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週刊エコノミスト Online 学者が斬る・視点争点

「水道料金値上げ」に現役世代は反対だが将来世代は賛成する=小林慶一郎(東京財団政策研究所研究主幹)

岩手県矢巾町での「フューチャーデザイン」の住民討議 矢巾町役場提供
岩手県矢巾町での「フューチャーデザイン」の住民討議 矢巾町役場提供

45年後を見据えた水道料金議論

 財政破綻の回避や地球環境問題のような持続性についての政策課題は、どれも世代を超える超長期の「投資プロジェクト」と考えると本質が分かる。

 政府債務が膨張している日本で、現在世代が増税や歳出カットという「痛み」をコストとして支払えば、子や孫の将来世代は安定した経済というリターンを得る。地球温暖化問題についても、現在世代が温室効果ガスの排出削減のためのコストを支払えば、将来世代は安定した地球環境というリターンを享受できる。つまり、一般に、持続性の問題とは「現在世代がコストを支払うと、現在世代は何も得られないが、その代わり、将来世代がリターンを得る」という世代間の投資プロジェクトである。

民主主義の補正が必要

 世代間の投資プロジェクトを実行するかどうかは、現在世代が決めるしかない。民主主義であれ、他の政治体制であれ、現在世代が意思決定するしかなく、将来世代はその意思決定に参加できない。

 この当たり前の事実が、いま重要な問題になってきているのには、二つの理由がある。

 一つは、現代人が利己的で合理的な個人であるということだ。利己的合理的な人間は、多少は子孫のことを気にかけるとしても、基本的に自分が可愛いので、将来世代のために大きな犠牲を払うことに納得できない。逆に、近代以前の社会では、人間は利己的合理的な近代人ではなかった。近代以前の伝統社会では、宗教の規律や伝統文化の掟(おきて)のような、人間の合理性を超えた「非合理的」なルールが個人の利己主義を抑えつけていたから、世代間の資源の移転のような問題も解決できた。現代社会では、宗教や伝統文化の掟は失われ、個人の利己主義を乗り越える規範は非常に弱くなっている。

 二つ目は、社会保障制度が普及したことによる財政の膨張が持続可能でなくなってきたことや、地球環境問題のような重大な持続性の問題は、20世紀の後半以降に現れた比較的新しい問題ということだ。そのような問題が現れるまでは、近代を通じて、世代間の投資プロジェクトが、政治的な意思決定の問題として現れることはなかった。

 現代では、持続性の問題そのものが新しい上に、利己的合理的な個人が意思決定しているために、そのような問題の解決がおぼつかない。利己的合理的な人間が多数決で世代間問題を決定するためには、将来世代にも多数決に参加してもらう必要があるが、それは不可能である。

将来世代を「演じる」

 将来世代が我々の政治決定に参加できないことが問題なら、「将来世代の代理」を連れてくればよい。2012年に大阪大学にいた西條辰義(現高知工科大学教授)や原圭史郎(大阪大学准教授)たちが始めた「フューチャー・デザイン」の研究プログラムの発想はシンプルなものであった。もちろん、将来世代は連れてくることはできないので、現在世代の誰かに将来世代の利益を代表するロールプレー(役割演技)をしてもらう、ということである。

 その典型例は、原氏が関与した15年の岩手県矢巾町での実践だ。矢巾町では60年までの長期ビジョンを作成することになり、一般市民を現在世代グループと、「60年の将来世代」の立場になりきる役割を与えられた将来世代グループに分けて、それぞれのグループで住民討議を行ってビジョン案を作成した。実験の結果、現在世代グループが現在の制約や課題の延長でビジョンを描いたのに対し、将来世代グループは地域の長所を伸ばすためにあえて困難な課題解決を目指すビジョンを作成するなど、考え方や合意内容に明らかな違いが表れたという。

 たとえば、水道料金をめぐる議論は興味深い。実験当時の矢巾町の水道事業は黒字を計上していた。現在世代グループは、水道料金を値下げして黒字を住民に還元すべきだという合意になった。これに対し、将来世代グループは、60年の視点から15年の水道事業を見ていたので、15年から60年の間に水道管や水道設備の更新をしなければならないことを強く意識して議論した。彼らは、巨額の更新資金が必要なのだから、いま黒字であっても水道料金を値上げすべきだと合意した。実際、この実験のあと、矢巾町は水道料金の値上げを実施することができた。

 フューチャー・デザインの住民討議実験で興味深いのは、将来世代の役割を与えられた実験参加者の心理に大きな変化があった、という印象を研究者たちが受けていたことである。矢巾町での実験の半年後のインタビューで、将来世代グループのある参加者は「現在世代の自己と将来世代の自己を俯瞰(ふかん)し調停する思考ができた」と言い、そのように思考することに「喜び」を感じる、と答えたという。このような変化は、被験者の脳内の活動に何らかの変化が起きている可能性を示唆している。

 西條はこのような人格を仮想将来人または仮想将来世代と呼ぶ。仮想将来人を現実の政策決定のプロセスに現出させるため、仮想将来人からなる政治的アクター、例えば中央政府の中の「将来省」や自治体の中の「将来課」などを創設し、それらの組織に将来世代の視点から現在の政策決定に関与させよう、というのがこの取り組みの究極目標である。

 なぜ仮想将来世代は機能するのだろうか。将来省のような組織を作っても、その構成員は現在世代の人なのだから、彼らが真に将来世代の利益を代表して行動するとは限らない。

 しかし、将来世代の役割を与えられた被験者が「仮想将来人」になれた、という矢巾町などの実験結果が一般的に成り立つなら、すなわち、将来世代を代表する役割を与えられると人の人格が本当に変わるのならば、将来省のような組織もうまく機能する、と期待できる。将来省の職員は「将来世代を代理する」という役割を与えられるので、仮想将来人の人格を持つようになる。

 与えられた職責によって選好が変化するという仮説だが、共感の作用によって選好が変わるというアダム・スミスの仮説(『道徳感情論』)と同等である。将来世代の代弁者という職責を与えられた者は、その職責を果たすことで同僚からの共感を得られる。すると、共感を受けることから得られる内的な喜びが「将来世代の代弁者であることは正義である」という信念を強化する。こうして仮想将来世代の政府機関の職員は、少なくとも主観的には本心から将来世代のために働くようになる。

 これはアダム・スミスの説いた、「公平な観察者」が心の中に形成される仕組みと同じである。

 この仮説が正しいかどうかを検証するには、仮想将来人の自己形成メカニズムを脳科学や心理学の統計的方法によって科学的に解明する必要がある。フューチャー・デザインの被験者の脳の様子をfMRI(機能的磁気共鳴画像法)で画像化することで、脳活動の変化を捉える研究方法などが検討されている。フューチャー・デザインは社会科学だけでなく、神経科学や思想・哲学まで幅広い領域で人間の知の在り方に変革をもたらす可能性を秘めている。

(本誌初出 超長期の難題、鍵握る「未来設計力」=小林慶一郎 2019年3月26日号)

(小林慶一郎、慶応義塾大学・経済学部教授)


 ■人物略歴

こばやし・けいいちろう

 1966年兵庫県出身。91年東京大学大学院修士課程修了(数理工学専攻)。同年通商産業省(現経済産業省)入省。98年シカゴ大学大学院博士課程修了(経済学)。2013年4月から現職。専門はマクロ経済学。


 本欄は、堀井亮(大阪大学教授)、小林慶一郎(慶応義塾大学教授)、高橋賢(横浜国立大学教授)、宮本弘暁(国際通貨基金エコノミスト)、稲水伸行(東京大学准教授)、倉地真太郎(後藤・安田記念東京都市研究所研究員)の6氏が交代で執筆します。

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