安倍政権の最大の矛盾と最大の成果を語ろう=中原伸之(上)
安倍首相が退陣表明後、内閣支持率が上がり、朝日新聞の世論調査で「評価する」の答えが7割を超えた。長い間、民主党政権、そして白川方明日銀総裁(2008年4月~13年3月)によって、日本経済はガタガタになり、デフレになっていた。特に円高がひどかった。安倍政権はそれを改善した。「三本の矢」をやることによって、第一に円高を適当な円安水準に持ってきて、雇用が465万人増え、失業率が2・2%まで低下し、企業の経常利益を60%改善させ、株高となり、名目GDP(国内総生産)を約560兆円まで引き上げた。
最大の矛盾は金融と財政
最大の矛盾は、今でもそうだが金融と財政だ。13年1月15日に首相官邸で、金融問題有識者専門会議が開かれ、私のほかに浜田(宏一)君や岩田(規久男)君も来た。その時に共同声明(デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について)の素案を作った。ひとつは2%のインフレ目標、もうひとつ重要な点は、金融政策に専念する、つまり財政政策について日銀はタッチしないということだった。なぜそれを入れたかというと、速水(優第28代日銀総裁)さんの時からそうだが、日銀の独立性を言いながら、財政政策についても一つの主張を日銀が持っていた。「そういうことではダメだ」ということで、縁を切らせた。
ところが、共同声明に従って日銀が動き出したが、黒田東彦日銀総裁が、共同声明に反する言動を行った。まず、14年4月の消費税引き上げについては、それ以前から黒田氏は賛意を示していた。その後、日銀は同年10月31日に大幅な追加金融緩和をした。その意図は、この時点で15年10月の消費税引き上げを政治判断することになっていた安倍政権を後押しする意図は明白だった。そもそも、消費税(引き上げ)はウエルカムと言っていた。財政政策に日銀が事実上関与した。あれが根本問題だ。
今、日銀は財政ファイナンスという批判を受けている。本来は形式的には日銀が金融政策をやっているだけで、財務省の判断で国債を発行しているだけと言えたのに、日銀が共同声明に反した行動をとったので、批判を受ける機会を作った。
2度の消費増税で緩和しながらデフレ政策を認めた
基本的にはサマーズ(元米財務長官)も「先進国の長期停滞論」で言っている。全需要分野に影響を及ぼす本格的な第2次産業革命のインパクトが薄れてきて、資本の限界効率が下がってきた、自然利子率がずっと下がった。過去のような成長が見込めない時に、経済をどうもっていくかというのが一番のポイントだ。
そこでは金融と財政の問題が必ず出てくる。簡単に言えば、アベノミクスは当初成功し、その後自ら失敗の種をまいた。
2度にわたる消費税引き上げは、金融政策と財政政策の矛盾をもたらしている。金融緩和をやりながら、結果的にデフレ政策をやったことが最大の問題だ。
かといって野放図に財政出動すればいいわけでもない。日本だけじゃなく、先進国について、特にアメリカについても言えると思う。コロナ禍でこれだけ財政が緩んできてしまっている。
時代の大きな宿命を担った縮図のなかで、金融緩和で成功して、財政の引き締めで失敗した。同じ構図は続くと思う。
YCCは両刃の剣
最後は日銀が16年9月から導入したYCC(イールドカーブ・コントロール=事実上のゼロ金利政策のもとで10年物国債の金利が0%程度で推移するよう国債を購入)の金融政策で、長期金利を極めて低く抑えたから、財政出動を容易ならしめる環境を作ってしまった。金融政策のツールを、財政政策のツールに事実上援用してしまった。
YCCというのは、第二次大戦の時に米国のルーズベルト大統領とトルーマン大統領が戦費の調達を容易にしようと、長期金利を抑えようとして長期国債と両方抑えたわけだが、この縛りを外すのに戦後とても苦労した。
日本の現状は同じように難しいところに来ている。米国の過去を参考にしながら、安倍首相の後継者はうまく経済運営をしなければならない大変難しい立場に置かれている。
第三の矢「構造改革」は未達成
第三の矢の構造改革はまだ十分だと言えない。特に日本の労働生産性が上がってきていないものだから、これをどうやって上げるかは現在の経済の根本問題のひとつ。
総じて、安倍内閣の金融政策以外の経済政策についていえば、ビッグ・ディールでやるのか、あるいはピースミール・アプローチという比較的小さな問題に分解して、それをターゲットにしてやるか、はっきりしないまま、議論がスタートしてしまって、何がターゲットなのか、よくわからなかった。
もっと皮肉を言えば、安倍政権はアベノミクスで「三本の矢」という大きなスローガンを掲げておいて、実際には「1億総活躍」や「全世代型社会保障」などと「三本の矢」以外のスローガンを掲げながら小さな課題に落としこんで、解決を図ってきた。実際にはすべてが解決したわけでないが、そう振る舞うことで、ひとつの存在感を世の中に示した。
私はまずいと思ったが、首相秘書官の意見が強かったのだろう、主として電通系にスローガンづくりを政権発足当初から頼んでいたようだ。「全世代型社会保障」などだ。すべて最初から電通系ではないか。
生産性に戻すと、体系的なアプローチはなかった。「デジタルトランスフォーメーション(DX=デジタルによる変革)」だって、一体何をどこからやるのが不明確だった。
何しろスローガンが多くて、次から次へといろんな会議を使って、やっている。それは結構だが、さて具体的にどうするということはあいまいだ。
ただ、最低賃金引き上げは一つの成果だ。高校無償化も実現した。保守本流の安倍政権の政策にしては、実現した政策は主としてリベラルだったと言える。(下につづく)
(聞き手・構成=後藤逸郎・フリージャーナリスト)
◇なかはら・のぶゆき
1934年東京生まれ。57年東京大学経済学部卒、59年米ハーバード大大学院修了後、東亜燃料工業(現ENEOS)入社。86~94年、同社社長。日本銀行政策委員会審議委員、金融庁顧問などを歴任。安倍首相に非常に近く、政策提言などを行ってきた。