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東大号60th記念鼎談 始まった開成の「王朝」と頭角を現す桜蔭 1984~93年 東大合格者高校別ランキング・ベスト20史

東大安田講堂
東大安田講堂

 進学校はかく変わりき/3

 1980年代末から90年代初めにかけて、いわゆる「団塊ジュニア」が受験期を迎え、大学進学者数は右肩上がりになる。「昭和」から「平成」へと時代が切り替わる中で「東大合格者高校別ランキング」は、変化していく社会のありさまをどう映し出してきたのか。

 まずはランキングを一つ紹介しよう。①開成、灘14人③ラ・サール13人④筑波大付駒場12人⑤学芸大付、桐朋、麻布10人⑧桐蔭学園9人……(以下略)。

 ある年の東大合格者数の順位と思われるだろうか。ただそれにしては数が少ない。実は本誌こと『サンデー毎日』1992年4月26日号が掲載した「東大『留年者』高校別ランキング」である。同年4月、教養学部(1~2年)から専門の学部(3年~)に進学しなかった学生の出身高校を学内サークルが調べ上げたのだ。

 要領だけの受験エリートが東大合格後に壁に突き当たった結果だと記事は分析する。その当否はおくとして、彼らが入学した90年の合格者ランキングを見ると「留年者ランキング」とほぼ同じ顔ぶれだ。少なくとも中高一貫校からの〝大量合格〟の固定化が生み出した一現象ではあろう。

 神話へと導いた鉄路=開成躍進を支えた「西日暮里駅」開業

 中でもこの10年は、82年から40年以上トップを守る開成がその地歩を固めていった時期だといえる。

――開成の強さは一体、どこにあるのでしょう。

 教育ジャーナリスト・小林哲夫 私は学校史を読むのが趣味で、それをもとに先生に取材をするのですが、開成の躍進は開成自身の分析として理由が三つ挙げられます。一つは74年に高校から入学する生徒の定員を大幅に増やしたこと。もう一つは学校群制度(*)で、それまで日比谷に行っていたはずの優秀な生徒が流れてきた。そしてもう一つとして最寄り駅である西日暮里駅の開設があります。

――69年、地下鉄千代田線の北千住―大手町間が開通して西日暮里駅が置かれ、71年には当時国鉄だったJR山手線・京浜東北線に西日暮里駅ができました。

小林 千代田線がいろんな路線に乗り入れたので、千葉や埼玉、茨城、神奈川から優秀な生徒が集まった。そういうことが学校史にちゃんと書いてあるんです。実際、国鉄駅ができた71年に開成中に入学した生徒が高校卒業する77年、開成は東大合格者124人で初めてトップになっています。

大学通信・井沢秀情報調査・編集部長 東海道新幹線の開通で灘が伸びた話が前回ありましたが、交通網発展の影響は大きいですよね。

小林 ちなみに80年代後半から京都の洛南がチラホラベスト20に顔を出し始めます。なぜ東大合格者が増えたのか。学校に話を聞くと「新快速(*)のおかげ」だと。京都に通いやすくなった滋賀や兵庫からも生徒が集まりました。同じ京都の洛星は「交通網で苦戦した」と言っています。

 87年、関西勢の活躍=東大・京大「ダブル合格」の舞台裏

――完全中高一貫化に向かう学校が多い中、開成は高校入試を続けていますね。

小林 やめるつもりはないと言っていました。ただ、高校募集の効果といえば、昔ほどではないですね。灘も高校入試を続けていますが、昔は高校入学組にとんでもない天才がいたそうです。洛星も一時期まで高校入試があって「本当にすごい生徒がいた」と。それがだんだんとレベルが平準化し、やめてしまった。

駿台予備学校・石原賢一入試情報室部長 今はもう、成績優秀層は中学受験で刈り取られていますからね。洛星が87年、10位に顔を見せるのはAB連続方式(*)のおかげですね。甲陽学院も9位までアップしています。関西の高校が東大・京大併願可能の恩恵を受けたということです。

――東大と京大の両方に合格した受験生は1512人いました。『サンデー毎日』87年4月12日号に掲載された「東大・京大ダブル合格者高校別ランキング」を見ると、①灘58人②ラ・サール57人③甲陽学院40人④洛星34人⑤洛南30人……とほぼ関西勢の上位独占です。

小林 88年に10位に顔を出す東大寺学園は87年、ベスト20に入っていません。学校に取材すると、87年は東大、京大をダブル受験する生徒があまりいなかった。それでも38人の東大合格者を出した。それを見た翌年の受験生が「僕らも東大を受けられるんじゃないか」と刺激を受け、63人に躍進したということでした。

 洛星は87年に東大合格者を増やしましたが(京大が分離・分割方式になった)89年から数が落ちていく。洛星の先生いわく、ダブル受験ができなくなって洛星は京大志向に戻ってしまった。逆に東大寺学園が東大合格実績を維持したのは、中学入試の受験層が灘と重なっているから、もともと東大志向が強いんじゃないか、そういう見方でした。

石原 今は西大和学園がその立場かもしれませんが、東大合格者数で灘を抜かす学校が出たら、関西の受験地図は変わりますよ。

井沢 昨春は灘が86人で3位、西大和学園は73人で7位。かなり近づいています。――西大和学園は「京大ではなく東大」という戦略で知名度を上げてきました。

石原 京大を目指すなら、今は北野とか堀川とか公立校が実績を上げていますから、私立校が生徒を集めにくくなっています。灘が東大に強いのは優秀な生徒が集まってくるからです。もし1人でも、どこかに抜かれたら灘の神話が崩れかねません。

 桜蔭が89年、初の20傑=脱ジェンダーへ女子校気質の変化

井沢 この10年で注目すべき点として女子校の動きがあります。89年に桜蔭がベスト20に顔を出しますが、30人を初めて超えたのが84年だったんですね(32人合格)。80年代に入った頃は同じ中学入試〝女子御三家〟の女子学院とそれほど変わらなかったのが、89年に50人台に乗せ、96年に93人と史上最多を記録します。

――『サンデー毎日』84年4月8日号は桜蔭の「大躍進」を取り上げています。〈受験校といわれるのは困ります。共通一次が行われるようになってから、自分の成績を見て東大を受けようかな、という生徒が増えただけです〉という進路指導教諭の淡々とした声を紹介しています。

井沢 本当に桜蔭は何もやってないんですか?

小林 やっていないことになっていますね。東大受験に特化はしていないけど、生徒が自分自身でやっちゃいますから。

石原 それと、この時代はちょうど女子の教育投資にジェンダー的な先入観がなくなった頃でもあります。

井沢 良妻賢母教育ではなくなったわけですね。

石原 親からも「あなたは女の子だからね」なんて言われなかった層です。それが今の受験生の親なんですよ。女子大が今、急激に志願者を減らしているのも、そういう背景があります。

学芸大付の「女子力」=国立大付属校はなぜ強かったのか

小林 70年代からこの時期まで、学芸大付が毎年100人前後の合格者を出しています。学芸大付は定員が男女半々なんです。女子の東大合格者は桜蔭などより多かった。井沢さんがおっしゃった女子という観点からすると、優秀な子は桜蔭や女子学院よりもむしろ学芸大付や筑波大付に行っていたんじゃないかと私は思っています。

 世代でいえば弁護士の菅野志桜里さん(東大)やジャーナリストの望月衣塑子さん(慶應義塾大)、ちょっと前だと精神科医の香山リカさん(東京医科大)とか、むちゃくちゃ元気な女性が学芸大付にいた時代です。それがいつの頃からか、そういう優秀な女子の行き場が国立大付属校ではなくなったのかなと思います。

井沢 学芸大付と筑波大付は今、もう本当に右下がりという感じですね。

――直近の3年でベスト20に入ったのは22年の筑波大付(15位、42人)だけです。

石原 保護者の意識も変わってきて、やっぱり学校である程度の大学受験対策はやってほしいんですよ。

井沢 あるOGが言うには、今の学芸大付は面倒見が全然良くない。そこが嫌われてしまっていると。

小林 日比谷に行っちゃうんでしょう?

井沢 そうです。高校入学組で優秀な生徒が入らなくなっています。

――その日比谷はこの頃、長い冬の時代です。93年、ついに東大合格者が1人になりました。次回(94~2003年)は新興私立校の台頭や〝公立復活〟への兆しなどを見ていきます。

(司会/構成・堀和世)


(*)学校群制度 1967年に東京都教委が導入した入試制度。都立高を2~4校まとめた「群」を選んで受験し、合格者は志望校とは関係なく群内の高校に配分された。日比谷をはじめ都立高の地盤沈下を招いた。

(*)新快速 神戸線、京都線、琵琶湖線などを走り、京阪神各地をつなぐJR西日本の在来線高速列車。大阪―京都間を約30分で結ぶ。

(*)AB連続方式 1987年、国立大入試は共通1次試験を経て、AとBの日程グループに分けられた大学を続けて受ける仕組みに変わった。Aグループの京大とBグループの東大を受験し、合否をそれぞれ見届けた上で入学手続きができた。「ダブル合格」した受験生のうち約1300人が京大を蹴って東大に進学したとされる。


いしはら・けんいち

 駿台予備学校入試情報室部長。大阪府出身。1981年に駿台予備学校に入職。学生指導や高校営業を担当後、神戸校舎長、駿台進学情報センター長、進学情報事業部長を経て現職

こばやし・てつお

 1960年生まれ。教育ジャーナリスト。神奈川県出身。特に90年代以降、受験など大学問題を中心に執筆。著書に『早慶MARCH大学ブランド大激変』『東大合格高校盛衰史』など。近著は『筑駒の研究』

いざわ・しげる

 1964年生まれ。大学通信情報調査・編集部長。神奈川県出身。92年、大学通信入社。入試から就職まで、大学全般の情報分析を担当してきた。新聞社系週刊誌や経済誌などに執筆多数

ほり・かずよ

 1964年生まれ。編集者、ライター。鳥取県出身。89年、毎日新聞社入社。元『サンデー毎日』編集次長。2020年に退職してフリー。著書に『オンライン授業で大学が変わる』(大空出版)など

「サンデー毎日2月18・25日合併号」表紙
「サンデー毎日2月18・25日合併号」表紙

 2月6日発売の「サンデー毎日2月18・25日合併号」には、1984~93年の「東大合格者高校別ランキング・ベスト20」を掲載しています。今春の「東大号」は「サンデー毎日3月24日号」で3月13日発売です。

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