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東大号60th記念鼎談 〝中学受験ブーム〟経て私立一貫校が台頭 1994~2003年 東大合格者高校別ランキング・ベスト20史

東大安田講堂
東大安田講堂

 進学校はかく変わりき/4

 能登半島地震は大学入学共通テストを目前にした受験生をも巻き込んだ。想定外の困難の中、夢を諦めない彼らの頑張りには目を見張る。1995年の阪神・淡路大震災も受験シーズンを直撃した。世紀の切り替わりに象徴されるような激動の10年を振り返る。

 長年、本誌こと『サンデー毎日』を読んでくださっている読者なら1995年3月26日号の表紙を覚えているかもしれない。「そう言われても」と首を振る人も、ビニール傘を雨粒で濡らしながら掲示板を見つめてほほ笑む女子生徒――と言えばどうだろう。

 同年の「東大号」表紙を飾ったのは最難関の理科Ⅲ類に合格した兵庫県立長田高校の3年生だ。学校がある神戸市長田区は阪神・淡路大震災の火災被害が甚大だった。校舎は高台にあって難を逃れたが、一時は約1600人の避難者を受け入れた。ハンディを乗り越えて長田からは4人が東大合格。本誌同号の取材に彼女は〈被災地の受験生ということでいろんな人に励ましてもらったのがうれしかった〉と語っている。

 逆境を乗り越えて=センター試験2日後に起きた大震災

教育ジャーナリスト・小林哲夫 その表紙、覚えていますよ。理Ⅲに現役合格した女子が傘を差している。長田区は被害が一番ひどかったところでしょう。

駿台予備学校・石原賢一入試情報室部長 長田高校自体は持ったんです。高台の下の商店街が全焼した。(同じ長田区の)兵庫高校のほうが壊れ方はひどかった。

大学通信・井沢秀情報調査・編集部長 灘は遺体安置所として使われていたんですね。

小林 この年の灘の合格体験記を読んだら、灘には下宿生がいるので、アパートが壊れたとか大変な体験をした生徒もいたようです。

――『サンデー毎日』の同号記事によると、灘高3年生223人のうち、自宅が何らかの被害を受けた生徒が6割近くいたそうです。

小林 そういう中、京阪神の大学入試への影響は少なかったように思います。

石原 東日本大震災と違って被害が局地的でしたからね。またセンター試験(1月14、15日)が終わってすぐの発生だったので、私立大入試まで2週間あり、国公立大入試に向けて間があったことも助かりました。

井沢 灘の東大前期試験の合格者は85人で前年より6人減りましたが、現役合格は逆に7人増えています。

石原 兵庫県下の高校の大学合格実績は良かったんですよ。やっぱりそういう苦難の中を頑張ることで力が出たのだと思います。

 仰天!205人合格=中学受験熱が開成の〝大記録〟を生んだ

――改めてこの10年のランキングをご覧になって、いかがでしょう。

小林 バブル景気が80年代後半から90年代初めまでだとすると、その頃に経済的な余裕を背景にした〝中学受験ブーム〟が起きます。そして、この時の入学生が90年代後半に大学受験を迎えます。開成が98年に205人という史上最多の東大合格者を出したのは、その表れともいえるでしょう。

石原 98年はベスト20がすべて私立、国立の中高一貫校。すごいですね。

井沢 94年に初めてベスト10に入った桜蔭は96年、5位まで順位を上げます。

石原 駒場東邦や海城、聖光学院といった今に続く有力校も目立ってきます。

小林 ランキングには入ってきませんが、70~80年代に開校した新興の中高一貫校が90年代半ばから東大合格者を出し始めます。「特進コース」などを設けて優秀な生徒には授業料を免除するとか、がむしゃらに進学指導を行いました。

――世帯の可処分所得(自由に使える収入)のピークが97年。同時にこの頃は18歳人口の急減期です。少子化と相まって教育投資熱が高まったともいえます。

小林 医学部志向はもう強くなっていますか。

石原 なりつつある頃です。

井沢 そうすると、ラ・サールがだんだん順位を落としていくのも……。

石原 そうですね。医学部志向に加えて全国から生徒を集めにくくなった。各都市圏に進学校ができてくるので、寮生活をしてまで、という子が少なくなった。90年代は灘もそうですよ、ほとんどが地元の子になっている時代です。

井沢 一方で公立の岡崎や土浦第一がベスト20に入ってきます。第2回(2月11日号)で触れたように岡崎はトヨタ自動車のお膝元という土地柄、また土浦第一は筑波研究学園都市に近く教育意識の高い家庭の子どもが多いと思われます。

石原 岡崎は学校群制度で岡崎北と組みましたよね。

小林 岡崎北のほうが東大合格者が多かった時代(87年)がありました。愛知は89年に学校群制度を廃止し、(受験校を選択できる)複合選抜制度になります。

石原 それもあって岡崎が増えたんですね。

小林 90年代前後から各県が学校群やグループ選抜、総合選抜をやめ始めます。〝復活〟まではしないとしても、公立校がぼちぼち戻してくる時代でしょうか。

 消えた受験風物詩=「合格者全氏名」掲載が果たした役割

 長らく続いた本誌の「東大合格者全氏名」は早春の風物詩ともいえる名物企画だった。だが個人情報保護の機運を受け、東大は2000年、合格者氏名の公表を中止。その結果、本誌は「全氏名」掲載を終える。

――1976年、東大は従来行っていた合格者の出身高校公表をやめました。それが本誌の反骨心に火を付けたのか、独自に高校名を調べてランキングを作るだけでなく「全氏名」掲載を始めます。井沢さんは90年代に「全氏名」の割り出しに汗を流されていますね。

井沢 まずは学校の名簿を集めるところから始まりました。教育委員会の指導もあり、「受験競争を助長する」として高校側が取材に協力的ではない県が結構ありました。神奈川や京都、大阪、広島……。だから今のように学校アンケートをもとにランキングを作ろうとしても歯抜けになっていたはずです。すると大学入試がブラックボックスになってしまいます。そういう点では全氏名掲載には意味があったと思います。

――「全氏名」掲載で救われた受験生がいました。

井沢 97年ですね。レタックスで届く合格者受験番号リストに自分の番号が見当たらず不合格だと諦めていたら、友達が『サンデー毎日』で名前を見つけて教えてくれたんです。

小林 なぜ本人は気づかなかったんでしたっけ?

――東京中央郵便局から地元局に送られたリストがエラープリントだった。

井沢 合格が分かった時はもう入学手続きが終わっていた。当時の郵政省側が東大に掛け合って、ようやく入学が認められました。

石原 合格者名を出さなくなった代わりに、大学は合格最低点を発表するようになったんです。それで東大が本当に110点(*)を足していると分かった。それまで共通1次やセンター試験の点数を東大は第1段階選抜にしか使っていないとまことしやかに言われていましたから(笑)。

 動き始めた公立校=「ゆとり教育」への危機感がバネに

 2002年に完全学校週5日制が始まる。また同年、「総合的な学習の時間」の新設や授業時間数の削減などを盛り込んだ新学習指導要領が施行された(高校は03年施行)。いわゆる「ゆとり教育」の本格化だ。だが同時に「学力低下(*)」が社会問題化し、早くも国は03年に学習指導要領を改正。同要領が〝最低基準〟であることの明確化や、必要に応じて規定の授業時間数を超えてもよいとするなど教育行政は曲折する。

――ゆとり教育への保護者の不安が私立校人気に拍車をかけたと言われます。

井沢 それは間違いないですね。この10年はそういう状況を見て各県の教育委員会が動き始めた時期です。東京都教委が進学指導重点校(*)を指定したのが01年。高校の〝生き残り〟みたいな論調もあり、それこそ「受験戦争をあおる」というよりむしろ進学実績を開示して優秀な生徒を集めなければならなくなった。

石原 学校が協力的になりましたよね。それは教員自身、入試情報がマスコミに載る時代に受験をしてきた人が多くなったことも大きいです。

井沢 〝ゆとり〟の学習指導要領で学んだ最初の高校生が受験をするのが06年ですが、06年は公立が伸びた年なんです。公立校が危機感を持って対応したことが背景にあると思われます。

――そのあたりを次回(04~13年)詳しく見ていきます。

(司会/構成・堀和世)


 (*)110点 東大入試の配点は1次試験(共通テスト)の得点を110点満点に換算し、2次試験の得点(440点満点)と合計される。2015年度まで行われた後期日程試験は異なる配点方式を用いた

 (*)学力低下 1999年に発行された書籍『分数ができない大学生』をきっかけに「学力低下論争」が起こった。2003年に行われたOECD(経済協力開発機構)のPISA(高1を対象にした学習到達度調査)で日本が国際順位を大きく下げたことが社会問題化した

 (*)進学指導重点校 進学対策に組織的、計画的に取り組む学校として東京都教委が指定した都立高。2001年に日比谷、戸山、西、八王子東が指定され、03年に青山、国立、立川が加わった


いしはら・けんいち

 駿台予備学校入試情報室部長。大阪府出身。1981年に駿台予備学校に入職。学生指導や高校営業を担当後、神戸校舎長、駿台進学情報センター長、進学情報事業部長を経て現職

こばやし・てつお

 1960年生まれ。教育ジャーナリスト。神奈川県出身。特に90年代以降、受験など大学問題を中心に執筆。著書に『早慶MARCH大学ブランド大激変』『東大合格高校盛衰史』など。近著は『筑駒の研究』

いざわ・しげる

 1964年生まれ。大学通信情報調査・編集部長。神奈川県出身。92年、大学通信入社。入試から就職まで、大学全般の情報分析を担当してきた。新聞社系週刊誌や経済誌などに執筆多数

ほり・かずよ

 1964年生まれ。編集者、ライター。鳥取県出身。89年、毎日新聞社入社。元『サンデー毎日』編集次長。2020年に退職してフリー。著書に『オンライン授業で大学が変わる』(大空出版)など

「サンデー毎日3月3日号」
「サンデー毎日3月3日号」

 2月20日発売の「サンデー毎日3月3日号」には、1994~2003年の「東大合格者高校別ランキング・ベスト20」を掲載しています。今春の「東大号」は「サンデー毎日3月24日号」で3月13日発売です。

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経済学の現在地16 米国分断解消のカギとなる共感 主流派経済学の課題に重なる■安藤大介18 インタビュー 野中 郁次郎 一橋大学名誉教授 「全身全霊で相手に共感し可能となる暗黙知の共有」20 共同体メカニズム 危機の時代にこそ増す必要性 信頼・利他・互恵・徳で活性化 ■大垣 昌夫23 Q&A [目次を見る]

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