経済・企業コロナ危機の経済学

経済政策 副作用忘却した世論迎合の危うさ 付け回し限界か、資本主義放棄か=森田長太郎

    異例の金融緩和政策を取るFRBのパウエル議長 (Bloomberg)
    異例の金融緩和政策を取るFRBのパウエル議長 (Bloomberg)

     日経平均株価が史上最高値から暴落を始めた1990年初めを起点とすると、我々が最初に本格的な「金融危機」を経験してから、今年でちょうど30年になる。90年代末には日本の金融危機、2000年代初頭には米国のITバブル崩壊が起こり、08年には米国でリーマン・ショックが発生した。

     そして現在、我々は「コロナ危機」という新たな「危機」に直面している。この30年間は、世界経済が目覚ましい成長を遂げた30年間であったと同時に、1930年代の大恐慌以来、約60年ぶりに再開した「危機の時代」でもあった。(コロナ危機の経済学)

    経済活動を放棄

     今回の「コロナ危機」は、歴史的にみて大きく二つの側面から捉えることができる。一つは、空前の規模での「自然災害」という側面である。そして、もう一つは30年間にわたる「危機の時代」に追加されたもう一つの「危機」という側面である。

    「自然災害」として今回の「コロナ危機」を位置付ける際、その最大のポイントは、この大規模な「自然災害」に我々がどう対処しつつあるかという「人間側」の問題である。

     本来、生物が「生命の維持」という最も重要な目的を達成するためには、「病気の克服」以外にも、「食料の確保」や「生活環境の確保」といった行動が必要である。人間の場合、それは衣食住を確保するための「経済活動」ということになる。今回の「コロナ危機」に際して人間は、「生命の維持」のために「病気の克服」を圧倒的に優先していることが大きな特徴である。

    「経済活動」という「生命維持」の重要な手段の一つを放棄して「病気の克服」だけを追求することは、本来の人間行動としては著しく偏ったものであるようにも思われる。

     しかし現在、日本を含む多くの国では、エモーショナル(感情的)な世論がそれを強力に要請している。そして、より重要な点は、多くの政府がそういった世論に迎合して政策を実行しているということである。その政策手段は、「経済活動停止」の影響を相殺する巨大なマクロ経済政策である。

    「病気の克服」という一点に社会のほぼ全リソース(資源)を費やし、「経済活動」というもう一つの重要な「生命維持」の手段を放棄することは、100年前のスペイン風邪流行の時には取り得ない選択であった。現在、それができているのは、そういったマクロ経済政策を実施する余地が存在しているためであることは確かであろう。

     異例の財政拡大策が決定されても、主要国で長期金利の上昇は抑制されている。これは、世界的な過剰貯蓄の存在に加えて、中央銀行の異例の金融緩和措置による積極的な支援が寄与している部分も大きい。自由市場のメッカである米国でも、米連邦準備制度理事会(FRB)は国債だけでなく社債や貸し出しといった民間市場にまで異例の介入を進めている。それでも各国では、マクロ経済政策の措置は不十分だとの世論が渦巻いている。

    政策当局者や学者の過信

     100年前には取り得なかった措置を現在取り得ていることを、果たして我々は手放しに喜んでよいものだろうか? 短期的なスパンでは、その答えは「イエス」だろう。

     しかし、より大きな懸念は今回、こういった「問い」が発せられることすらなくなっているという事実である。今回の「コロナ危機」を過去30年間にわたる「危機の時代」に追加されるもう一つの「危機」として位置付けられるゆえんは、まさにこの点にある。

     主要国では過去30年間、「成長とインフレ」を最大の政治課題として掲げ、巨大な財政・金融政策が実施されてきた(図)。マクロ経済政策の過剰と反動が、「危機」を繰り返し引き起こしてきたと言っても過言ではない。過去30年間が「危機の時代」であった最大の理由は、低成長と低インフレが定着する世界で、「過去の高成長と高インフレへの回帰をマクロ経済政策によって実現できる」と考えた政策当局者や経済学者たちの過信ではなかったか。

     さらに言えば、財政・金融のマクロ経済政策には二つの大きな「副作用」を伴う。一つは「後世代への負担転嫁となり得ること」であり、もう一つは「経済への過剰な公的関与がもたらすゆがみ」である。

     過去の日本の経済政策は「ストップ・アンド・ゴーだ」と、しばしば批判されたが、それは政策当局者がこれらの「副作用」を認識していたためでもあった。しかし、「危機の30年間」が経過するにしたがって、成長やインフレのためにすべての政策リソースを投入することが最善であるとの考え方も強まっていった。今回の「コロナ危機」へのマクロ経済政策面での対応をみると、欧米主要国でも、これら二つの「副作用」を完全に忘却することが最善だとの世論が一気に形成されたかのような印象を受ける。

    便益と副作用を示さぬ政府

     現代の政府は、こういったマクロ経済政策がすべて「便益と副作用」の両方を含む何らかの「選択」であるということを明確に示さない傾向が強まっている。今回の「危機」においても、致死率などを考えれば経済活動を全く抑制する必要はないとの極論もあり、実際にスウェーデンでは経済活動を継続するという「選択」をしている。しかし、多くの国はそこまでの明確な選択を国民に示しているわけではない。「経済活動」と「感染抑制」のバランスをどの程度に設定し、現世代が後世代にどの程度の負担を転嫁すべきかは、すべて「選択」の問題である。そして、「経済への公的関与」の程度をどのように設定するのかも、やはり同じように「選択」の問題である。

     こういったことをほとんど明示せず、世論にただ迎合して政策を推し進めていく現在の世界の状況は、「危機の30年間」がいよいよその最終段階に近づきつつある兆しを感じさせもする。今すぐではないだろうが、いずれ、我々は強制的にその「選択」を迫られることになるのではないだろうか。

     それは、「後世代への負担転嫁」が何らかの形で限界に達してしまう場合、あるいは経済の「公的関与」がいよいよ実質的な「資本主義の放棄」を迫るほどまでに進んでしまう場合であろう。「コロナ危機」は、明らかにそういったプロセスの進捗(しんちょく)を速めるイベントであるように思える。

    (森田長太郎、SMBC日興証券 チーフ金利ストラテジスト)

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