経済・企業 孫氏の蹉跌
ソフトバンクの英ARM売却で確定する孫正義の投資失敗
ソフトバンクグループ(G)が傘下の英半導体設計会社ARM(アーム)の売却に向け、コンピューターグラフィックス(CG)用半導体を製造する米エヌビディアと交渉中と伝えられた。実現すれば、ソフトバンクGの経営改善と同時に、孫正義氏の投資失敗を確定する恐れがある。
「2020年に4~5倍になる」
米ブルームバーグや英フィナンシャルタイムズが伝えたところによると、ソフトバンクGは経営悪化に伴う4兆5000億円の資産圧縮の一環で、アームの保有株売却や再上場を検討している。米エヌビディアは320億㌦(約3兆3600億円)以上を投じるとされている。交渉の初期段階だが、早ければ数週間以内に結論が出て、売却に至らない可能性もあるという。
アームは、全世界のスマートフォンのCPU(中央演算処理装置)設計で90%のシェアを誇る。米アップルはiPhоne(アイフォーン)だけでなく、パソコンのMacにも採用を決めた。任天堂の携帯ゲーム機や日本のスーパーコンピューター富岳にも採用された。製造は行わず、半導体の設計による特許料で高収益を上げるビジネスモデルだ。
ソフトバンクGは2016年、アームを3兆3000億円で買収し、非上場の完全子会社とした。当時、孫氏はIоT(モノのインターネット)の到来を予見し、「IoTの時代がやってくる。その中心がアームだ」「2020年には現在の4倍、5倍の規模になる」と述べ、市場価格より割増で買う意義を強調した。
アームは18年、iSIMと名付けた通信用SIM(携帯電話などの加入者を特定するID番号が記録されたICチップ)の規格であるSoC(システム・オン・チップ)統合型SIM技術「Arm Kigen」を開発した。
CPUとモデム、SIMをひとつの半導体にするもので、従来の物理SIMや通信事業者の情報をネットで書き換えられるeSIMよりも小型化でき、IоTの実現につながる技術と期待された。
だが、現在のところ、iSIMの普及は進んでいない。それどころか、eSIMでさえ、肝心の日本の大手通信会社は顧客の乗り換えが容易になるのを嫌ってか、導入に消極的だ。通信子会社ソフトバンクも、iPad(アイパッド)のデータ通信で細々と利用しているのが実情だ。
IоTの伸び悩みを受け、アームは今年7月、IоT部門を親会社のソフトバンクGに移管すると発表。孫氏が買収目的とした最大の特徴はアームから切り離される。
買収後のアームの業績も伸び悩んでいる。セグメント利益は17~20年3月期通算で、726億円に過ぎない。3兆3000億円の投資先の4年間の利回りとして物足りない数字だ。孫氏がアームの技術者を増やして技術開発を優先した結果であり、将来性を重視したファンドとしてひとつの判断ではある。しかし、期待したIoT分野が育たなかった以上、投資効率の面からは失敗と評価せざるを得ない。
税務会計で効果はあったが…
一方、ソフトバンクGの税務会計からみると、アーム買収は絶大な効果があった。
ソフトバンクGが買収したアームは正確にいうと、持ち株会社「ARM Holidings PLC」を指す。同社の下に複数の中間持ち株会社があり、それらが保有するのが設計などの実務を行う中核会社「ARM Limited」だった。
当時の日本の税制では、海外子会社の株式を親会社に現物配当すると、ほぼ無税となる。この制度を利用し、ソフトバンクGはARM Holidingsが保有するARM Limited株を自社と傘下のソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)へ提供。並行して、ARM Limited株を失って価値が激減したARM Holidings株をSVFへ現物出資することで損失を計上し、ソフトバンクGは18~19年3月期に合算で連結営業利益3兆6000億円を上げながら、単体の法人税は計1000万円に圧縮した。この時点では合法な節税テクニックだったが、日本政府は今年度から税制を改正し、こうした手法を封じた。
この税務処理の課程で、ARM Holidingsは、名称をSVF HOLDCO(UK)LIMITEDに変更した。ソフトバンクGが決算資料などでアームと呼ぶ場合、買収時はARM Holidingsであり、現在はARM Limitedを指す。
こうして整理すると、アームの現在価値を外部から推し量るのは簡単ではない。ソフトバンクGが3兆3000億円で買収したARM Holidingsは直後、中国の完全子会社「アーム・チャイナ」の株式の51%を売却し、持ち分法適用会社にした。
現在のARM Limitedは今後、IoT部門も切り離す予定で、買収時点と比べると企業体の構成内容は大きく変わった。
セグメント利益の伸び悩みを考えると、米エヌビディアがARM Limitedに320億㌦を払うなら、むしろ高評価に見える。
ただ、ソフトバンクGにとって、買収時の金額で売却することは、投資の失敗を意味する。税務会計の一環で、アーム株の一部はSVFの投資対象となったことは先に記した。しかし、アームはこの間、営業利益が伸び悩んだ。SVFはサウジアラビアの政府系ファンドから出資を受け、利回り7%を保証している。3兆3000億円を投じたアームはセグメント利益面でも株価面でも、SVFの運用パフォーマンスの足を引っ張っているのが現実だ。
エヌビディアは株式交換で買収か
米エヌビディアの買収を各国の規制当局が認めるのかという問題もある。ソフトバンクGは投資会社であり、半導体製造に関してほぼ中立的な立場のため、アーム買収は順調だった。しかし、米エヌビディアは自身も半導体製造に携わり、アームの顧客との競合関係にある。スマホCPU設計だけで90%のシェアを持つアームを米エヌビディアが買収すれば、独占禁止法に抵触する恐れは強い。
ソフトバンクGの投資利回りと米エヌビディアの独禁法抵触という二つの課題を考えると、アーム(ARM Limited)を新規上場(IPO)したうえで、ソフトバンクGと米エヌビディアが株式交換でアーム株を持ち合う可能性がある。米エヌビディアがアームを完全子会社にしないことで独禁法を逃れる。
さらに、新型コロナウイルス感染拡大と各国中央銀行の金融緩和により急騰した株式市場で米エヌビディアの時価総額は、半導体大手の米インテルを上回った。膨れ上がった自社株をアーム株と交換すれば、米エヌビディアはキャッシュを使わずに、アームを傘下に入れることも可能だ。
ソフトバンクGにとっても、米エヌビディア傘下でアームの業績が改善されて企業価値が上がり、さらにIPO後のアーム株のパフォーマンス向上も期待できる。
1000分の1の株式分割の狙い
実はARM Limitedは昨年、1000分の1の株式分割を実施している。従業員への成果報酬の一環という。株式分割は本来、株価に中立だが、バブル的状態の現在の市場でIPOした場合、単位株が小口になれば買い手が増え、株価が上昇する可能性はある。
ただ、株式交換によるアーム株持ち合いで独禁法から外れたとしても、米エヌビディアが買収効果を発揮出来るか、疑問視する声も強い。アームの顧客が多いため、米エヌビディアとの利益相反が避けられないとの見方があるためだ。
いずれにせよ、この買収は利害関係の調整が極めて難しい。ただ、はっきりしているのは、買収時より売却価格が大きく上回らない限り、ソフトバンクGと孫氏は勝者として名乗りを上げられないことだろう。
(後藤逸郎・ジャーナリスト)