、なんとなく見当がつく(「廃刊にあらず」と強調する同誌の意向をここでは尊重した)。

 では、ぼくは最後になってようやく、卒業間近の先輩の魅力に気づいたのだろうか。

 それは違う。

 卒業が近づくにつれて、先輩自身が魅力を増したのである。

 有終の美、と書けば、半世紀にわたる愛読者であるぼくの身贔屓(みびいき)と言われるだろうか。

 1950年代終わりには〈週刊誌の鬼〉と呼ばれた名編集長・扇谷正造のもと150万部以上の売り上げを達成したお化け雑誌・週刊朝日(以下、週朝)は、どうやって休刊に至ったのか。あるいは、何が同誌の生命維持装置を外したのか。週朝最後の編集長である渡部薫氏と率直に言葉を交わしあった。

「週刊朝日6月9日休刊特別増大号」表紙
「週刊朝日6月9日休刊特別増大号」表紙

 時代に合ったイメージ戦略をどう作るかに失敗した

渡部 私はいま52歳です。朝日新聞社に入社して29年目、(子会社で週刊朝日やAERAを発行する)朝日新聞出版に来たのは2014年。週刊朝日は計5年です。松尾さんと同じく、ずっと実家でAERAや週刊朝日も読んでいましたから親しみがありました。学生時代は通学時によく駅で買っていました。当時の週刊朝日は穴吹史士編集長で「デキゴトロジー」があって「恨ミシュラン」があって、という時代で、若者にも面白い雑誌というイメージがありました。

松尾 週朝へという辞令が出た時は、ご自分で希望されたわけではないんですか。

渡部 尊敬する先輩から「来ないか」という誘いがあり、すぐ希望しました。それまでも週刊誌で働きたいという思いは持っていました。週刊誌の編集部って、記者はもう次々と入れ替わって、編集長も2、3年とかで代わるのが一般的です。一番長いのは約40年勤めていらっしゃる経理担当の女性、その次がデザイナーさんで約30年ですね。先日その経理の方が話していたんですが、編集部にいまでもボロボロのソファがあるんですが、そこに座ってずっとゲラを読んでいる人がいて、新人が「変なおじさんがいる」と。「あれは松本清張さんですよ」と教えたって。彼女はそんな時代を知っているんです。そういう人のほうが編集部員より思い入れが深いのではないかと思います。

松尾 故・岡留安則さんが創刊者兼発行者兼編集長の『噂の真相』みたいな個人色が強い雑誌と一緒くたにはできませんが、週朝は人事的にも内容的にもどんどん変わったからこそ100年も続いたと思われますか。それとも逆に、スタッフが替わらなければ別の展開もあり得ましたか。

渡部 どうでしょうか……。別の展開はちょっと想像つかないですね。どこの編集部もそうだと思いますが週刊誌の編集長は心身ともに結構な激務になりますので、あんまり長くは体が持たない人が多い気がします。昨日、ある老舗食品会社の広報部の方とお話をしたんです。そこにはロングセラーの目玉商品がある。商品自体は変わらないけれど、10代の新しい子たちに向けてどうイメージ戦略をしていくか、とか時代時代に合ったアピールを常に考えなければいけない、とおっしゃられていて、すごく示唆に富んでいると思ったんです。

松尾 というと?

渡部 正直言って、われわれはそれに失敗したんだろうと。私が編集部に入るもっと前から、むしろ一番調子の良かった時代から、そういうことを意識する誌面作りを継続していくべきだったのだろうと、いまは思います。もう何十年も前から端緒があって、誌面作りをその時に変えていれば、ウェブで残るとかではなくて、紙でももっと長くできたかなと。まあ、これはちょっと負け惜しみになっちゃうかもしれないけど。私が入社前に読んでいたころは、実際に若者がすごく週刊誌を読んでいた。しかし、部数は減ったんですよ。後から知ったことですが。つまり、若い人たちにウケるような雑誌にしちゃったら、それまでの読者が離れた、と言えそうなんです。90年代半ば、ちょうど「恨ミシュラン」の時代ですね。すぐにまた編集長が代わって、当時は駅売りで買う40~50代のサラリーマンがボリュームゾーンでしたから、その人たちにターゲットをグッと絞って王道に戻ったんですよ。これは一読者としてももったいなかったなあ。あそこでもうちょっと会社ががまんして踏ん張ってくれていたら、今はその読者が育って50代とか。だったらカルチャー誌的な側面が強いニュース誌という感じの独特の立ち位置を得られていたかもしれないですね。

渡部薫『週刊朝日』編集長(朝日新聞出版写真映像部・高野楓菜)
渡部薫『週刊朝日』編集長(朝日新聞出版写真映像部・高野楓菜)

 メディア過渡期における生き残りは容易ではない

松尾 部数は増やさずとも存在感を発揮しての延命ですね。

渡部 サブカルとのキワを行くやり方はあったのかもしれません。

松尾 だけど部数や売り上げが落ちると、やっぱり他誌が気になったりもしたんですか。

渡部 それはそうですよね、やっぱり。部数=利益なわけで、複数年にわたって部数が落ちる=編集長交代、という判断に経営陣としてなるのは当然だとは思います。

松尾 ナンバーワン週刊誌の矜恃(きょうじ)と呪縛がすごくあったということ?

渡部 ナンバーワンかどうかはわかりませんが、影響はあったんじゃないでしょうか。

松尾 実際、お化け雑誌だったわけですからね。扇谷さんの時代はね。

渡部 1958年の154万部という巨大な数字があったがゆえに、部数が下がっていくことへの恐怖は、歴代の編集長はみんな抱えていたと思います。

 現在の週刊誌業界を売り上げ的に見ると『週刊文春』の独り勝ちである。ジャニーズ性加害報道を比較すればわかるように、内容的にも文春の独走状態に近いかもしれない。週朝の編集長職を解かれてもなお週刊誌文化への愛情と愛着を隠さない渡部氏は、悔しさをにじませつつも文春の姿勢を讃(たた)える。

渡部 この間、ウチで連載してくださっている武田砂鉄さんがラジオでおっしゃったんですけど、週刊誌は紙で読み飛ばせる媒体だから、コラムとか記事も「ふーん」って感じなんだと。「で?」っていうのが特にない。それの良さがあるとおっしゃるんです。武田さんの連載はウェブメディアには転載していないんですね、ご本人の希望で。

松尾 もとがウェブ(2022年8月に終了した『cakes』)の連載でしたよね。

渡部 そこでちょっと思われることもあったのかな。小田嶋隆さんの訃報を書いてくださったことがきっかけとなって、連載継続を考えた時に紙の週刊朝日を選んでくださった。紙が伝える連載は受け手をせき立てないというか、なんとなく読んでもいい文化。対してウェブはどちらかというと情報を「取りにいく」メディアなので。

松尾 同感です。読み飛ばそうとした中でもふと目に入ってくるものがあり、場合によってはそれで人生が変わることもある。

渡部 そうですよね。私はずっと文春のクドカン(宮藤官九郎)さんの連載を愛読してきたんですけど、哲学者の土屋賢二さんの連載は最初スルーしていました(笑)。なんだか難しそうと思って。

 でも、ある時ふと読んでみたらものすごく面白くて、ヨシタケシンスケさんのイラストも楽しくて。結局、単行本も何冊も買いました。それで次は、土屋先生の連載から読み始める、みたいな。

松尾 ぼくも文春はずっと小林信彦さんのコラムが目当てでしたけど、気づけば平松洋子さんから先に読んじゃったりすることもありました。

渡部 ありますよね。とはいえ、だから何なんだというか、別に土屋先生が書いていることは、実生活での「お役立ち情報」ではないわけで。さっきの「で?」っていうのがない、という。

松尾 80年代の終わりには「ささやかだけれど、役にたつこと」(米作家レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトル。訳者は村上春樹)というフレーズが標語として重宝されましたけど、人生には「ささやかで、役にも立たないこと」が役に立つ、と。渡部 そういうことをちょっと思い出したりする時もあるじゃないですか。連載なんかはその緩さもいいところなのに、なんて思うことがあったりもするんです。けれども、今それは求められてないんだな、って。

松尾 そういうものにお金を払う時代ではなくなってしまった。ネットでタダで読む。ぼくの「日刊ゲンダイ」の記事だって、無料でご覧になったわけですもんね。

渡部 そうです、ごめんなさい(笑)。たとえば「フランスのマダムが教えるアイスティーの淹れ方」がウェブメディアでは「いま読まれています」の1位になる。すごく乱暴な言い方ですけれど、現状のウェブメディアでは、無料で、かつ生活に役に立つ記事でないと読まれにくいんですよね。「お風呂の入り方」みたいな誌面なら2ページぐらいの、新聞広告にも載せないような小ぶりの記事が、ウェブに転載したらものすごく読まれたりもする。

 そういう意味で、記事の読まれかた、情報の消費のされかたに戸惑うこともあります。一方で取材は無料ではできないわけですし。戸惑わずに一気に転換し、さらに収益を上げるビジネスモデルを確立できたメディアが成功するんでしょう。休刊の責任はもちろん感じていますが、メディアは過渡期のただ中にあり、生き残りは簡単ではないと実感します。

「名誉ある撤退」をした『週刊朝日』よ、さようなら

 印象的だったのは、渡部氏の表情からは暗い翳(かげ)が微塵(みじん)も感じられなかったことだ。すがすがしいイメージさえあった。一番悩んだ時期はもう通りすぎたのかもしれない。その晴れやかで美しい笑顔を少しだけ恨めしく感じてしまったのは、サンデー毎日のライターとしてではなく、半世紀にわたる週朝の愛読者としての生理的反応だった。

 ぼくはちいさな意地悪を仕掛けたくなった。

 まずは「このタイミングで言うべきか悩みますけど」と、こまやかな気配りを装った断りを入れたうえで、周到に声のトーンを低めて「今日は渡部さんを『敗軍の将』として取り上げたいわけじゃないんですよ」と投げてみた。

 無論、こんな言葉は蛇足以外の何物でもない。

 ぼくの低い作り声に合わせるように神妙な表情で耳を傾けていた渡部氏は、こちらが言い終わるやいなや、すがすがしさを取り戻し、それどころかさっきよりさらに晴れやかな表情であっけらかんと言い放った。

「でも、まごうかたなき『敗軍の将』なんですけどね!」

 その時ぼくは、週朝の休刊は「負け」ではなく「名誉ある撤退」であることをつよく思い知ったのだった。さらば週刊朝日! ありがとう。さようなら。

(作家・音楽プロデューサー 松尾潔)

まつお・きよし

 1968年、福岡県生まれ。作家・作詞家・作曲家・音楽プロデューサー。平井堅、CHEMISTRY、JUJUらを成功に導き、提供楽曲の累計セールス枚数は3000万枚を超す。日本レコード大賞「大賞」(EXILE「Ti Amo」)など受賞歴多数。著書に、長編小説『永遠の仮眠』ほか

「サンデー毎日6月18日号」表紙
「サンデー毎日6月18日号」表紙

 6月6日発売の「サンデー毎日6月18日号」は、ほかにも「フザケルな!森永卓郎が指南する 増税ビンボーから脱出する家計再建の秘策」「田原総一朗が迫る『ココがダメなんだ』 立憲民主党の泉代表とガチンコ激論!」「反響続々 緊急検証/3 接種後死亡『2000人超』をどう考えるか! 見過ごされる新型コロナワクチンの後遺症」などの記事も掲載しています。

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