マーケット・金融 20200707更新【週刊エコノミストOnline】
フェイスブックのリブラを追いやり「デジタル人民元」が世界最初のデジタル通貨となる理由=中島真志
世界で27億人ともされる膨大な数のユーザーを抱えるソーシャルメディアのフェイスブックを中心に、米企業連合が発行を計画していたデジタル通貨「Libra(リブラ)」が早くも曲がり角を迎えた。
プロジェクトを推進する「リブラ協会」は今年4月、世界中どこでも使える史上初のデジタル通貨という当初のリブラのコンセプト(昨年6月発表)を大きく変容させる内容の「リブラ白書2・0」を公表した。特に大きな変更が、複数の通貨とリンクして価値を担保する一つのデジタル通貨(“多通貨型”リブラ)から、ドル、ユーロなど個々の通貨とリンクする複数のデジタル通貨(ドルリブラ、ユーロリブラなど“単一通貨型”リブラ)に変更された点である。
当局の反発と致命的欠陥
当初の多通貨型は、価値を主要5通貨(ドル、ユーロ、円、ポンド、シンガポール・ドル)からなる「通貨バスケット」にリンクするもの。メリットは(1)バスケットを構成する複数の通貨の強弱が打ち消し合い価格が安定、(2)5通貨からなる「リブラ・リザーブ」という裏付け資産を100%保有することで、通貨としての信用度が高まる──こと。グローバル通貨を複数通貨のバスケット通貨として発行する仕組みが斬新であった。
これに対して、変更後の単一通貨型は、各国通貨と同じ価値を持ち、等価交換ができる「ドルリブラ」「ユーロリブラ」……などを、別々に発行する。これらの各国通貨建てのリブラは、各通貨のリザーブ(現金で20%、短期国債で80%を運用)によって100%裏付けられるとしている。バスケット通貨型の独自デジタル通貨の発行を断念したという意味では、根本的な「コンセプトの変更」であると捉えるべきだろう。
今回の変更の理由について、リブラ協会から説明らしいものはないが、迷走の背景には、次の二つの要因があるとみられる。
一つは各国の金融当局や米議会の極めて厳しい姿勢だ。金融機関ですらない民間企業が、国家の通貨主権の下で中央銀行が独占的に発行してきた法定通貨を超えるデジタル通貨を発行することは、国・中銀から見れば権限が侵されることになる。反発は必然だ。
もう一つは、当初案の多通貨型リブラが「致命的な欠陥」を抱えていた可能性である。多通貨型は「100%の裏付け資産(リブラ・リザーブ)を確保」できることを特徴としていた。これは、いつでもユーザーの払い戻しに対応できることを意味する。しかし、リブラの価値が値上がりした場合、裏付け資産保有比率が100%を下回る事態が起こり得る。この構造的問題が解消できないとすれば、路線変更の十分な理由になる。
一方で単一通貨型ではこうした問題は起きない。リブラ協会は、単一通貨型の方が認可を得られやすいという読みがあったのかもしれないが、すでに各国中銀自らが、自国の法定通貨をデジタル化する「中銀デジタル通貨」(CBDC)を発行する方向で検討や準備を進めている中で、ほぼ同じ機能を有するドルリブラやユーロリブラが先に発行されるような状況を、当局側が容認するとは考えにくい。英『フィナンシャル・タイムズ』紙は、リブラの方針転換を「大幅な後退である」と報じた。
中国は北京五輪で披露か
主要国の中で、中銀デジタル通貨の発行に向けて先頭を走っているのが中国である。中銀である中国人民銀行は2014年夏から「デジタル人民元」の研究チームを立ち上げ、研究に着手している。19年8月には人民銀行高官が「発行は近い」、9月には「発行準備はほぼ完了」と発言。世界初の中銀デジタル通貨は中国になる──との観測が広がり、世界の金融当局に動揺が走った。
デジタル人民元は20年中に、蘇州(江蘇省)、深圳(広東省)、成都(四川省)、雄安新区(河北省)など一部の都市で試験運用が予定されている。すでに蘇州では、今年5月から地方政府の職員や商業銀行の行員に対する交通費の支給としてデジタル人民元を発行する実験が行われている。経済特区の雄安新区ではスターバックス、マクドナルド、サブウェイ、無人スーパー、地下鉄、書店などが試験に参加する。
本格導入は21年中が有力視されているが、「遅くとも北京冬季オリンピック(22年2月)までには使えるようにする」との人民銀行幹部の見通しが伝えられており、国家イベントで世界に披露することを目指しているようである。
デジタル人民元は、人民元の「現金」を代替することを目的としている。ユーザー(個人、企業など)は、モバイルウォレット(電子財布)をスマートフォンにダウンロードし、アカウントを作成して利用することになる。発行者は人民銀行で、「仲介機関」(市中の金融機関)を通じてユーザーに配布する「間接発行型」となる。仲介機関としては、商業銀行のほか、アリババ、テンセント、銀聯(ぎんれん)などが含まれる予定である。
中国ではQRコード決済が広く普及しており、アントフィナンシャル(ネット通販最大手アリババの子会社)による「アリペイ」、テンセントの「ウィーチャットペイ」は10億人超のユーザーがいる。当局では、アリペイ、ウィーチャットペイ、また、デビットカードとクレジットカードの機能を持つ銀聯カードなどの加盟店で、デジタル人民元を使えるようにする戦略とみられる。
上記を踏まえると、デジタル人民元に関する日本のメディアの報道は誤解を与えかねないものも多い。例えば、デジタル人民元は14年の開発開始から約6年間に80件以上もの特許を申請している。つまり、リブラ構想の着手(17~18年ごろとされる)よりも早いため、マスコミの論調のように「リブラを脅威と見て慌てて開発を始めた」わけではない。
また、デジタル人民元は、“国内での”個人や企業の取引(小口決済)に使うことを目標としている。つまり、デジタル人民元で「ドル覇権に挑戦する」とか「人民元を国際化する」といった見方は的外れであろう。
カンボジアは「日本製」
世界初の中銀デジタル通貨発行国の栄誉を得るのは、中国ではないかもしれない。急速に実用段階に迫っている“伏兵”が、カンボジア国立銀行(中銀)が計画する「バコン」だ。19年7月から、同国最大手アクレダ銀行を含む12銀行と1万人以上のユーザーが参加した試験運用を始めている。
バコンで採用されている「ハイパーレジャーいろは」というブロックチェーン技術は、日本のスタートアップ企業であるソラミツが開発した。本格的な全国展開に向けた準備はおおむね整っている模様であり、コロナ禍が終息し次第、今年秋口にも、正式運用を始めるものとみられる。
発行はデジタル人民元と同様「間接発行型」を取るが、入手方法を「銀行券との交換」に限っているのが特徴である(銀行預金からバコンへの交換は不可)。これは、通貨流通量のコントロールや、銀行への取り付け騒ぎ(銀行への不安から、銀行預金を引き出して大量にバコンに換える)の防止策を目的としている。
また、デジタルデータ自体が現金と同等な価値を持つ「トークン型」通貨として発行される。トークン型はデータの受け渡しが行われた時点で「決済完了性」を持つ。これは現金と同じだ。不特定の者への譲渡が繰り返される「転々流通性」も有するため、例えばバコンを受け取った企業は、即座に仕入れなど次の支払いに充てることができる。さらに、加盟店手数料や送金手数料などはすべて無料となる。中銀には手数料を取れないデメリットが発生するが、それを相殺するメリットとして銀行券の製造・保管・輸送などのコストが大幅に削減できる。
使い勝手も考えられており、バコンを使うためのスマホアプリを、アップルストアやグーグルプレイストアからダウンロードすれば、個人間送金は相手の携帯電話番号だけで送金できる。決済は、店舗のQRコードをスキャンして支払う。自国通貨「リエル」のほかに、ドルにも対応している。これは、国全体の現金流通額の70%程度が米ドルとなっているという複雑な通貨事情が反映している。
一方で、マネーロンダリング(資金洗浄)対策として1日500ドル相当(約5万5000円)が利用の上限として定められている。ただし、銀行口座を開設し、バコンとのひも付けを行うと、上限額は一挙に、1日5000ドル相当(約55万円)に跳ね上がる。この措置の狙いは、銀行口座の保有促進と、国民の78%が銀行口座を持っていない状況の打開にある。つまり、既存の金融サービスを受けられない貧困層などに送金・決済手段を提供する「ファイナンシャル・インクルージョン(金融包摂)」を実現する有効な手段と言える。
米国も6月17日に米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長が、議会証言で、これまでの慎重姿勢から一転して「デジタル・ドルの実現に向けて真剣に研究する」との考え方を示している。日本(とりわけ日銀)に対する圧力となることは必至であろう。
中銀デジタル通貨による「新たな現実」(ニューリアリティー)は、すぐそこまで来ている。
(中島真志・麗澤大学教授)
(本誌初出 デジタル通貨リブラが失速 世界初の中銀マネーは中国か=中島真志 2020・7・7)