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貿易 WTO 次期事務局長はケニアかナイジェリア=深作喜一郎

改革は急務(スイスのWTO事務局) (Bloomberg)
改革は急務(スイスのWTO事務局) (Bloomberg)

 近年、WTOの弱体化に懸念の声が上がっている。昨年12月17日号の本誌でリポートしたように、紛争解決制度の控訴審に当たる上級委員会は定員数の不足によって審理ができなくなり、機能停止に追い込まれた。貿易交渉を行う場(フォーラム)としての機能低下も大きな問題だ。

 この緊急事態の中で、ロベルト・アゼベド事務局長は、5月14日に2期目の任期1年を残して8月31日をもって退任すると表明した。退任表明の日は、ちょうど7年前に一般理事会が彼の事務局長就任を公表した記念すべき日。

 なぜ緊急時に退任を決意したのか、真意は必ずしも明らかではない。もし、任期前退任がなければ、次期事務局長選出プロセスは今年12月から9カ月程度かかり、新型コロナウイルス感染拡大の影響で来年に延期された第12回閣僚会議の準備作業の支障になりうる。次回閣僚会議はWTO改革の布石となる。アゼベド氏は、次期事務局長選との時期を引き離し、次回閣僚会議を成功させることに思いをはせていたわけである。

11月には選出完了

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 WTO事務局長は、国際機関の中で最も過酷なポストの一つといっても過言ではない。1国1票の原則と合意原則による意思決定に基づき、加盟国が主体的に運営する国際機関のトップだからである。上は閣僚会議や一般理事会に始まり、下は貿易交渉委員会の下部組織、物品・サービス・知的財産に関わる各理事会、その下に置かれたテーマ別の委員会や作業部会など、40を超える会合は、貿易交渉委員会を除き、加盟各国から選出される議長(主にジュネーブ常駐大使や外交官)を中心に運営される。

 WTO事務局長には交渉の決定権はなく、加盟国からの独立と中立が求められる。同時に、貿易交渉委員会の常任議長として、また組織のトップとして、同時進行する多くの交渉を全体としてまとめていく専門的知識を持ち、加盟国から「公正な仲裁者(honest broker)」としての信頼を得るような政治的リーダーシップが期待される。

 2013年に『WTOの歴史と未来』を出版したクレイグ・ヴァングラステックは、GATT(WTOの前身、関税と貿易に関する一般協定)時代から含めて歴代8人の事務局長(現役事務局長であるアゼベド氏を除く)のリーダーシップ像について詳述した。それによると、難航したウルグアイラウンド交渉をまとめ上げ、GATTからWTOへの橋渡しをした、故ピーター・サザーランド氏の強力なリーダーシップは際立っていた。コロナ危機に及んで、今秋選出される新事務局長にも同様のリーダーシップの発揮を求めたい。

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 一般理事会議長は5月、事務局長選出プロセスを公表した。プロセスは、三つのフェーズから成る。

 フェーズ1では、6月8日からの1カ月、加盟国が自国の候補者を推薦する。その後直ちに、一般理事会議長は特別会合を開いて全候補者による所信表明と質疑応答、メディア向けのインタビューを実施する。今回は7月15〜17日に開催された。フェーズ2の残りの期間は、候補者による選挙キャンペーンに充てられ、9月7日に終了する。フェーズ3は、一般理事会議長が、2人のファシリテーター(紛争解決機関議長と貿易政策検討機関議長)と共に、加盟国と協議を繰り返して、最も広範な支持が得られる候補者に絞り込む。この作業に最長2カ月を充て、新事務局長の選出プロセスは11月7日までに完了する(表2)。

 なお、選出プロセスを経て一般理事会が新事務局長を承認するまでは、現在4人いる事務次長の1人が事務局長代行に就く。ただし、7月末までに合意できていない。

99年の選出混乱

 上記のような選出プロセスは、02年12月の一般理事会において合意されたが、これには理由があった。第2代事務局長であるイタリア出身のレナト・ルジェロ氏の4年の任期は、1999年4月末に切れたが、後任がなかなか決まらなかった。当時、米国が推す元ニュージーランド首相のマイク・ムーア氏と途上国グループのサポートを受けた元タイ副首相のスパチャイ・パニッチパクディ氏が後継者レースで死闘を演じていたからだ。

 選挙戦を取材したジャーナリストによると、米国は1国1票による投票をすれば負けることを懸念して、合意原則を盾に投票を避け多数派工作を行ったが、解決には至らなかった。結局、6月半ばになって、米国務長官のマドレーヌ・オルブライト氏とタイ外相のスリン・ピッスワン氏の間で妥協が成立し、通常4年の事務局長任期は6年になり、ムーア氏が最初の3年、スパチャイ氏が次の3年に分割されるという異例の事態になった。事務局長選出プロセスに費やされた時間とエネルギー量はおびただしく、11月に米シアトルで開催された第3回閣僚会議にも悪影響を与えた。

 今回、フェーズ1は、7月8日に締め切られ、8人の候補者が出そろった(表1)。フェーズ3のプロセスの詳細は本稿執筆時点では不明であるが、アゼベド事務局長(ブラジル)が選出された前回13年のプロセスでは、1回目の協議で総勢9人の候補者が5人に、2回目の協議で2人のファイナリスト(メキシコとブラジル)に絞られた。今回は10月中旬までに2人のファイナリストが決まることになろう。10月5日にサウジアラビア・リヤドで開催予定のG20(主要20カ国・地域)貿易・投資大臣会合が一つの山場になるとみられる。1回目の絞り込み(5人)では、地理的要素がポイントになる。これまで事務局長を出していないアフリカ・中東地域からの候補者が有利だ。

改革推進13カ国に注目

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 候補者にとっては、自国から候補者を出していないビッグ3(EU=欧州連合=、 米国、中国)の支持を獲得することが最も重要である。表3は、WTOへの拠出金で上位の25カ国・地域だ。加盟国・地域への拠出金の配分は、各国・地域の総貿易額を基に算出される。

 G20諸国は、グループ全体で85%を占めるが、G20諸国が1人の候補者に合意するとは考えにくい。キャスチングボートを握るのが、予算の5割を占め、改革推進派であるオタワグループ13カ国である。ちなみに、グループ名はカナダを議長国としたことに由来する。

 8人の候補者の中で、アフリカ出身のアミナ・モハメッド氏(ケニア)、ユ・ミョンヒ氏(韓国)とヘスス・セアド氏(メキシコ)がオタワグループに属している。さらに、ワシントンDCでの知名度が抜群のヌゴジ・オコンジョ‐イウエアラ氏(ナイジェリア)を加えた4人が先頭集団を形成している。

 ファイナリストは、アフリカ勢同士の争いになる可能性が高い。筆者は、EUとの経済関係が緊密な西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の大国であるナイジェリア候補と、15年ナイロビでの第10回閣僚会議を成功に導いた主催国側議長にして、アフリカ諸国で初めて米国と自由貿易協定交渉を行っているケニア候補との一騎打ちになると予想する。中国がどちらに票を投じるかがカギを握りそうである。

(深作喜一郎・国際エコノミスト)

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