安全・安価な「三輪EV」を世界へ 松波登 日本エレクトライク会長
電気を意味する「エレクトリック」と、三輪車を意味する「トライク」を組み合わせた「エレクトライク」という電気三輪自動車を開発。三輪EVはニッチな存在だが、ベンチャーが活躍できる市場がある。
エレクトライクは宅配用のクルマとして大きな需要を見込んでいます。ミニバンに近い積載量があり、ドアがなく左右どちらからも乗降できるので、停車して20秒足らずで荷物を運び出すことができます。
車体重量が軽く走行距離が長いのも特長です。重さが1トン以上あるミニバンに比べ、エレクトライクは400キロ程度と軽量です。EVを発進と停止を繰り返す宅配車として使うとバッテリーの消費が早いため、バンなら10キロワット時の電池で20キロメートル程度しか走れません。しかし、エレクトライクは8キロワット時の電池で40キロメートルは走るので、1回の充電で1日中持ちます。
また、三輪自動車はスピードを出すとカーブで倒れやすいという欠点がありますが、これを左右の後輪を別々のモーターで駆動・制御する技術で克服し、2016年には国際出願し、各国で特許も取りました。こうしたメリットに着目した宅配大手のヤマト運輸が、エレクトライクを試験的に導入しています。
還暦でEV会社設立
三輪自動車との最初の出会いは高校生だった1960年代にさかのぼります。自動車部に入り、人気車種だった三輪自動車の「ダイハツ・ミゼット」で遊んでいました。
大学卒業後は大手自動車メーカーの販売会社に就職しましたが、1年半で辞め、父親の経営していた炭鉱用ガス計測器の会社に入りました。当時は仕事よりも自動車レースのラリーに熱中し、75年には世界的な大会であるラリー・モンテカルロにも出場しました。しかし、30歳の時に父が亡くなり、会社を引き継ぐと同時にラリーも断念しました。会社は負債を抱え倒産寸前で、いざというとき家族を養うために大型車の免許を取りました。
これが転機になります。後方確認が難しく事故が絶えない大型車の課題を解消するため、後方カメラの映像をバックミラー越しに見るモニターを開発、新会社も作りました。当初は販売が伸びず12年赤字が続きましたが、大手運送会社が導入してくれることになり、今は年間数千万円の利益が出ています。
再び三輪車と向き合ったのは、05年ごろから母校の東海大学と産学連携で三輪EV製作に当たったときです。川崎市から助成を得て改良を重ねていたとき、日産自動車でEV開発を率いた技術者の千葉一雄さんと出会いました。EVのプロを得て、還暦を迎えた08年に日本エレクトライクを設立しました。
価格は100万円以下に
エレクトライクは自社では製造せず、海外メーカーに技術供与して製造してもらい、日本や東南アジア諸国での販売権を得るというビジネモデルを目指しています。EVの普及には販売価格で100万円を切ることが必要でしょう。これは自社でパーツを購入し組み立てていては不可能です。
最も大きな市場は中国にあります。まずは中国で量産・販売を目指します。三輪EVはニッチですが、確実な需要があります。
独自の技術と販売モデルによって、安全かつ安価な三輪EVを世界に広めたいです。
(聞き手=藤枝克治・本誌編集長)
(構成=大堀達也・編集部)
企業概要
事業内容:電気自動車の開発・製造・販売
本社所在地:川崎市
設立:2008年10月
資本金:2億5000万円
社員数:10人
■人物略歴
まつなみ・のぼる
1948年川崎市生まれ。東海大学工学部卒業後、三菱自動車系の販売会社を経て炭鉱用ガス計測器製造の東科精機に入社。傍らでラリードライバーとして世界選手権に出場。88年、車載リアモニターを製造・販売する日本ビューテックを設立。2008年に日本エレクトライクを設立。17年5月、会長に就任。69歳。