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臣籍降下を「推進」した昭和天皇の真意 社会学的皇室ウォッチング!/106 成城大教授・森暢平

11宮家の皇籍離脱が決まる1946年秋ごろの昭和天皇と家族。一家で笑顔を見せたが、他の皇族との間では緊迫した関係もあった=当時の宮内省提供
11宮家の皇籍離脱が決まる1946年秋ごろの昭和天皇と家族。一家で笑顔を見せたが、他の皇族との間では緊迫した関係もあった=当時の宮内省提供

これでいいのか「旧宮家養子案」―第8弾―

 昭和天皇は11宮家の臣籍降下に抵抗した―。そう主張するのは、前回、本連載が批判した国士舘大学客員教授百地章(ももちあきら)である。ところが、この説はほとんど根拠を持たない。逆に、多くの史料から昭和天皇と皇族は何かと対立し、ときに火花を散らしていたことが分かっている。(一部敬称略)

 百地は2021年5月10日、皇位継承を検討する有識者会議で、昭和天皇は旧皇族の皇籍離脱に最後まで反対したという趣旨を述べた。根拠としたのは、昭和天皇の「諸般の情勢により、秩父、高松、三笠の三宮を除き、他の皇族は全員臣籍に降下することが妥当であるような事情に立ち至った。誠に遺憾であるが、了承してもらいたい」と述べた一言である。出典は、高橋紘ほかの著作『天皇家の密使たち』(1981年)。

 1946(昭和21)年11月29日、皇族たちを集めて、臣籍降下を告げたときの発言だった。高橋は、離脱したひとり閑院純仁(かんいんすみひと)(離脱時は閑院宮春仁)に聞いた。同じところ、梨本宮妃伊都子の日記には「色々の事情より直系の皇族をのぞき、他の十一宮は、此際(このさい)、臣籍降下にしてもらい度(たく)、実に申しにくき事なれども、何とぞこの深き事情を御くみとり被下度(くだされた)い」とある。

 いずれにしても、昭和天皇は「申し訳ないが離脱してほしい」としか述べておらず、離脱に反対、あるいは抵抗したことを読み取ることはできない。

他の皇族の面前での天皇と高松宮の喧嘩

 日本政府が新憲法を検討していた46年2月末、東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)は米国のAP通信の記者と会い、「皇族たちは(昭和天皇の)退位に賛成で、天皇自身も退位を口にしたことがあり、もし退位の場合は高松宮宣仁(のぶひと)が摂政になるだろう」などと話した(侍従次長、木下道雄の『側近日誌』)。

 連合国軍総司令部(GHQ)と日本政府は、天皇の地位を維持するという一線を守るために他の改革で共闘していた。APの記事は米国に配信され、ワシントンの極東委員会の目にも触れる。国際問題となりかねず、宮内省や日本政府は対応に苦慮する。

 昭和天皇は「高松宮は開戦論者でかつ当時軍の中枢部に居た関係上摂政には不向き」と述べ、東久邇宮の「軽挙」を批判的に見た(『側近日誌』3月6日条)。

 弟宮はさらに天皇を困らせた。6月8日、枢密院での新憲法審議で、抗議のため高松宮は欠席し、三笠宮崇仁(たかひと)は途中退席した。天皇側近(侍従)の入江相政は日記に「どうして皇族はかくもお上(昭和天皇)をお苦しめするようなことばかりされるのであろうか」と記している。

 同じ頃、11宮家の離脱の方向が見えてきたが、強い異論を述べたのは高松宮だった。昭和天皇が秩父、高松、三笠の三宮家だけを残す意向をGHQに伝えたことに対し、高松宮は日記に「皇族全部につき御考えになってるのでなくてはならぬ」(6月29日条)と批判した。

 7月2日、皇族たちが集まって、皇籍離脱に付随する実情を昭和天皇に聞いてもらう会が開かれる。この会で、昭和天皇は高松宮を叱った。この年5月に侍従長人事があった際、高松宮が外部に情報を漏らしたことへの批判だ。「けしからぬ」「約束はしていない」―。他の皇族がいる前で兄弟は口喧嘩(くちげんか)を始めた。

 その後、皇籍離脱の話は進む。最終通告は、先に記したように11月29日であった。あとは、形式的手続きが進むだけだ。

 事実上、最後の手続きは、12月24日の皇族会議である。戦前の「皇室典範増補」「皇族身位令」を改正し、「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」を廃止するための会合だ。内親王、女王であっても情願によって皇籍離脱できるようにするほか、離脱後に華族に列するという従前のやり方を改めることを審議した。出席者は、高松宮、三笠宮のほか計10人の皇族たちである。

不規則発言で凍りつく議場

 この場で、高松宮は11宮家が皇籍離脱しなければならない理由を質問した。

「(提案理由に)終戦後の国情の変化ということがありますが、その説明をうかがいたい」。宮内大臣の松平慶民(よしたみ)は、答弁で(1)GHQの指令により、皇室と一般皇族の経済関係が切り離されたので、各宮家の経済的自立が必要となった、(2)新皇室経済法で皇族費は国家負担となるので、皇位継承に差し支えない限り、皇族の範囲を縮減するのが望ましいとの理由を挙げた。

 高松宮はなお食い下がる。「外国の圧迫によるものと解してよろしいか」。皇族会議では、用意された議案が、質疑もなく可決することがほとんどである。高松宮は、そこであえて「不規則発言」をぶつけた。それもGHQを暗示する「外国の圧迫」という物騒な言葉を使っての質問だ。最後の抵抗であり、議場が凍りついたことは想像に難くない。

 松平は「外国の圧迫と申せば語弊がありますが、ポツダム宣言を受諾している現在、日本独自の意見で決定処理することのできないものもございます」と答えた。全面否定するわけにはいかず、苦渋の答弁だ。

 三笠宮も意見を述べた。皇族身位令の改正26条が「臣籍に入りたるものは一家を創立し……」とあったのに対し、「臣籍」の文字は「封建制の残滓(ざんし)」と主張したのである。松平が反論し、質疑は終わった。採決の結果、三笠宮だけが反対の意思を示したが、残りの9人の賛成多数で原案は可決した(以上、宮内公文書館所蔵「皇室典範増補中改正外」を参照した)。

 高松宮は皇籍離脱に反対し、三笠宮は逆にラディカルな皇室改革を主張し、宮内省の微温的姿勢を批判した。いずれにしても、昭和天皇と宮内省は手を焼いた。のちの宮内庁長官田島道治(みちじ)の『拝謁記』には、昭和天皇による高松、三笠の両宮の悪口がたびたび出てくる。

 天皇は、宮内省と一緒になり、「国体護持」の最低線を守るために宮家の皇籍離脱を推し進めた。それに反抗する弟宮に昭和天皇は忸怩(じくじ)たる思いを抱いたのである。(以下次号)

もり・ようへい

 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など

「サンデー毎日3月24日号」表紙
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