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皇籍離脱に反対したGHQ「占領軍指令説」の誤謬 社会学的皇室ウォッチング!/103 成城大教授・森暢平

11宮家が皇籍離脱した4日後、赤坂離宮でお別れの宴が開かれ、記念撮影する旧皇族たち(1947年10月18日)
11宮家が皇籍離脱した4日後、赤坂離宮でお別れの宴が開かれ、記念撮影する旧皇族たち(1947年10月18日)

これでいいのか「旧宮家養子案」―第5弾―

 旧宮家皇族たちは、連合国軍総司令部(GHQ)によって皇籍離脱させられた―。この「GHQ指令説」は「事実」であるかのように拡散されている。この説は「(だから)旧宮家の子孫は皇族に復帰する資格がある」という、「旧宮家養子案」派の主張につながる。だが、歴史の細部を見ないこうした主張は乱暴である。実は日本政府のほうが離脱に積極的で、GHQがそれにストップをかけていた事実もあるからだ。(一部敬称略)

 昭和天皇の弟宮である秩父、高松、三笠の3宮家を除く伏見宮家など11宮家51人が皇籍離脱(臣籍降下)したのは、1947(昭和22)年10月14日。三笠宮家の故寬仁(ともひと)が、この皇籍離脱について「GHQの圧力で皇室弱体化のため」だったとの見解を示す(『文藝春秋』2006年2月号)など、「GHQ指令説」は人口に膾炙(かいしゃ)する。しかし、実際はどうだろう。

 敗戦3カ月後の45年11月11日、『毎日新聞』が東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)らが「臣籍降下」を決意したと報じる。東久邇宮はさらに注目すべき内容を『毎日』記者に語った。

「皇族の範囲を極めて小範囲に限定すべきで、例えば、秩父宮、高松宮、三笠宮様のように陛下の御肉親のみに限定して、その他の皇族は臣籍に降り、一国民として仕え奉るのがよいと思う」

 自身を含め伏見宮系11宮家は臣籍に降下することを提案したのである。11宮家の離脱を最初に言い出したのは、東久邇宮であることは疑う余地はない。

 一方、GHQは46年5月21日、日本政府に対し「皇族に関する覚書」を発し、宮家への歳費を打ち切るとともに、特権剥奪を指令した。これにより宮家皇族の資産に対して高率の財産税が課されることになった。これを機に46年夏ごろから、宮内省は宮家の皇籍離脱を具体的に検討し始める。

 実はGHQは「国民の意思によって、国会により歳費を貰(もら)うならば、異議はない」という意向を宮内省に示した(宮内省の次官、加藤進による臨時法制調査会第一部会小委員会での説明)。皇室歳費の議会による民主統制を強調しているのだ。皇族の範囲は議会、つまりは国民が決めるべきという態度である。

枝葉を刈るという発想 昭和天皇も推進

 これに対する宮内省の考えははっきりしていた。

「各皇族が品位を保たれるに充分な国家支出をなすことは困難と考えられ、皇族方の共倒れを救う一つの道は臣籍降下である」(外務省「皇室に関する諸制度の民主化」)とするものだ。大きな幹を残すために「枝葉を刈る」という発想だった。

 離脱の範囲も日本側が検討した結果である。宮内省秘書課長だった高尾亮一はのち「皇族籍を離脱する線と申しますのは、非常にはっきりしておりました(略)一線をどこかに引かなくてはならないとすれば、ここの線(11宮家の離脱)以外には方法がみつからないという事情にあった」と証言する(「憲法調査会第三委員会第三回会議議事録」)。

 皇籍離脱の情報を知った民政局次長のケーディスは11月5日、法制局次長の佐藤達夫に、「現在の皇族のある方が臣籍に降下せられるとゆうことであるが、それは何時(いつ)、如何(いか)なる方法で決定せられ、又(また)如何なる理由によって決定せられたのか(略)別に反対があるわけではないが色々質問したいので近く宮内省の代表者にでも説明を聞きたい」と述べた(「内閣法関係会談要旨(第一回)」国立公文書館アジア歴史資料センター収録)。皇籍離脱に走る宮内省に説明を求めたのである。

 昭和天皇は11月29日、皇族たちに対し、「色々の事情より直系の皇族をのぞき、他の十一宮は、此際(このさい)、臣籍降下にしてもらい度(たく)」「時期は来年(47年)一月末か二月頃がよかろう」と通告した(『梨本宮伊都子妃の日記』)。昭和天皇も宮内省と一体となって宮家の皇籍離脱に動いた。昭和天皇が皇籍離脱を迫るGHQに抵抗したと主張する人がいるが、そうした史実は全くない。

新憲法施行前の離脱に待ったを掛けたGHQ

 宮内省は46年末、旧皇室典範増補を改正しようとする。なぜなら、戦前の規定では、内親王が単独で皇籍離脱ができないためだ。そのままでは夫を亡くした明治天皇の内親王、北白川宮房子が離脱できない。12月27日に改正がなった。

 宮内次官の加藤は46年12月27日、GHQ民政局のピークに対し、宮家皇族は日本国憲法施行の5月3日以前の離脱を切望していると述べた。宮内省は離脱を急ぐ一方、資産を失う11宮家のために離脱一時金を支給し、宮家の財政を支えるという戦略をとった。これにGHQは疑問を持った。民政局のリゾーは、日本側は「この日(5月3日)の後では、一時金支出の問題が国会の総予算の議事手続きに巻きこまれるかもしれない」という危惧があるからこそ、急いでいるとみた(『占領期皇室財産処理』)。

 GHQは、宮家が離脱するなら、帝国議会の審議を経るべきだとの意見を伝えた。日本政府がそのために用意したのが、「皇族の身分を離れる者等に対する一時金支出に関する法律案」である。47年3月7日、閣議で決まった。ところが、民政局は3月10日、法律案を承認しない旨を連絡した。宮家への歳費打ち切りを指令した前年5月の覚書との不整合を極東委員会で指摘されるのを恐れたと考えられる。法制局部長の井出成三は3月11日、民政局に出向き、「既に五月三日以前に臣籍降下せられる様、諸般の手続を進めて来て居るので、今になって一時金の支給が不可と言うことでは困る」と抗議した(『日本立法資料全集』7)。結局、予定の日程での離脱はできず、新しくできた国会で一時金の額などの議論がなされた。離脱の実現は新憲法成立の5カ月後になった。

「旧宮家養子案」を支持する人たちは、旧皇族たちが新憲法下でも皇族の地位にあったと主張する。しかし、野に降りることが確実な旧宮家皇族に、現実の継承権があるとは当時、誰も考えていなかった。逆に言えば、旧皇族が新憲法下でも継承権があったと主張できるのは、実はGHQが5月3日以前の離脱に「待った」をかけたお陰なのである。

(以下次号)


 本稿執筆にあたって、神崎豊「一九四七年一〇月における一一宮家の皇籍離脱」(『年報日本現代史』11号、2006年)を参照した


もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

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