「地下帝国」化の様相を呈する世界経済の潮流を解明 評者・上川孝夫
『武器化する経済 アメリカはいかにして世界経済を脅しの道具にしたのか』
著者 ヘンリー・ファレル(ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院SNFアゴラ教授) アブラハム・ニューマン(ジョージタウン大学外交政策大学院・政治学部教授) 訳者 野中香方子/解説 鈴木一人
日経BP 2750円
本書は「すべての道はローマに通ず」ということわざから始まる。現代では、世界の光ファイバー網、金融・決済システム、半導体など高度な製品製造の技術は、米国に集中し、米国政府による力の行使を支えている。ただその活動の多くは目には見えず、地下に潜ったとして、これを「地下帝国」と呼んでいる。この地下帝国はどのように作られたのか、それを通じて米国はいかに世界経済を「武器化」したのか。その実態を克明に描いている。
米国が地下帝国の建設を急いだ契機は、2001年の9.11同時多発テロであったという。冷戦終結後、グローバル経済へ移行する中で起きたテロ攻撃は、米国に自らの脆弱(ぜいじゃく)さを思い知らしめた。地政学的リスクが高まり、米国は徐々にグローバル・ネットワークを支配の道具に変え始める。
例えば、米国は、将来のテロを察知すべく、国際送金などの情報を伝達するSWIFT(国際銀行間通信協会)にアクセスを認めさせるなど、監視体制を一変させた。イランの核開発疑惑では、同国をドル決済システムから締め出し、交渉のテーブルにつかせた。ロシアのウクライナ侵攻でも、ロシア中央銀行による外貨準備へのアクセスを遮断するため、欧州高官と暗号化された通話で長時間議論し、詳細を詰めたとされる。
しかし経済の武器化は、米国の専売特許ではない。ロシアもまた天然ガスの供給を武器化し、欧州のエネルギー戦略を脅かした。米中間でも、米国は輸出規制を通じて、半導体製造技術など知的財産を武器化したが、対抗して中国も独自のサプライチェーン(供給網)の構築を急いでいる。そこには一方の恐怖が他方の恐怖を増幅させるという力学が働いていると見る。
本書は、米ソ冷戦時代との違いにも注目する。米ソは経済的つながりをほとんど持たなかったが、現在は「相互依存の武器化」、つまり政府がグローバル・ネットワークを地政学の道具にしている。しかも今後さらに巨大な「兵器」が開発される危険性もあるとして、そのリスクを緩和するようなルールを大国間で共有することが必要だと指摘する。
世界の情報通信網や決済システムは、地下帝国の有力な武器とされるが、人々の生活や世界経済にとっては重要な社会インフラといえる。大国間の対立ではなく、人類の共存や世界の安定につながるような努力を真摯(しんし)に続けることが重要だ。世界経済をめぐる政治力学をリアルに描き出した本書は、実に読み応えがある。
(上川孝夫・横浜国立大学名誉教授)
Henry Farrell 2019年フリードリッヒ・シーデル賞(政治とテクノロジー部門)受賞者。
Abraham Newman ベルリン・アメリカ・アカデミーから2022〜23年ベルリン賞を授与される。
週刊エコノミスト2024年7月2日号掲載
『武器化する経済 アメリカはいかにして世界経済を脅しの道具にしたのか』 評者・上川孝夫