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娘こそ「王位」に インドネシア州知事の挑戦 社会学的皇室ウォッチング!/80 成城大教授・森暢平
天皇陛下がジャワ島中部の古都ジョクジャカルタを訪れた際(6月21日)、この地域のスルタン(王)で特別州知事のハメンクブウォノ10世(77)主催の晩餐(ばんさん)会に出席した。イスラムの伝統でスルタンは男性が継承することになっているが、ハメンクブウォノ10世は長女にスルタン位を継がせようとして論争を起こしている。
スルタン位の行方は日本の女性・女系天皇論争にも通じるだろう。
インドネシアは大統領が国家元首の共和国である。そのなかに、なぜ「王」がいるのか。ジョクジャカルタ王国は1755年、ジャワ島中部のマタラム王国が分裂してできた。太平洋戦争後のオランダとの独立戦争で、当時のジョクジャカルタのスルタン、ハメンクブウォノ9世(1912~88)は、独立運動の指導者スカルノを助け、インドネシア独立に貢献した。その功績が認められたため、共和国成立後も、ジョクジャカルタ州は「特別州」の地位を与えられ、スルタンの特別な地位が認められたのである。
現在のハメンクブウォノ10世は1989年、父9世からスルタン位を継承した。王室近代化を進め一夫一婦制を導入し、妻との間に5人の娘がいる(男子はいない)。2015年5月5日、10世は、長女のプンバユン王女(51)に王位継承者に与えられてきた称号を授け、新たな名前を付けるための儀式を行った。
伝統と慣習によってスルタンは男性が継ぐとされている。ハメンクブウォノ10世には異母弟が複数いて、前例に従えば、スルタン位は弟の誰かが継ぐことになる。
10世はこうした慣習を変更し、長女を皇太子、つまりは次期スルタンにしようとしている。ただ、まだ称号を授与した段階に留(とど)まっている。メディアの質問に対し、10世は「称号授与が皇太子に就くことに結びつくわけではない」と、娘を後継者にすると明言はしない。しかし、その真意は長女への継承にあるのは間違いない。
家父長制の打破
ハメンクブウォノ10世は女性の社会進出に前向きな発言を繰り返す。
「女性たちは、社会に染みついた固有の家父長制文化を打ち破らなければならない」「王妃は、片足を王宮の内側に、片足を王宮の外側に置く必要がある」などとも発言する(Ratnawati et al., “Gender politics of Sultan Hamengkubuwono X in the succession of Yogyakarta palace”, Co-gent Social Sciences, 2021)。王妃は宮殿のなかで伝統的な役割を演じると同時に、人々と足並みをそろえ社会的な活動をすべきだと論じるのだ。実際、10世は、イスラムの伝統のもとでは王妃が許されなかった社会活動、政治運動をサポートする。
ヘイマス王妃(70)は、障がいのある人たち、ストリートチルドレン、高齢者などを支援する国際会議に出席、福祉活動に積極的に参加している。04年、国会(2院制)のひとつ、地方代表議会選に立候補し当選した。ポルノ規制法の規制が緩いことで女性の権利が侵害されることに反対するなど女性の社会進出、男女平等に対して積極的に行動している。国会議員の30%を女性に割り当てる法案提出に関わったり、女性の政治参加を促すためインドネシア各地を訪問するなどしている。
米国と豪州で教育を受けた長女プンバユン王女もまた、野生生物の保護や、青少年活動に関わるなど社会問題に取り組む。ビジネスの世界でも活躍し、ジョクジャカルタ商工会議所の会頭を務める。伝統的なダンスを演じる一方、ビジネスパーソンとして地域経済の振興に努めているのである。
地域社会の女性たちの支持もあり、ジョクジャカルタ王室は女性の力で活動の場を広げている。
王室観の分裂
しかし、こうした王妃、王女たちの活動は王室規範に違反するという声が上がっている。また、ジョクジャカルタ特別州の地位を定めた法律のなかで、「スルタンの『妻』」という表記がある。妻があるということは、男性が就くことが当然であると批判派は声を上げる。ハメンクブウォノ10世のイスラム教信仰が浅いという非難まである。プンバユン王女のビジネスの非道徳性や、王女の人気のなさをあげつらう人もいる。
批判派の代表は、10世の弟と妹たちである。「スルタンは伝統的な指導者だ。王位継承は、これまでの慣習に則(のっと)って行うこと」などとした文書を王室に送りつけた(16年1月12日)。10世は、公然と王室批判を展開する弟妹たちを地位から外すなどして対抗し、王族は事実上分裂状態にある。
娘への継承に向け着々と布石を打つ現職のハメンクブウォノ10世を「女系容認派」、これに対抗する弟妹たちを「男系維持派」と考えると、日本の皇位継承問題と似ている。女系容認派は社会変動に連動した改革を王室維持の原動力としたいと考え、男系維持派はあくまで伝統を重んじるべきだと考える。多妻制を廃止し一夫一婦にしたこと、王室も夫婦とその子どもからなる核家族的価値観にシフトしたことで、結果的に従来の男子継承の存続が難しくなった事情もある。これも日本と同じだ。
現状、実際の王室を握り、豊富な資金を持つハメンクブウォノ10世の政治力が勝っており、このままいくと初の女性スルタンが生まれる可能性が高い。一般の人の反応はどうか。現地報道を分析すると、ジョクジャカルタ王室の内部問題であるからという理由で無関心層が多いようだ。
ジョクジャカルタ王室研究の専門家であるオーストラリア国立大学のジョン・モンフリーズ氏は、「民主主義社会の王室の存続は、名声と尊敬を維持し、高貴な人たちが一般の人々を気にかけているという感覚を保てるかどうかにかかっている。しかし、王室メンバーが内向きになり、互いに批判することによってイメージを毀損(きそん)するようになると維持は難しくなる」と解説する(同大学が運営する東南アジア専門サイト「ニューマンダラ」)。
この批評は、ネット世論が「女系容認」「男系維持」で分裂する日本皇室にも当てはまるように思える。
もり・ようへい
成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など