週刊エコノミスト Online サンデー毎日
慶應義塾高前野球部監督・上田誠×東大出身元プロ野球選手・宮台康平 1949年夏V・湘南OB「文武両道」対談 「適当」「いい加減」で子は伸びる!!
甲子園のキセキ 北野高&湘南高の真実 延長戦
大学入学共通テストで今春の大学入試が本格的に始まった。本誌も大型連休まで関連記事を毎号お届けする。一方、昨夏の甲子園では慶應義塾高(神奈川)が優勝し、「文武両道」が注目された。そこで、その礎を築いた指導者と体現者による特別対談をお届けする。
本誌名物の「東大号」は3月13日発売の「サンデー毎日3月24日号」で60回目を迎える。1964年に東大合格者の高校別ランキングを掲載したのを始まりとする一方、東大紛争で69年の東大入試が中止になったため今回が節目となる。
そんな本誌は昨年3〜8月に連載「甲子園のキセキ 北野高&湘南高の真実」を4回掲載した。昨春まで京大合格者数で6年連続首位の北野(大阪)、昨春は20人の東大合格者を出した湘南(神奈川)。全国屈指の公立進学校の両校が戦後間もない49年、北野はセンバツ、湘南は全国選手権と甲子園で頂点に立った軌跡と、当事者が球界に起こした〝奇跡〟を追った。
そして、昨夏は最難関私立大の慶應義塾大の付属校・慶應が107年ぶりに甲子園を制し、文武両道が注目された。その慶應に「エンジョイ・ベースボール」の精神を根付かせ、その礎を築いたのは2015年まで25年間、監督を務めた上田誠さん(67)だ。一方、直近の東大出身のプロ野球選手といえば、22年に現役を引退した宮台康平さん(28)だろう。実は、ともに湘南野球部のOBだ。
指導者として05年のセンバツ、08年の夏の甲子園で、共にベスト8に導いた上田さんは昨秋から、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズで球団代表を務める。左腕から繰り出す最速150㌔のストレートを武器に東大から6人目のプロとなった宮台さんは現在、法律事務所に所属し、司法試験に向けて猛勉強中だ。
浅からぬ縁もあり、お二人に母校・湘南が主役だった連載の「延長戦」「番外編」として対談をお願いすると、快く応じてくれた。「文武両道」を追求し、実践してきたお二人の対談は野球にとどまらず、当世の若者事情や「親子論」「教育論」にも及んだ。
本誌編集部 甲子園優勝、おめでとうございます。
上田誠 ありがとうございます。宮台君は慶應の優勝をどう見ましたか?
宮台康平 「うらやましいな」というのが一番の気持ちでした。僕も湘南時代に「進学校から甲子園へ」を目指していましたが、実現できなかった。全国にはそれを目標にする高校がたくさんある中、慶應には達成できる環境や土壌があったのだと思います。
編集部 宮台さんの湘南時代は上田さんの慶應の監督時代と重なります。
上田 練習試合でうちの日吉台のグラウンドに来てもらったことがある。静岡高(静岡)と3校での変則ダブルヘッダーだったね。
宮台 僕が高校2年の秋ですね。覚えていただいていて、うれしいです。
上田 2試合目が湘南―静岡で、宮台君が投げた。静岡はうちと対戦した1試合目より先発メンバーを落としていたようだった。でも、宮台君が投げ始めると、ガラッとまた選手を代えてきた。僕は「すごく良いピッチャーだな」と思って試合を面白く見ていました。試合後、宮台君に「慶應大に来ない?」と声をかけた。そしたら「東大へ行きます」と返事が来た。「東大に行けそうなんです」と。
宮台 懐かしいですね。その時はまさか東大へ本当に行けるとは思っていなかったので、ちょっと冗談交じりだったと思います。
「親子2代で宮台家にフラれた」
上田 実は、ちょうど宮台君が湘南のころ、別の学校との試合後に相手の監督さんが挨拶(あいさつ)に来てくださったことがあった。「どうも宮台です」と言うんです。
宮台 あっ、父ですね。高校の教員で少し前まで野球部の監督もしていました。
上田 初めはよくわからなかったんですが、お父さんから話を聞いて思い出した。彼はかつて横浜翠嵐(神奈川)のキャッチャーで肩は強い、4番で打撃はすごい。とても良い選手だった。僕が厚木東(同)で監督だった時に翠嵐と対戦し、お父さんに3ランホームランを打たれて逆転負けした。その時も試合後にお父さんを呼んで慶應大に誘ったんです。だから、僕は宮台家の親子2代にわたって慶應大に呼んだ。そして共にフラれたわけです。
宮台 ありがたいご縁です。まあ、父は慶應大に受験で落ちたんですけどね。
上田 続けてお父さんが「湘南のピッチャーは僕の息子です」と言うのだから、それはビックリですよ。
編集部 当時、慶應はどんなイメージでしたか?
宮台 神奈川で甲子園を本当に目指せるレベルの学校ですし、もちろん強かったです。一公立校がなかなか勝てる相手ではなかった。慶應はそのころから丸刈り強制ではなく、他校とは雰囲気は違いましたね。湘南野球部は僕がいたころは丸刈りでしたが、今は髪形自由になっているようです。
編集部 上田さんは母校でもあり、対戦相手でもあった湘南のイメージは?
上田 宮台君がいたころより前になるけど、県大会の初戦で湘南と当たったことがあります。結構強かったし、「やばいな」と選手を置いて僕だけビビっていました。僕が高校の時からそうですが、湘南の野球は基本的な考え方の部分に「自由」がある。指導者や先輩から言われて「はい」と従うだけではなく、先輩にも平気でものが言え、自分で考えて野球をしていた。僕はそういう部分を慶應の野球にそのまま落とし込んでいる感じでした。だから、湘南との対戦はプレッシャーに感じていました。
編集部 「エンジョイ・ベースボール」という点では慶應と湘南に浅からぬ縁を感じます。湘南が全国制覇をした時の佐々木久男監督も慶應大出身。当時の湘南の写真を見ると、丸刈りではない選手もいました。
宮台 連載や慶應の優勝を見て、今春のセンバツ21世紀枠に仙台一(宮城)、水戸一(茨城)、鶴丸(鹿児島)と公立進学校が選ばれたことを想起しました。水戸一と鶴丸は共に秋の県大会ベスト4、仙台一は東北大会で2回戦進出と、しっかり結果を残しています。彼らが甲子園で活躍すれば、同じように勉強と野球に取り組む選手たちの励みになると思います。僕自身、野球と勉強の両方を頑張りたいと思い、湘南を選びました。進学校の活躍は期待したいですね。
上田 実は、北野がどのような野球部なのかをよく存じ上げないのでコメントは差し控えたい。ただ、僕がいたころの湘南は学校行事に一生懸命で、勉強しない雰囲気があったり、運動部は予備校のパンフレットばかり見ていたりした。
編集部 宮台さんは湘南でどう勉強していましたか?
宮台 学校は「最低限、授業に出なさい」というくらいで、あとは自助努力でした。基本的に部活を一生懸命やっていたので、授業をしっかり聴いて、あとはテスト休み期間中にキャッチアップする流れでした。東大受験に向けては「夢半分、現実半分」という感じで勉強していました。
編集部 ご両親はどんな教育方針だったのでしょう?
宮台 父は高校、母は小学校の教師でしたが、生活態度や勉強習慣について言われることはあっても、「この高校へ行け」とか、野球も「こういうピッチングをしろ」と言わない。「お前が考えることだ」と。
指導者らに「預けておく」感覚を
上田 お父さん、野球についても言わないんだ。
宮台 自分が野球をやっていたから言いたいと思う。でも、聞かれたら答えるくらい。それは自分としても心地よかったですね。大学進学や就職といった人生における決断のタイミングで、「やりたいことをやれ」と言ってくれました。
編集部 上田さんの文武両道の指導はいかがですか?
上田 実は、「文武両道」という言葉が大嫌いなんです。なぜかと言うと、知的好奇心があれば、野球も勉強の一つだと思って、栄養とか運動力学とか関連するものに興味を持ち、自分でいろいろと調べるような選手が上達すると思います。
編集部 昨夏の優勝メンバーにも留年者がいました。慶應の勉強は厳しい?
上田 私立大受験を目指すとなると、ある時期から普通の高校は3教科に絞るケースも多いかと思います。でも、慶應は卒業まで文系・理系の関係なく、物理や化学、世界史、第2外国語もやる。やるべき科目が多い。期末試験前は1カ月ぐらい、部活を休みますし。みんな必死な思いで勉強をやっていましたね。
編集部 教育者として親御さんに伝えたいことは?
上田 子どもに好きにやらせるというのも大事だと思います。ただ、教員にもミスはある。野球で指摘をいただくこともありました。でも、教員や指導者に任せる「さじ加減」が大切だと思います。「預けておく」という感覚を、もうちょっと持ってもらえると。これを書いたら、この号は先生方に売れますよ(笑)。
宮台 えっ。野球で保護者に何か言われたんですか?
上田 「スクイズをなぜしないのか」って、よく怒られましたね(笑)。
宮台 それ結果論じゃないですか! 僕は教育する立場ではないですが、少子化で親が少し過保護になっているのかな。うちは僕も含めて3人兄弟でしたが、2人の親で1人や2人の子どもに全力投球するから。子どもは介入しても無理なものは無理だし、勝手に育つ部分も大きい。もっと「適当に育てる」のがいいんじゃないでしょうか。
上田 「適当」というのがキーワードかもしれないですね。いい意味で「いい加減に」というのか。
宮台 SNSも大きいと思います。教育を受ける側から発信できるようになり、する側と受ける側のパワーバランスが変わってきている。その分、今は自助努力で自分を律しないといけない。強制力を持たせたほうが成長できる人もいる中、のびのびやってできる人が天井を超え、自由に才能を伸ばす方向に行っている。僕みたいな凡人からしたら、本当に自分を律しないといけないから昔より逆に大変かなとも思います。
上田 僕も選手たちを割と放任してきたタイプで、慶應野球部から約1000人送り出してきた。でも、今は卒業し、いい会社に入ってもすぐ辞めちゃう。社会人野球のトヨタ自動車で4番だった選手なんて4年で引退してしまった。今は香川で同じ会社にいます。
宮台 沓掛祥和さんですね。社会人の日本代表でも4番を打っていました。あれはびっくりしましたね。
上田 慶應の高校や大学の若いOBで集まると、もう「石の上にも三年」という言葉はない。一方、それぞれ起業のアイデアなんかを持っていて夢を語るわけですよ。上手(うま)くいっている者もいるし、いってない者もいますが、「自分の人生だから好きなことやればいいんじゃないかな」と。
「選手や球団の価値を高めたい」
編集部 昨夏の都市対抗野球では、東大野球部出身者が4人も名を連ねました。東大生の進路選択も変わってきていますか?
宮台 やっぱりみんな自由だと思います。結構、留年する学生も多いし、野球部なら「まず4年間、しっかり野球をやり、それが終わってから考えよう」と。「東大生は人生設計をしっかりしているんでしょ」と思われますけど、そういっても20歳そこらの学生です。みんなが先を見据えているわけではないのです。
編集部 湘南の優勝メンバーで日本高校野球連盟会長も務めた脇村春夫さんはプロ・アマの交流を進めて野球殿堂入りもしました。宮台さんにとって脇村さんは東大の先輩でもあります。プロの経験から両者の関係はどう感じますか?
宮台 僕が湘南で練習できるなど、オフの母校での練習は緩和してきました。ただ、ほかの学校だと「何月何日、どこ」と球団を通じて申請する必要がある。
上田 野球はプロ、社会人、大学、高校など組織が一つになっていない。バスケットボールなら小中学校からBリーグまで日本協会の中に入っている。独立リーグでもプロの扱いで、高校生を指導できません。
宮台 野球はドラフトを巡る裏金問題がありました。実は、僕もプロ野球に入る時の新人への研修で詳しく知ったのですが。でも、再発しないように対策が取られてきている。野球人口が減る中でプロ・アマが競い合っていても仕方がない。交流はどんどん緩和していくと思います。
上田 中学の部活動で行われる軟式野球は本当に深刻で、とにかく部員が減っている。一方、業務が増え続ける教職員の働き方改革は急務です。中学が3校で一緒になり、外部から有償で指導者を呼んでもいい。ほかの競技と比べても子どもから野球が「選ばれる」よう、持続可能な指導体制の見直しが急務です。
編集部 宮台さんは司法試験の勉強中ですよね。米大リーグは弁護士出身のコミッショナーも複数います。日本のコミッショナーになる気はないですか?
宮台 28歳でそんなこと考えないでしょ(笑)。ただ、将来的には法律の専門家として野球界の発展に貢献したい。アスリートの価値を上げたり、球団の企業価値を高めたり。そういう勉強をし、その一助になりたいとは思っています。
上田 コミッショナー、将来やってほしいけどね。
(構成/ライター・一ノ瀬伸、本誌・飯山太郎)
うえだ・まこと
1957年神奈川県生まれ。湘南高、慶應義塾大で野球部。桐蔭学園や厚木東高(ともに神奈川)の教諭などを経て、91年に慶應義塾高校野球部の監督に就任し、春夏4度の甲子園に導く。2015年の退任後、慶應大チーフコーチを経て、現在は四国アイランドリーグ・香川代表
みやだい・こうへい
1995年神奈川県生まれ。小3で野球を始め、2014年東大文科Ⅰ類に合格し法学部へ。東京六大学では投手で6勝(13敗)。18年にドラフト7位で日本ハム入りし、21年にヤクルトへ移籍。プロ通算は3試合で0勝0敗。22年12月から東京・TMI総合法律事務所に所属