「32人抜き」三井物産の安永社長が駆け抜けた「人事」と「撤退決断」の6年
三井物産の安永竜夫社長は、今期で就任6年目。同社の慣例に従えば交代が確実で、近く次期社長が発表される公算が大きい。一執行役員から「32人抜き」で社長に就いた安永氏の6年間を振り返る。
インド現法トップに現地人材
安永氏が、前例にとらわれない姿勢を端的に示したのは人事だった。
まず、社長就任2年目の2017年6月、世界大手資源会社「リオ・ティント」CEOのサミュエル・ウォルシュ氏を社外取締役に迎えた。リオ・ティントとは、豪州鉄鉱石事業を共同運営するなど三井物産とはかかわりはあるが、資源会社としてはリオ・ティントが明らかに格上だ。グローバルの舞台で資源事業を経営してきたウォルシュ氏の存在は、三井物産が得意とする資源事業のあり方だけではなく、株主還元策や企業統治についても「世界標準」の議論をもたらした。
さらに、2020年4月には、インド三井物産社長に、現地人材であるファイサル・アシュラフ氏を据えた。ファイサル氏は中東三井物産(アラブ首長国連邦)副社長として、働きぶりが評価された。インド三井物産は社員数150人規模の重要拠点。これだけの規模のトップに現地人材が就いた前例はあまりない。安永氏は「アジアの三井物産」「現地採用スタッフへの権限移譲」を掲げおり、ファイサル氏登用で、この戦略を体現した。
業績は伸び悩み3位が指定席
人事では独自色を出した安永氏だが、業績は伸び悩んだ。安永氏の在任期間は事業環境が「資源の三井」には厳しいものであった。かつて三菱商事に肉薄する商社2位だった面影はなく、3位がほぼ指定席となった。
過去最高益は8年前
就任1年目の2016年3月期は資源価格の下落が響き、最終損失834億円と、同社初の赤字決算に陥った。その後は、資源価格回復や生活産業の伸張で、18~20年3月期は4000億円前後で推移したものの、今期(21年3月期)はコロナ・ショックに見舞われて1800億円にとどまる見通しだ。過去最高益(12年3月期、4345億円)からは8年間遠ざかっている。
大型資源投資はモザンビークと北極圏LNG
最終損益と共に、経営の指標として注目される投資案件も振り返りたい。まず「資源の三井物産」らしい投資案件としては、2019年に立て続けに発表したアフリカ・モザンビークのLNG(液化天然ガス)開発参画(三井物産の投資見込み額約2700億円)と、ロシア北極圏の「アークティックLNG2」への参画(同約580億円)がある。
非資源でアジアの病院に2000億円
資源を得意とする三井物産だが、16年3月期の赤字決算への反省から、非資源事業の育成が急務となった。非資源事業の成長分野にヘルスケアを据える。19年3月には、アジア病院事業「IHH」に2232億円を追加出資し、筆頭株主となった。この追加出資は、当時の筆頭株主であるマレーシア政府系投資会社「カザナ」から株式譲渡される形で行われた。
ただし、以上の大型投資案件だけで安永氏を評価するのは早計だ。LNGの2件について言えば、三井物産は大型の資源案件が持ち込まれるのが常だ。IHHの追加出資についても、18年のマレーシアでのマハティール氏による政権交代が引き金となってカザナが株式を売却したという経緯がある。いずれも「安永社長だから決定できた」とは言い切れない。
ブラジルの穀物事業は撤退を英断
むしろ、安永氏の経営手腕で目を引くのが撤退事案だ。三井物産は18年、ブラジルで穀物集荷事業を営む子会社「マルチグレイン」の営業を終えた。11年に累積投資額約470億円で同社を子会社化したものの、過当競争に巻き込まれ、14年頃から採算が悪化し、赤字が累積していた。
社内には「赤字を出してはいるが、買収して間もない。何年か経過すれば黒字化するかも」という希望的観測もあったようだ。ずるずると事業を続けていた惨状に終止符を打ったのは、安永氏だった。就任2年目の17年ごろから、同社から「撤退」をにおわす発言が出るようになり、18年末で撤退した。
「飯島案件」に決着
撤退に際しては、関連費用などで477億円の損失を計上したが、安永社長は撤退表明当時「学びがあった」「止血できた」と前向きな言葉を連発した。
マルチグレインの子会社化は飯島彰己社長時代に決定した。また、ブラジルは三井物産にとっては有望市場でもある。自身を社長に選んだ先代社長の投資案件であろうが、未練の残りそうな市場であろうが、そんたくなく「儲からない事業」の止血をしたことは安永氏の功績だ。
聖域の資源、鉄道にも斬りこみ
さらに、今年11月には、安永社長がIR説明会で、エネルギーの探鉱・開発・生産(E&P=Exploration & Production)や、旅客鉄道部門でも、採算の悪い事業は見直し対象だと明らかにした。E&Pは、「資源の三井」の得意分野であり、旅客鉄道事業は安永氏の出身でもあるが、マルチグレイン同様、しがらみにとらわれずにダイベストメント(投資の縮小・撤退)の道筋を付けた。
人事と投資撤退の6年
商社のビジネスは、事業へ投資をして人員を送り込み、事業の価値を高める→事業から現金を取り込み、場合によっては事業を売却しサヤを取る、の繰り返しだ。
商社業界では、この最初のステップである投資決定を、経営者や幹部の功績として特に高く評価する風潮がある。「○○社長は在任中、△△事業で×百億円の投資を決定した」という具合だ。 しかし、安永氏の6年間の経営を振り返ると、人事とダイベストメント(投資撤退)という、従来の商社経営者の指標では図れない功績があった。
総仕上げの後継人事は混とん
安永社長の最後の大仕事となりそうなのが、次期社長の選定だ。代表権を持つ飯島会長も選定に一定の影響は及ぼすとみられる。飯島氏は、前回の社長交代時に安永氏を選んだ際は槍田松瑩会長(当時)と意見が合わなかったが、結局、自身の意見が通ったと言われる。飯島氏も自分の意思を通してもらった経緯から、最後は安永氏の意見を尊重するとみられる。
社内外で評価が高いのが、堀健一専務だ。安永氏より1年次下の1984年入社。化学品出身で、IR(投資情報)や経営企画などの部長も歴任しており、同期の中でもいち早く昇格してきた。
ただし、ここ3代の社長のバトンは、機械出身の槍田氏→金属出身の飯島氏→機械出身の安永氏、と資源・非資源の「たすきがけ」で渡されてきた。
2代続けて非資源には反発も
社内の資源部門からは、2代続けての非資源部門の社長就任には反発も予想される。
特に、ここ数年の収益源であった金属資源からは、自陣の出身者として竹部幸夫副社長(83年入社)を推す声がある。ただ、竹部氏は安永氏と同期。安永氏より年次が下で金属資源出身ということならば、大間知慎一郎専務(84年入社)の名前も挙がる。
安永氏が32人抜きで社長に就いたことからも分かるように、三井物産は定款上、執行役員からでも社長に昇格できる。制度上は40人以上が有資格者ではあるが、「今回は、順当に取締役から昇格するのでは」との観測が強い。
(種市房子・編集部)